4.訪問
依頼人が指定したのは、大きな邸宅だった。真っ白な壁に、青みがかった屋根がスタイリッシュな雰囲気を与えている。植木はほとんどなく、門扉は、鉄製で頑丈そうだった。富豪の家であることは一目瞭然だが、どことなく、人気のない寂しい雰囲気である。
「それでも、侵入は容易だね」
アールグレイが、車に取り付けられた小窓から外を覗いて呟く。
現在キャンピングカーは、邸宅から少し離れた森の入り口に停車している。森の近くには住宅が点在している。周囲にはのどかな草原が広がっており、見晴らしがいい。
もうしばらく、邸宅までは距離があったが、視力のいいアールグレイには関係がなかった。
「見たところ、セキュリティはしっかりしていますね。家を囲む鉄製の塀の上端には、有刺鉄線が張り巡らされています。敷地内に防犯カメラは十台近く。地面は、足跡がつきやすい土ですね。目立たないようにはされていますが、確実に侵入者を警戒する構造になっています」
アールグレイの隣に静かに控えているダージリンが応える。アールグレイはこの言葉に、笑う。
「それでも、ダージリンには、防犯カメラに写らない侵入経路が分かるだろ」
「ええ」
ダージリンは即答する。
「アールグレイも、そうですね」
「ああ。でも、地面に足跡をつけないのは、難しいかもしれないね」
「ご冗談を」
ダージリンが、無表情で言った。
「周りには民家がない。開けているから、狙撃は楽だろうな。侵入するのも、そこまで難しくはない。あまり安全とは言えない住まいだ」
「でも、俺たちは今回侵入するわけじゃない。犯罪者みたいな会話はそこまでだ」
運転席からカモミールの声が聞こえる。
「カモミールは真面目だね。そんなに法律を気にしていたら、ストレスで過労死するよ」
「その前に、アールグレイとダージリンの生活力のなさにストレスが溜まって入院するはめになりそうだ」
二人の会話を、ダージリンは無表情で聞いている。
カモミールが仕事用の声色に変える。
「ここらに停めて大丈夫か」
「そうだね。周りには森以外に何もないし、無断駐車しておいても、誰にも文句は言われないよ」
車内前方から、はっきりと溜息が聞こえてくる。
「法に触れるようなことはしたくないんだけどな」
「諦めなよ。危険な仕事をしている時点で、私たちは法を守れないことが決定しているだろ」
アールグレイは規範をまったく気にしていない。
カモミールは、ダージリンの方を見る。
ダージリンは……、正直何を考えているのか分からない。
カモミールは、二度目の溜息を飲み込んで口を開く。
「……ここに駐車する。そこからは歩きだ」
会話が途切れると、車内は急に静かになる。
アールグレイは、黒のミドルコートを手に取った。
それを見たダージリンも、紺のロングコートに袖を通す。
車を停めたカモミールも、カーキ色のマウンテンパーカーを羽織り、三人は外に出た。
草原が広がっているとは言っても、車が通る幅広の道路は一本だけ通っている。三人は、その道路の脇を歩いていく。
冬の冷たい風が、三人の間を通り抜けた。
ダージリンは空を見上げた。冬らしい、空一面の曇り空だ。雪は降らないだろうが、十分寒い。
邸宅は、近くで見ると大きさと広さをよく実感できた。寂しげな印象は、初めに見たときと変わりがない。
アールグレイは、インターホンを押す。
反応はすぐにあった。
【……はい】
少し低い声が聞こえてくる。
アールグレイは、カメラ越しに微笑んだ。
「こんにちは。依頼をいただいた旅の者です。午後一時から面談を行う予定でしたので、参上しました。門を開けてくださいますか」
【あ、あなたが? えっと、アールグレイさんですか】
「はい、そうです」
インターホンの向こう側が沈黙する。アールグレイは、微笑みを絶やさないまま待つ。
【違いますよね】
張り詰めた声。
インターホン越しに、緊張した空気感までもが伝わってきた。
剣呑な雰囲気に、カモミールは緊張する。
【あなたが護衛の方だとは思えない】
「どうしてでしょう」
アールグレイが訊ねる。
インターホン越しの声は、ややうわずっていた。
【どうしてって、こんなに若いはずがない。私は聞いています。旅をする用心棒のことを。彼らは三人で世界中を旅する。そして、メールで依頼を受け取り、命の危険がある人を救う正義の執行人だ。彼らの腕は確かで、もう長い間旅をしている。犯罪組織は彼らのことを恐れながらも、利用価値を見出して、近づきたいと考えている。彼らは、畏怖と尊敬を同時に受けているという……。しかし、あなた方には、その威厳があまり感じられない。
……あなたは、私を殺しに来た刺客でしょう!】
アールグレイは、少し後ろを振り返って、背後にいたカモミールに乾いた視線を向ける。邸宅内の人間に見られていなければ、肩でもすくめていたところだ。依頼人にこのような反応を返されたことは、何度かある。カモミールは、瞬きだけでアールグレイの面倒そうな視線に応える。
その後、アールグレイはすぐに微笑みを取り戻し、インターホンに笑いかけた。
「私たちは正真正銘、あなたのおっしゃっている旅の者ですが。それでは、どうしましょうか。私たちはこのまま帰ってもいいのですが。あなたは本物の用心棒を追い払って、刺客にどうやって対処なさるおつもりですか」
【証拠だ!】
インターホンから聞こえる声は、割れている。アールグレイは、少し身を引いた。
