5.依頼Ⅰ
メイビーンは、アールグレイの冷えた声にも動じずに、ドアに向いていた身体をアールグレイに向けて首を傾げる。
「と、言いますと」
「空とぼけないでください。ラッセルさんという方はどこにもいないのでしょう。先ほどから、あなたは一人二役をしている」
メイビーンの表情は変わらない。
「何を勘違いしておられるのでしょうか。ぜひ、お聞かせ願いたいです」
アールグレイは、笑みを深めた。
「私もぜひお話ししたいと思っていたところなんですよ」
カモミールは、顔をしかめた。皮肉だからだ。
「あなたは、インターホン越しに、別人の声を出し、私たちがこの邸宅に二人以上の人間がいると思い込ませた。私たちがインターホンの声をラッセルさんだと思い込むように。しかし、実際にいるのは、あなた一人だけです」
「それは、ラッセル様のお姿が見えないからでしょうか。それとも、私とラッセル様の声が同時に聞こえないからでしょうか」
「違います。あなたが一見有能そうに見えて、いたるところで準備不足だからですよ」
アールグレイは、穏やかに、しかし淡々と話す。
「あなたはインターホンに出たのがラッセルさんだと言いました。もし、ラッセルさんが面会謝絶ならば、私たちが邸宅に通される前に、すでにその話が出ていたはずです。しかし、実際には、あなたは客を連れてラッセルさんの意向を聞いている。あなたはラッセルさんに命じられて私たちを迎えに来たはずなのに、どうして何も知らないんでしょうか」
メイビーンは、少しだけ黙った後、口を開く。
「例えば、ラッセル様という方は先ほどまで生きていらっしゃって、皆さんが通話を終えて、玄関に辿り着く前に、この邸宅に侵入して会話を盗み聞きしていた私が、ラッセルさんを隣の部屋で殺害した後、何食わぬ顔で秘書を名乗っているとも考えられませんか」
「それは考えにくいでしょう」
アールグレイが、即座に否定する。
「鍵束には鍵がたくさん取り付けられていましたが、あなたは鍵を迷いなく選んでいました。あなたが、侵入者ではないことの何よりの証拠です」
「……」
アールグレイの目をじっと見ていたメイビーンは、ついと目を逸らした。
「……人を欺くのは向いていないのかもしれません」
「私たちを騙すことは、誰であっても難しいと思いますよ」
アールグレイは微笑む。
滲み出る自信。それは、まったく過剰ではない。
実力だからだ。
「気落ちするに値しません」
「それで、目的は何なんだ」
カモミールが、細い目をさらに細める。
「依頼は嘘なのか。だったら帰るぞ。俺たちは嘘に付き合っているほど暇じゃない」
メイビーンは、今までで一番深く頭を下げた。
「騙していたことに関しては、申し訳ありませんでした。しかし、依頼をお願いしたいのは本当です。私が依頼をしたいのです」
「ラッセルというのはあんたが作り出した人物だったんだな」
「いいえ」
カモミールの言葉に、メイビーンはかぶりを振る。必死さが滲み出ている。
「ラッセル様は、本当に私の主人です。しかし、ラッセル様には、私が皆さんに依頼をしたことを知られたくはないのです」
「もう少し詳しく聞かせてもらわないと分からない」
カモミールが言う。
「こちらへ」
メイビーンが、指し示したソファに、三人は腰掛けた。その向かいにメイビーンが一人で座る。メイビーンは、膝の上で両手を強く握りしめた。
「ラッセル様に危険が及んでいるのは本当のことです。私もラッセル様も何度も殺気を感じました。それだけではありません。事故に見せかけて、殺されかけました」
メイビーンは、軽く目を閉じて話を続ける。
蘇るのは、建設途中のビルから、鉄骨がラッセルに向かって落ちてくる場面。
ふと殺気を感じて頭上を見上げたメイビーンの目に、降ってくる鉄骨が映る。長さは、約十メートルだろうか。片方を下にして、斜めに一本が降ってくる。その真下に、ちょうどラッセルとメイビーンがいた。
メイビーンがラッセルをとっさに突き飛ばす。ラッセルが前につんのめって、背後を振り返ったとき、メイビーンのすぐ真上に鉄骨がすでに落下してきていた。メイビーンは、片手を伸ばし、鉄骨に触れる。 メイビーンの指先と接触した面から、鉄骨は薄い煙となって、空気中に溶けさっていった……。
「なるほど、メイビーンさんは、物体を消すことができるのですね」
アールグレイの言葉に、メイビーンが頷く。
「はい。これを、現式と言うのですよね」
