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境界ワンダラー  作者: 藤川白紙


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8/12

8.推理

「……疲れた」

 車に戻った三人。アールグレイは、椅子に背を預けて、天井を仰いだ。

「お疲れ様です」

 ダージリンが頭を下げた。カモミールは腕を組む。

「それにしても、変な依頼人だったな。依頼も危険すぎるし」

「しかし、もう引き返すことはできません。メイビーン様は、僕たちが依頼を放り出せば、どのような報復でもなさるでしょう」

「……本当、何なんだ、あいつは」

 逃げられない依頼だ。刺客を捕まえてメイビーンに渡せば、三人は報酬を得るが、刺客はきっと殺されるのだろう。三人は、間接的に殺人に関わったことになる。しかし、依頼をこなさなければ、メイビーンに何をされるか分からない。メイビーンには、隠し事が多い。その分、どんな奥の手を持っているかが読めなかった。依頼を放棄するなど、あり得ない。

 アールグレイが引き受けると言わなければよかったのに……。

 カモミールは、アールグレイを睨むが、アールグレイは目を閉じたまま天を仰いでいる。

 カモミールは溜息をついた。

「とにかく、刺客の居場所を知らないことには、どうしようもないな」

「しかし、刺客の情報は少なすぎます。まずは、メイビーン様とラッセル様から分かることを詰めていくべきかと」

「と言ったって、その二人の情報すら少ないんだからな。どうしようもないんじゃないか。メイビーンの奴も、俺たちを買いかぶりすぎだっての」

「ラッセルは現式を持っていると見て間違いない」

 アールグレイは唐突に口を開いた。

 カモミールがそちらを向くと、アールグレイはカモミールに顔だけを向けていた。

「どうしてそう思う」

「依頼人は嘘がつけないね。ラッセルを一人で出歩かせるあたり、ラッセルが相当強くないと許さないだろう。刺客が現式を使えるかも分かっていないのに、何の現式もない人間を一人で出歩かせはしない。ラッセルは、メイビーンより強力な現式をもっていて、なおかつ、現式を持っているか分からない刺客よりも強い現執者だと言える」

「ラッセルに現式が使えるってことを、刺客も知っている可能性が高いよな」

 カモミールが、考え考え呟く。

「アールグレイも言ってたように、一般人なら、刺客なんか送り込むまでもないんだから」

「そうだね。通り魔の仕業に見せかけて殺すのが、最も手っ取り早くて、完全犯罪としての成功率も高い。その方法を使わないで、無理な攻撃を重ねていることから、ラッセルの現式を知っていたと考えられる」

「現式が使えることを知っていたということは……」

 カモミールは、アールグレイを見る。アールグレイは頷いた。

「ラッセルを狙う刺客は、現式関係者。つまり、現執者だと考えるのが妥当だね」

「……捕獲対象は、現執者」

 カモミールが復唱する。

「できる限り会いたくない名前だ」

「私も同じ思いだよ」

 アールグレイが溜息をつく。

「ラッセルは現式が強いから、疎まれているということか」

「今のところはそうなる。ただ……」

 アールグレイが顎に指を添える。

「真意は分からないな」

「質問なんだけど」

 カモミールが小さく手を挙げる。

「現式を使う現執者って存在が世界にいることは、アールグレイやダージリンから聞いてなんとなく知ってたんだけど、現執者って結局何なんだ。いまいち理解できてなくって。漠然としたイメージしか持ってないんだよ。危ない奴らだってことくらいしか知らなくて」

「今まで現執者の相手をほとんどしてこなかったからね」

 アールグレイは頷く。

「ここはダージリンに説明してもらおうかな。ダージリンの方が現式に詳しいだろうから」

「承知しました」

「おい」

 カモミールがアールグレイを視線で非難する。

「何?」

「さぼるなよ」

「さっきの会話に疲れたんだよ。私は社交的じゃないから」

「どの口が言ってるんだよ」

 再び椅子に倒れ込んだアールグレイに代わって、ダージリンは無表情で説明を始める。

「現執者とは、現式を利用して超常現象を引き起こす人間のことです。世界に少数存在しています。しかし、誰もが危険だというわけではありません」

 カモミールは頷く。

「現式を使うのが現執者か。で、例えば、メイビーンの現式で言うと、ものが消えるのが現象で、ものを消す力が現式ってことか」

「ものを消すように、現実に干渉する式が、現式だと言えます。現式は能力ではなく、数式のようなものです。値を入れたら、常に間違いなく同じ値が出ます。まだ研究途上ですので、詳しいことは分かっていません。僕のこの知識も、数年前のものですが」