「証拠、ですか。どのように示せばよろしいですか」
【……】
インターホンの向こうが沈黙する。アールグレイは、口元に笑みを浮かべたまま、しかし、隠しきれない冷ややかな目をインターホンの向こうにいるはずの人物に向ける。
「メールを見せたらいいんじゃないか。あんたが送ってくれた依頼のメールがこっちに残っている」
カモミールの発言に、アールグレイが笑顔になる。
「それはいい。どうです、依頼人のお方。……ダージリン」
「はい」
カモミールが、アールグレイの顔を睨んでいることに気づいているのかいないのか、ダージリンは、携帯を操作して、メールの文面を画面に映す。インターホン越しにも見えるように、ダージリンは携帯画面を調節した。
【確かに……。確認しました。しかし、これが偽装されたのではない証拠はありますか】
「あなたが書いた文面のままだろ。一言一句偽装するなんてできないし。俺たちはそんなに暇人じゃない」
【それなら、ハッキングしたのでは。通信回線に侵入し、盗み見たのではないですか】
「あり得ない。依頼を盗み見た上に、実際に依頼を受けに行くって? 俺たちの仕事を横取りして、何が楽しいんだよ。そもそも、俺たちはハッキングなんてしない」
カモミールが反論するが、インターホンの向こうは言い返す。
【それが分からないのです。口では何とでも言えるでしょう】
「しかし、私たちとしても、これ以上の証明方法を持たないのですよ」
アールグレイが困ったように笑う。
「確実な身分証明の手段があればいいのですが、あいにく、私たちは旅の者でして。旅人は身分証明書など持ち歩きません。信じていただけないのなら、私たちの出る幕もないということになりますね。さて、どうしましょうか。私たちは、このまま帰ってしまっても構わないのですが」
【それは】
「あなたのメールは暗号化がなされていました。これを突破してメールを読むことは困難です。つまり、メールが偽装ではないと考える十分な根拠になりはしませんか」
【……】
「もっと疑うのでしたら、こういうのはどうでしょうか。メールのことを言い出さなかった私は、二人とは先ほど会ったばかりで、適当に話を合わせているだけだと」
アールグレイは顎を上げる。
「それでは、私が初めからあなたと話をしていることに、他の二人が何も言わなかったことの説明はどのようにつけましょうか。他の二人は、出会ったばかりの私に、口答えせずに黙ってついてきているということですか」
【……これまでの依頼人はそれで認めてくれたんですか】
アールグレイが笑みを浮かべる。
「あなたほどの疑り深い依頼人は初めてですよ。普段は、私たちが訪ねていけば、すぐに依頼内容をお話ししてもらえますよ。もし疑う人がいても、メールを見せれば、納得してもらえます。カモミールも言っていましたが、私たちが刺客なら、依頼を正面から受けにくるより、背後から襲った方が簡単に目的を達成できますからね。そうでしょう?
疑う必要もなく疑うことに、何の意味がありますか」
【……分かりました】
暫くの沈黙の後、依頼人は説得されたようだった。
【今、門を開けます】
邸宅の玄関を開いてくれたのは、腰まである長い亜麻色の髪に、足首まであるベージュの長いスカートを穿いた柔らかで素朴な印象の女性だった。白いシャツに、スカートと同じ色の短いネクタイを合わせている。
彼女は、三人に目を留めると、一礼する。
「ようこそいらっしゃいました。私は、ラッセル様の秘書をしております、メイビーンと申します。先ほどはラッセル様がご無礼をいたしました。申し訳ありません」
「構いません」
アールグレイは、微笑んでかぶりを振る。
メイビーンは、一歩身を引くと、片手で部屋の奥を指し示す。
「こちらへご案内します」
三人は、歩き出したメイビーンについていく。
邸宅の内部は、装飾が少なく、床は落ち着いた焦げ茶色の木目だった。
ダージリンは、壁の下方に目を留める。電飾が届きにくいため、目立たないようにはなっていたが、細かい傷がいくつもついているようだった。気がついてみると、長い廊下の至る所に傷がついている。大きな邸宅では、修繕するのも大変だから、放っているのだろうか。
一つのドアの前で、メイビーンは立ち止まる。メイビーンは、ドアをノックした。
「ラッセル様、お客様がご到着です」
部屋からは、返事がなかった。暫く主の声が聞こえないか窺っていたメイビーンは、三人に向き直ると、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんが、ラッセル様は、お部屋から出ないようです。音声電話での面談となりますが、構いませんか」
「ええ」
メイビーンは、隣の部屋の鍵穴に鍵束から一本の鍵を選んで回し、三人を部屋に招き入れた。その動作は流れるようにスムーズだった。
部屋には、ソファが二つ、向かい合わせに置かれており、その間に、ガラスのテーブルが据えられている。壁紙はベージュ色の無地。広いのに、殺風景な部屋だった。最低限必要なものは置かれているが、生活感がない。
「どうぞ、お掛けになってお待ちください」
メイビーンが、ソファを指し示して、部屋を出て行こうとする。
「ええ。ですが、その前に」
アールグレイがメイビーンに笑いかける。
「いつまでこんな茶番をやっているおつもりですか」