現式をはっきりと自覚しているメイビーンを見て、アールグレイは眉を上げる。
「珍しいですね。この世界で、あなたのような方は一般的ではない。現式の存在を知っているなんて」
「ラッセル様が、私は現執者だとおっしゃいました」
アールグレイの目が僅かに細められる。
この世界では、現執者という言葉すら普及していない。それを知っていたラッセルとは何者なのか。
「その場はあなたもラッセルさんも怪我をしなかったのですか」
「はい。……このようなことがあってから、私は一人でラッセル様を守り切れるか不安になりました。いつか、私の力が及ばずに、ラッセル様を死なせてしまうかもしれないと考えると、私以外の実力者にも、ラッセル様の安全に協力してもらった方がいいと思ったのです」
メイビーンは三人順に見る。
「皆さんは現執者なのですか」
アールグレイはかぶりを振る。
「いえ、私たちは誰も現執者ではありません」
「でも、あなた方は有名です。お仕事ぶりは風の噂で聞いています。実力は現執者並みなのでしょう?」
「引き受けた仕事はできる限り成功するように努力しますよ」
アールグレイは少しだけ身を乗り出した。
「それで、そのラッセルさんは、今日はどちらへ。一人で出歩かれて問題はないのですか」
メイビーンは、目を伏せて微笑む。
「ラッセル様は、時折一人でどこかへ出かけられます。今日も私を置いて行かれました。ラッセル様はお一人でも十分強い方です。私なんかいなくても、おそらく大丈夫なのでしょう。それでも、他に行く場所のない私を置いてくださる優しさには報いたいのです」
「そうですか」
アールグレイが頷く。ダージリンは、アールグレイの横顔を確認した。アールグレイの瞳は、乾いていた。おそらく、メイビーンの話に何の感情も動かされてはいない。
しかし、それはある意味、重要なことだ。仕事に私情を持ち込んではならない。
アールグレイが、ダージリンの視線に気づいて、煩わしそうに手を振った。
「それでは、ラッセルさんには私たちが依頼を頼まれたことを、知られないようにすればいいのですね」
「はい。お願いします」
「ラッセルさんの容姿と、あれば能力についても伺っておきたいのですが」
メイビーンが、ゆっくりと顔を上げる。その顔は、無表情だった。
「それは秘密です」
「じゃあ、どうやってラッセルさんを守ればいいんだ」
カモミールが理解できないといったように、首を横に振る。
「皆さんにしていただきたいのは、ラッセル様の護衛ではなく、ラッセル様を狙う刺客を特定し、その者を殺すことです。ラッセル様の安全をできる限り早く確実なものとするために」
「護衛はいらないと」
アールグレイの声に、メイビーンが頷く。
「はい。護衛なら、私だけで十分です。もし、私が刺客の殺害のためにラッセル様のもとを離れた場合、ラッセル様を一人にしてしまうことになります」
「ラッセルさんと一緒に刺客を倒せばいいんじゃないか。ラッセルさんは強いんだろ」
メイビーンは、カモミールを軽く睨む。
「ラッセル様に汚れ仕事をしていただきたくはありません」
「その代わり、私たちに手を汚してもらおうというわけですね」
アールグレイがまとめると、メイビーンは躊躇いもせずに頷いた。
「率直に申し上げるとそうなります」
カモミールは眉間に皺を寄せる。
「悪いが、その依頼内容じゃ、俺たちは仕事を引き受けられない」
カモミールが強い口調で言う。
メイビーンが、弾かれたようにカモミールを見た。
「どうしてですか」
「噂が一人歩きしているのかもしれないけど、俺たちは殺し屋じゃない。暗殺はしない。誰であろうと、どんな悪人でも、どれだけ金を積まれても、殺人を引き受けることはしない」
「そんな……」
メイビーンの縋るような目を、カモミールは射貫くように見据える。
「絶対に引き受けない。俺たちは確かに用心棒みたいな仕事をしている。でも、積極的に殺人をするなんてことはしない。俺たちは用心棒である前に、旅人だ。そしてその前に、人間だ。仕事でも殺人をする奴の気が知れない。俺たちをそんな奴らと同類にするな」
「皆さんを殺し屋だと思っていたわけでは」
「思っていただろ。都合のいい駒だと思ってたんじゃないか」
カモミールは立ち上がった。
「交渉決裂だ。刺客の暗殺は、本職の暗殺者にでも頼んだらいい。俺たちより上手くやってくれるに決まってる」
「お待ちください」