「例えば、どんな現式を持つ奴がいるんだ」

 ダージリンは少し考える。

「世界から意味レベルで存在を消す能力などがあります」

「ああ、メイビーンが使えるような?」

「メイビーン様の現式とは少し違います。メイビーン様は、個別の対象に適用されます。例えば、カモミールがメイビーン様の現式によって消去されるとします。そのとき、カモミールはこの世界から消えます」

 カモミールが顔を引きつらせた。

「怖いこと言うなよ」

「申し訳ありません。ですが、これはたとえ話です」

 たとえが冗談で済まないところが現式の恐ろしいところだ。

 ダージリンは涼しい顔で続ける。

「カモミールの存在は消えましたが、カモミールがいたことは事実として残っています。カモミールが書いた文字や出会った人々の記憶は消えることがありません。それに対して、意味存在すら消える場合には、カモミールは、もとからこの世界に存在していなかったことになります」

「なるほどな。かなり強力な現式だ。意味存在の消去の方が強い現式ということか」

 アールグレイは首を傾げる。

「……そうとも限らないかな。基準によって、危険かどうかは変わりうる。意味消去はさ、そのものがあったっていう記憶すらなくなるんだから、逆に危険じゃなくなる。元からなかったことにされるんだから、誰の認識にも何が消えたかが反映されない。だから、現式が危険かどうかすら分からない。そもそも、現式が発動したのかどうかも分からない」

 カモミールが半目になる。

「はあ、そういうものか……」

「そのような曖昧な現象を引き起こす現式ばかりではありません。描いた絵が具現化するなどの、子供の理想のような現式もあります」

 ダージリンが真顔で続けるが、カモミールは頬を引きつらせる。

「それはフィクションだから微笑ましいんであって、現実なら不気味なだけだ」

 超高性能の爆弾なんか具現化したら大変だ。いや、そもそもそれほどに緻密な絵は描けないから、杞憂なのか。子どもが描くような絵が具現化する方が怖いだろう。子どもは、顔から直接足を生やしたものなんかを描く。あんな絵が武器を持って襲いかかってくるところなど、想像もしたくない。

「どの現式にも共通するのは、科学的にはどうしても説明がつかないということです。現式の研究は、この現式作用に、体系的で合理的な説明をつけることを目的にしているようです。今までいくつもの説が構想され、そのたびに批判を受け、乗り越えられていきましたが、最終見解には未だ達していません。すべての説は暫定的です。今僕が話した説が定説ですが、誰もが納得する説はありません」

「一般には知られていないのに、それを研究する人もいるんだな」

「現式を知らなくても生活はできるため、研究の意味を疑問視するのも当然だと考えられます」

「じゃあ、なんで研究は続けられているんだ」

 ダージリンは無表情のままよどみなく答える。

「現式が、世界の根幹に関わる問題だとされているからでしょう。人間は、自分の人生の意味や価値を問わずにはいられません。その問いの答えを、現式が与えてくれるのではないかと期待しているのです」

