8.推理
「……疲れた」
車に戻った三人。アールグレイは、椅子に背を預けて、天井を仰いだ。
「お疲れ様です」
ダージリンが頭を下げた。カモミールは腕を組む。
「それにしても、変な依頼人だったな。依頼も危険すぎるし」
「しかし、もう引き返すことはできません。メイビーン様は、僕たちが依頼を放り出せば、どのような報復でもなさるでしょう」
「……本当、何なんだ、あいつは」
逃げられない依頼だ。刺客を捕まえてメイビーンに渡せば、三人は報酬を得るが、刺客はきっと殺されるのだろう。三人は、間接的に殺人に関わったことになる。しかし、依頼をこなさなければ、メイビーンに何をされるか分からない。メイビーンには、隠し事が多い。その分、どんな奥の手を持っているかが読めなかった。依頼を放棄するなど、あり得ない。
アールグレイが引き受けると言わなければよかったのに……。
カモミールは、アールグレイを睨むが、アールグレイは目を閉じたまま天を仰いでいる。
カモミールは溜息をついた。
「とにかく、刺客の居場所を知らないことには、どうしようもないな」
「しかし、刺客の情報は少なすぎます。まずは、メイビーン様とラッセル様から分かることを詰めていくべきかと」
「と言ったって、その二人の情報すら少ないんだからな。どうしようもないんじゃないか。メイビーンの奴も、俺たちを買いかぶりすぎだっての」
「ラッセルは現式を持っていると見て間違いない」
アールグレイは唐突に口を開いた。
カモミールがそちらを向くと、アールグレイはカモミールに顔だけを向けていた。
「どうしてそう思う」
「依頼人は嘘がつけないね。ラッセルを一人で出歩かせるあたり、ラッセルが相当強くないと許さないだろう。刺客が現式を使えるかも分かっていないのに、何の現式もない人間を一人で出歩かせはしない。ラッセルは、メイビーンより強力な現式をもっていて、なおかつ、現式を持っているか分からない刺客よりも強い現執者だと言える」
「ラッセルに現式が使えるってことを、刺客も知っている可能性が高いよな」
カモミールが、考え考え呟く。
「アールグレイも言ってたように、一般人なら、刺客なんか送り込むまでもないんだから」
「そうだね。通り魔の仕業に見せかけて殺すのが、最も手っ取り早くて、完全犯罪としての成功率も高い。その方法を使わないで、無理な攻撃を重ねていることから、ラッセルの現式を知っていたと考えられる」
「現式が使えることを知っていたということは……」
カモミールは、アールグレイを見る。アールグレイは頷いた。
「ラッセルを狙う刺客は、現式関係者。つまり、現執者だと考えるのが妥当だね」
「……捕獲対象は、現執者」
カモミールが復唱する。
「できる限り会いたくない名前だ」
「私も同じ思いだよ」
アールグレイが溜息をつく。
「ラッセルは現式が強いから、疎まれているということか」
「今のところはそうなる。ただ……」
アールグレイが顎に指を添える。
「真意は分からないな」
「質問なんだけど」
カモミールが小さく手を挙げる。
「現式を使う現執者って存在が世界にいることは、アールグレイやダージリンから聞いてなんとなく知ってたんだけど、現執者って結局何なんだ。いまいち理解できてなくって。漠然としたイメージしか持ってないんだよ。危ない奴らだってことくらいしか知らなくて」
「今まで現執者の相手をほとんどしてこなかったからね」
アールグレイは頷く。
「ここはダージリンに説明してもらおうかな。ダージリンの方が現式に詳しいだろうから」
「承知しました」
「おい」
カモミールがアールグレイを視線で非難する。
「何?」
「さぼるなよ」
「さっきの会話に疲れたんだよ。私は社交的じゃないから」
「どの口が言ってるんだよ」
再び椅子に倒れ込んだアールグレイに代わって、ダージリンは無表情で説明を始める。
「現執者とは、現式を利用して超常現象を引き起こす人間のことです。世界に少数存在しています。しかし、誰もが危険だというわけではありません」
カモミールは頷く。
「現式を使うのが現執者か。で、例えば、メイビーンの現式で言うと、ものが消えるのが現象で、ものを消す力が現式ってことか」
