第16話 村を沈める悪役令嬢
『灰色の令嬢、安全工事を妨害! 多数の命を人質に』
王都から届いた新聞の見出しは、その日のうちにレーヴェの町中へ貼り出された。
市庁舎へ向かう道すがら、私に向けられる視線は明らかに冷たくなっていた。
「あの令嬢のせいで、町が沈むかもしれないんだろ?」
「早く三つの村を沈めてくれれば、俺たちは助かるのに……」
すれ違う男が、私を見て口を閉じた。
私は折り畳んだ新聞を鞄へ入れ、市庁舎の扉を開けた。
「リディア!」
部屋に入るなり、書記官長であるオスカーが血相を変えて立ち上がった。
彼の机の上には、問題の新聞が広げられている。普段は感情を荒らげることのない彼が、顔を真っ赤にして怒りに震えていた。
「事実が一つもない」
オスカーは新聞を乱暴に掴み上げ、その分厚い手で力任せに引き裂こうとした。
「待って、オスカー。破らないでください」
私は彼に歩み寄り、新聞を持つ彼の手の上に、自分の手をそっと重ねた。
「ですが、これは――」
「破れば、情報源を尋ねられません」
私が静かに告げると、オスカーはハッとして動きを止めた。
私は彼の手から新聞を抜き取り、机の上に丁寧に広げ直した。
私はペン立てから羽ペンを引き抜き、新しい羊皮紙を引き寄せた。
「進行責任者として、公開質問状を送ります」
「公開質問状……?」
「記事は無署名です。まず、根拠と情報源を尋ねます」
私は事実だけを書いた。
『貴紙の記事において、私が安全工事を妨害しているとの記述があるが、私は現在、レーヴェ評議会の正式な委任に基づき、南岸三村の二百十八世帯および関係各所への聞き取り調査という公的業務を遂行中である』
私は筆を止めず、さらに一文を書き加えた。
『貴紙は、レーヴェ評議会が定めたこの正当な協議の手続き自体を「妨害」と呼ぶのか。もしそうでないのであれば、この記事は明白な虚偽である。無署名で虚偽の情報を流布したことについて、情報源を明らかにされたい。回答がない場合、レーヴェ評議会を通じた正式な抗議を行う準備がある』
「……質問状の差出人は、評議会にします」
オスカーが椅子へ戻った。
「お願いします。私は職名と署名を添えます」
私は文章の末尾に、進行責任者としての私の署名と、レーヴェの公的な印章を強く押し当てた。
公開質問状は、その日のうちに急行便で王都の新聞社へと送られた。
結果は、三日後の朝刊にすぐさま表れた。
新聞の三面、小さな枠ではあったが、そこには明確な『訂正とお詫び』が掲載されていた。
『先日掲載したレーヴェの水門工事に関する記事について、リディア・アーヴェル氏が公的業務に従事している事実を誤認させる表現があったことを訂正する。なお、同氏の活動に関する情報は、王室調整局からの提供に基づくものであった』
「王室調整局」
私は新聞のその部分を指で押さえた。
「局長個人の指示かどうかは、まだわかりません」
私は訂正記事を切り抜き、証拠書類の束に丁寧に綴じた。
「オスカー。新聞を破らせなくてよかったでしょう?」
私が少しだけ誇らしげに微笑みかけると、オスカーはなぜか目を伏せ、沈黙してしまった。
「オスカー?」
彼が喜んでくれると思っていた私は、その暗い表情に戸惑った。
執務室には、夕暮れの赤い光が差し込んでいる。
オスカーは窓辺に立ち、崩落の危機が迫る北の湖ではなく、足元に広がるレーヴェの市街地をじっと見下ろしていた。数万の人々が暮らし、夕餉の煙が立ち上る、彼の愛する故郷。
「……私は、ずるい人間です」
ぽつりと、オスカーが口を開いた。その声は、ひどく掠れていた。
「記事を破りたかったのは、あなたのためだけではありません」
彼は窓枠を握る手に、ギリッと力を込めた。
「どういう意味ですか?」
オスカーはゆっくりと振り向き、苦痛に満ちた瞳で私を見た。
「私も、同じことを考えました。三村を沈めてでも、最短で市街を守るべきだと」
握られた窓枠が、かすかに鳴った。




