第23話 正しい手続きの値段
翌朝、市庁舎の開門とほぼ同時に、クララが青ざめた顔で私の執務室へ駆け込んできた。
彼女の手には、昨日までなかったはずの新しい紙切れが、くしゃくしゃに握りしめられていた。
「先生……! 今朝、地主の使いの者が来て、来季の借地契約は更新しないと言われました。今すぐ畑から出て行けと……っ」
エルナが調べに走ると、同じ村の借地農民二名も、日雇いの仕事から外されていた。
「リディア。これは隣国とマティアス局長が強引に要求してきた結果です。あなたが全てを背負う必要は――」
オスカーが私を庇うように言ったが、私は強く首を振った。
「いいえ。公開範囲を決め、署名したのは私です」
「先生、明日の麦が買えません」
クララは、契約終了の紙を握ったまま立っていた。
私は深く息を吸い込み、ペンを取った。
「オスカー書記官長。進行責任者の権限を行使します」
私は、決定書を引き寄せた。
「私の手続き上の過失により、証言者に重大な不利益が生じました。直ちに『名簿の公開停止』を通達し、保護方法を改めるまで合同会議を延期します」
「……承知しました」
オスカーは短く答え、すぐさま通達書の作成に取り掛かった。
「次に、緊急予算を。仮住居、法律相談、当面の生活費」
私は契約書の『誤りの即時公開』へ印をつけた。
「公示には、私の名を出してください」
エルナは被害を受けた三人の確認へ走った。
書記官は地主側へ、名簿の複写と再配布を禁じる通達を運んだ。一度見られた情報は取り戻せない。それでも、これ以上広げないことはできる。
私は市庁舎の掲示板へ出す公示を、自分で書いた。
『進行責任者リディア・アーヴェルは、証言者の特定可能性を過小評価し、公開範囲を誤った』
書き直したい箇所はなかった。
数時間後。
手続きを終え、当面の生活費として銀貨が入った袋と、仮住居の鍵をクララに手渡した。
「クララさん」
私は、椅子に座る彼女の前に歩み寄り、深く、深く頭を下げた。
「私の浅はかな判断のせいで、あなたと娘さんを危険な目に遭わせてしまいました。本当に、申し訳ありません」
床の石畳を見つめた。
「当面の生活はお約束します。ですが、これ以上、あなたに危険な真似はさせられません。証言は取り下げていただいて構いません。……私を、許してくれとは言いません」
執務室に、重い沈黙が降りた。
クララはじっと銀貨の入った袋を見つめ、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……先生。私が証言を取り下げたら、あの『第四の案』はどうなるんですか?」
「証拠不十分として会議のテーブルから下ろされます。残るのは、三村が沈むA案か、数年間の決壊の恐怖に怯えるB案、あるいは民間会社に権利を売り渡すC案だけです」
私は嘘をつかずに答えた。
クララは、足元で自分のスカートを握る娘を見た。
娘の首には、古い家の鍵がぶら下がっている。
「この銀貨は、返すんですか」
「いいえ。今回の損失への支援です」
「なら、麦を買います」
クララは袋を鞄へ入れた。
「証言は、やめません。この子に、あの鍵で開く家を残したいから」
「クララさん、しかし――」
「怖いです。でも、やめても畑は返ってきません」
クララは娘の手を取った。
「次は、私の名前を誰に見せるのか、先に教えてください」
「必ず」
クララは頷かなかった。銀貨と鍵を確かめ、娘と一緒に部屋を出た。