「人生の意味を、現式は与えてくれるのか」

「どこまででも、それは、与えてくれるかもしれないという期待だよ」

 カモミールは、アールグレイの方を見た。

「じゃあ、現式の研究なんか、何の意味もないかもしれないじゃないか」

「意味はないかもしれないし、あるかもしれない」

 アールグレイは笑う。

「期待していられるのは、いいことだよ」

 カモミールは腕を組んだ。

「話が逸れすぎたな」

「カモミールが無知だからね」

「悪かったな」

 カモミールは、アールグレイを睨んだ後、ダージリンに向き直る。

「……現執者って言っても、どうやってこの広い土地から探し出すって言うんだよ」

「現執者は集団で行動している者と、単独で行動している者がいます。今回の刺客がどちら側かは分かりません」

「現式の集団がいるのか」

 カモミールが顔をしかめる。

「かなり危険そうだな。で、今回はどうする」

「おびき寄せる」

 アールグレイが笑う。

「今回の仕事は早く片付きそうだ」

 小窓から、一筋の光が差し込む。

 しかし、今日は厚い雲が空に垂れ込めた天気だった。ラッセルの家に行く前に空を見上げたダージリンはよく覚えている。そのため、天から光が差し込むはずがない。

 レーザー光線である。

 ダージリンが、光に反応し、立ったままだったカモミールの足を払う。

「ちょっ」

 カモミールは、体勢を崩し、仰向きに倒れる。

 感覚で机の角を避けて、受け身を取った。

 次の瞬間、窓が、粉々に砕け散った。すでに身を屈めていたアールグレイが、窓と対角線上にある壁を確認すると、壁には銃弾がめり込んでいた。先ほどまでカモミールが立っていた場所だった。ダージリンがカモミールの足を払わなければ、カモミールの頭に穴が開いているところだっただろう。

 ダージリンは、即座に壁の修理費用を計算する。

 ……結果はすぐに出た。現状、修理費は手元にない。どうやら、刺客は早く捕まえなければならなくなった。目的は、メイビーンが掲示する報酬である。

「来た」

 アールグレイの口元に笑みが浮かぶ。

 頭の位置を低くしていたダージリンが、車外からは気づけない覗き穴から外を窺う。キャンピングカーには、内側から外部を覗ける穴が複数空いている。

「視認しました」

 ダージリンは、覗き穴のガラス板を取り除き、サイレンサーつきの銃を構え、別の覗き窓を確認しながら躊躇なく撃った。

「当たったか」

 カモミールが訊ねる。ダージリンは暫く覗き穴を覗いたままでいたが、首を左右に振った。

「逃げられました。森に入っていくようです。追いますか」

「ああ」

 アールグレイが、別の覗き穴から外の様子を窺って頷く。

「すでに犯人をおびき寄せていたんだな」

 カモミールが、身を起こしながらアールグレイに言う。

「依頼人の家に行くこと自体が刺客の注意を引くとは思っていた。依頼人の家に行くこと自体避けるべきだったんだ。あんな開けた土地からなら、訪問者の存在を誰でも確認できる。それこそ、刺客でなくても、気づくだろうね」

「命を危険に晒したわけか」

「手っ取り早かったんだよ。刺客の目を逃れるのが面倒だったという理由もある」

 アールグレイは、戸棚からいくつかのナイフを選定し、腰のベルトに無造作に取り付ける。

 カモミールが口を開く。

「でも、刺客は森の奥に行ってしまった。今度は俺たちがおびき寄せられているんじゃないか」

「そうかもね」

 アールグレイは、カモミールの方を見ない。

「死ぬのが怖いなら、別についてこなくてもいいよ。でも、あまり慎重になりすぎると、解決が遅れるだろ。この後、いつ刺客に会えるか分からないし、さっさと済ませてしまわないか」

 ダージリンは、銃弾の確認を手早く済ませ、すでにドアに手を掛けている。

 カモミールは、唇を噛みしめて、複数の爆発物が入ったポーチをベルトに取り付ける。

「森には三人で入る。最初は集団で行動。刺客を見つけた場合、他の二人に素早く知らせて」

 アールグレイは、カモミールを先に外に出す。ドアを開いて待っているダージリンに、アールグレイは小声で言う。

「刺客が現れたら、私が囮になる。ダージリンは、私よりカモミールを優先して守ること。私は自分でなんとかできるから、私が刺客と対峙していても手は出さないでほしい。私はもしかしたら、撃たれるかもしれないけど……」

「指示を出してくださる方が亡くなることこそ、僕が最も避けるべきことです」

 ダージリンが、アールグレイを真っ直ぐに見据えて、無表情で言う。

「カモミールだけではなくアールグレイの援助も、僕に許可してください」

「許可はしない」

 ダージリンは、車内に視線を走らせる。

「ナイフだけでは危険かもしれません。拳銃をお持ちになっては」

「普段持ち歩かないものを持っていると、逆に危険だ。私は、ナイフの戦術をとるから、拳銃はいらない」

 アールグレイは、ミドルコートの内側にしまわれた複数のナイフを、コートの上から押さえた。

 ダージリンは、それ以上何も言わなかった。

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