「ものを消すように、現実に干渉する式が、現式だと言えます。現式は能力ではなく、数式のようなものです。値を入れたら、常に間違いなく同じ値が出ます。まだ研究途上ですので、詳しいことは分かっていません。僕のこの知識も、数年前のものですが」
「例えば、どんな現式を持つ奴がいるんだ」
ダージリンは少し考える。
「世界から意味レベルで存在を消す能力などがあります」
「ああ、メイビーンが使えるような?」
「メイビーン様の現式とは少し違います。メイビーン様は、個別の対象に適用されます。例えば、カモミールがメイビーン様の現式によって消去されるとします。そのとき、カモミールはこの世界から消えます」
カモミールが顔を引きつらせた。
「怖いこと言うなよ」
「申し訳ありません。ですが、これはたとえ話です」
たとえが冗談で済まないところが現式の恐ろしいところだ。
ダージリンは涼しい顔で続ける。
「カモミールの存在は消えましたが、カモミールがいたことは事実として残っています。カモミールが書いた文字や出会った人々の記憶は消えることがありません。それに対して、意味存在すら消える場合には、カモミールは、もとからこの世界に存在していなかったことになります」
「なるほどな。かなり強力な現式だ。意味存在の消去の方が強い現式ということか」
アールグレイは首を傾げる。
「……そうとも限らないかな。基準によって、危険かどうかは変わりうる。意味消去はさ、そのものがあったっていう記憶すらなくなるんだから、逆に危険じゃなくなる。元からなかったことにされるんだから、誰の認識にも何が消えたかが反映されない。だから、現式が危険かどうかすら分からない。そもそも、現式が発動したのかどうかも分からない」
カモミールが半目になる。
「はあ、そういうものか……」
「そのような曖昧な現象を引き起こす現式ばかりではありません。描いた絵が具現化するなどの、子供の理想のような現式もあります」
ダージリンが真顔で続けるが、カモミールは頬を引きつらせる。
「それはフィクションだから微笑ましいんであって、現実なら不気味なだけだ」
超高性能の爆弾なんか具現化したら大変だ。いや、そもそもそれほどに緻密な絵は描けないから、杞憂なのか。子どもが描くような絵が具現化する方が怖いだろう。子どもは、顔から直接足を生やしたものなんかを描く。あんな絵が武器を持って襲いかかってくるところなど、想像もしたくない。
「どの現式にも共通するのは、科学的にはどうしても説明がつかないということです。現式の研究は、この現式作用に、体系的で合理的な説明をつけることを目的にしているようです。今までいくつもの説が構想され、そのたびに批判を受け、乗り越えられていきましたが、最終見解には未だ達していません。すべての説は暫定的です。今僕が話した説が定説ですが、誰もが納得する説はありません」
「一般には知られていないのに、それを研究する人もいるんだな」
「現式を知らなくても生活はできるため、研究の意味を疑問視するのも当然だと考えられます」
「じゃあ、なんで研究は続けられているんだ」
ダージリンは無表情のままよどみなく答える。
「現式が、世界の根幹に関わる問題だとされているからでしょう。人間は、自分の人生の意味や価値を問わずにはいられません。その問いの答えを、現式が与えてくれるのではないかと期待しているのです」
「人生の意味を、現式は与えてくれるのか」
「どこまででも、それは、与えてくれるかもしれないという期待だよ」
カモミールは、アールグレイの方を見た。
「じゃあ、現式の研究なんか、何の意味もないかもしれないじゃないか」
「意味はないかもしれないし、あるかもしれない」
アールグレイは笑う。
「期待していられるのは、いいことだよ」
カモミールは腕を組んだ。
「話が逸れすぎたな」
「カモミールが無知だからね」
「悪かったな」
カモミールは、アールグレイを睨んだ後、ダージリンに向き直る。
「……現執者って言っても、どうやってこの広い土地から探し出すって言うんだよ」
「現執者は集団で行動している者と、単独で行動している者がいます。今回の刺客がどちら側かは分かりません」
「現式の集団がいるのか」
カモミールが顔をしかめる。
「かなり危険そうだな。で、今回はどうする」
「おびき寄せる」
アールグレイが笑う。
「今回の仕事は早く片付きそうだ」
小窓から、一筋の光が差し込む。
しかし、今日は厚い雲が空に垂れ込めた天気だった。ラッセルの家に行く前に空を見上げたダージリンはよく覚えている。そのため、天から光が差し込むはずがない。
レーザー光線である。
ダージリンが、光に反応し、立ったままだったカモミールの足を払う。
「ちょっ」
カモミールは、体勢を崩し、仰向きに倒れる。
感覚で机の角を避けて、受け身を取った。
次の瞬間、窓が、粉々に砕け散った。すでに身を屈めていたアールグレイが、窓と対角線上にある壁を確認すると、壁には銃弾がめり込んでいた。先ほどまでカモミールが立っていた場所だった。ダージリンがカモミールの足を払わなければ、カモミールの頭に穴が開いているところだっただろう。
ダージリンは、即座に壁の修理費用を計算する。
……結果はすぐに出た。現状、修理費は手元にない。どうやら、刺客は早く捕まえなければならなくなった。目的は、メイビーンが掲示する報酬である。
「来た」
アールグレイの口元に笑みが浮かぶ。
頭の位置を低くしていたダージリンが、車外からは気づけない覗き穴から外を窺う。キャンピングカーには、内側から外部を覗ける穴が複数空いている。
「視認しました」
ダージリンは、覗き穴のガラス板を取り除き、サイレンサーつきの銃を構え、別の覗き窓を確認しながら躊躇なく撃った。
「当たったか」
カモミールが訊ねる。ダージリンは暫く覗き穴を覗いたままでいたが、首を左右に振った。
「逃げられました。森に入っていくようです。追いますか」
「ああ」
アールグレイが、別の覗き穴から外の様子を窺って頷く。
「すでに犯人をおびき寄せていたんだな」
カモミールが、身を起こしながらアールグレイに言う。
「依頼人の家に行くこと自体が刺客の注意を引くとは思っていた。依頼人の家に行くこと自体避けるべきだったんだ。あんな開けた土地からなら、訪問者の存在を誰でも確認できる。それこそ、刺客でなくても、気づくだろうね」
「命を危険に晒したわけか」
「手っ取り早かったんだよ。刺客の目を逃れるのが面倒だったという理由もある」
アールグレイは、戸棚からいくつかのナイフを選定し、腰のベルトに無造作に取り付ける。
カモミールが口を開く。
「でも、刺客は森の奥に行ってしまった。今度は俺たちがおびき寄せられているんじゃないか」
「そうかもね」
アールグレイは、カモミールの方を見ない。
「死ぬのが怖いなら、別についてこなくてもいいよ。でも、あまり慎重になりすぎると、解決が遅れるだろ。この後、いつ刺客に会えるか分からないし、さっさと済ませてしまわないか」
ダージリンは、銃弾の確認を手早く済ませ、すでにドアに手を掛けている。
カモミールは、唇を噛みしめて、複数の爆発物が入ったポーチをベルトに取り付ける。
「森には三人で入る。最初は集団で行動。刺客を見つけた場合、他の二人に素早く知らせて」
アールグレイは、カモミールを先に外に出す。ドアを開いて待っているダージリンに、アールグレイは小声で言う。
「刺客が現れたら、私が囮になる。ダージリンは、私よりカモミールを優先して守ること。私は自分でなんとかできるから、私が刺客と対峙していても手は出さないでほしい。私はもしかしたら、撃たれるかもしれないけど……」
「指示を出してくださる方が亡くなることこそ、僕が最も避けるべきことです」
ダージリンが、アールグレイを真っ直ぐに見据えて、無表情で言う。
「カモミールだけではなくアールグレイの援助も、僕に許可してください」
「許可はしない」
ダージリンは、車内に視線を走らせる。
「ナイフだけでは危険かもしれません。拳銃をお持ちになっては」
「普段持ち歩かないものを持っていると、逆に危険だ。私は、ナイフの戦術をとるから、拳銃はいらない」
アールグレイは、ミドルコートの内側にしまわれた複数のナイフを、コートの上から押さえた。
ダージリンは、それ以上何も言わなかった。




