11.証拠
ダージリンとカモミールは、先ほど歩いてきた道を引き返していた。アールグレイは、車内に一人残したままだ。
二人は、先ほど射殺した刺客の元に向かっていた。メイビーンに刺客を殺害した証拠を持ち帰る必要があったためだ。
それにしても、この森は嫌な感じがする。
カモミールは辺りを見回す。
実在しているように見えるのに、幻想であるかのような不気味な雰囲気だ。カモミールは、この森と似た場所を知っていた。以前、その場所にいたからだ。
「なあ、ダージリン」
少し前を歩いているダージリンに、カモミールは声を掛ける。
「なんでしょう」
「この森、本当に実在するのかな」
「現実には確実に存在すると、僕には思えますが」
「そうか……」
「何か?」
ダージリンの問いに、カモミールはおずおずと口を開く。
「例えば、俺たちは幻覚を見せられている。本当は森なんかなくて、俺たちは住宅街の中を歩いているのかもしれない」
ダージリンは辺りを見回した。
「カモミールがそう思われるのでしたら、そうかもしれません。どちらにしろ、害がないのなら、心配する必要はないでしょう」
「まあ、そうだろうけどさ」
カモミールは笑う。
刺客は生前、この森では現式が使えないと言っていた。それは、一体何を意味するのだろうか。
ダージリンの思考は、刺客の姿を見つけたために、寸断される。
「ありました」
ダージリンの声に、カモミールが顔を上げる。
遺体は、先ほどと同じ場所に寸分も違うことなく横たえられていた。
ダージリンは、無表情で遺体の傍に向かう。その後ろを、カモミールがダージリンを盾にするようにしてついていく。
遺体の頭部付近には、血が溜まっているが、彼の表情は穏やかだった。痛みを感じる間もなく死んだのだろう。
カモミールは、一目、遺体を見た後、空に視線を投げる。灰色にくすんだ空を振り仰ぎ、数瞬目を閉じた。
ダージリンは、遺体の脇にしゃがみ込み、遺体の右手を手に取る。ダージリンの行動に気づいたカモミールが、顔をしかめた。
「何をしてるんだ」
「持ち帰るなら、手がいいでしょうか」
「は?」
カモミールが裏返った声を上げる。
「証拠品なら、写真でも撮ればいいだろ。まあ、それすらも悪趣味だけどさ……」
「いえ、写真では信用していただけないかもしれません。写真はいくらでも偽装できてしまいます」
「俺たちにそんな高度な技術はないだろ」
「確かにその通りですが、疑いの余地を残しておくと、報酬がいただけないかもしれません」
カモミールは、メイビーンの異常なまでの疑り深さを思い返し、溜息をついた。
「確かに、あのお嬢なら言いかねないか……」
「では、このまま引き渡すのが最もいいかもしれません」
「いや、それだけはやめよう」
カモミールは想像する。見知らぬ死体とキャンピングカーに乗るイメージ。車内は角材で埋まっている。運転席に座る自分。その傍ら、少し空いた空間に、ダージリンがカモミールの安全のために撃ち殺した人間がいる……。
事故りそうだ。
ダージリンはカモミールを見て、視線を逸らした。
「カモミールがそうおっしゃるなら、やめておきましょう」
カモミールは、血が通わなくなり、幾分変色した刺客の右手を見下ろす。
「でも、こんな手を持って帰っても、誰の手なのか分からないんじゃないか」
ダージリンは、一瞬沈黙した後、カモミールを振り返る。
「なんだよ」
カモミールが、ダージリンの視線の意味が分からずに動揺する。
「確かにその通りです」
ダージリンは、カモミールから視線を外し、遺体に向き直る。
「では、この方の所有物と一緒に持ち帰るのがいいでしょう」
ダージリンは、躊躇うことなく、遺体のポケットの中を探り出す。
カモミールは、自分の両手が徐々に冷えていくのを感じていた。手袋をしていても、寒さは消えず、ポケットに手を入れる。自分の身体が、小刻みに震えているのが分かった。それを、あまり認めたくはなかった。
ダージリンは、ポケットの中身を地面に丁寧に並べていく。小さな折りたたみ式の財布、煙草の箱、小型ナイフ……。
「これはアールグレイのために持ち帰りましょうか」
ダージリンが、小型ナイフを手に取ってカモミールを振り返る。カモミールは微妙な顔をする。
「駄目だろ。死んだ人間から物を盗っていくなんて」
「承知しました」
ダージリンは、あっさりナイフを地面に戻す。
「本気だったのか?」
カモミールが理解しがたいといった様子で眉を寄せる。
「こちらはどうでしょう」
ダージリンは、小型のモバイルバッテリーを手に取って、カモミールに見せる。
「それがどうしたんだよ」
「カモミールは、パソコンをよく利用していらっしゃるので、必要ではないですか」
「あのさ、さっきの俺の話聞いてた?」
カモミールが呆れたように声を出す。
「死んだ奴から物を盗るのは駄目なことなんだよ。窃盗罪な。生きてても、死んでても、物取りは犯罪だ。教えてもらわなかったのか」
ダージリンは、無表情にカモミールを見返す。
「有用な物は、無駄にしておくべきではないと教えてもらいました。物質であれ、精神であれ、磨けるものをそのまま放っておくのは、財の無駄遣いだと。存在している意味はないのだと」
ダージリンは、モバイルバッテリーを地面に戻す。
「しかし、カモミールがそうおっしゃるなら、僕は従います」
「それはアールグレイが言ったんじゃないだろうな」
「違います」
ダージリンは、証拠品を探しながら答える。
「僕がアールグレイやカモミールと出会う、ずっと前です」
カモミールが、何かを言いかけて、黙り込む。
ダージリンは、表情を変えずに、刺客の財布を手に取った。中身を確認する。中には、紙幣が数枚と、数枚のカードがしまわれていた。
「先に行っておくとだな、現金もクレジットカードも人の物だから盗ったら駄目だぞ」
「カモミール」
ダージリンの声に、カモミールは口を閉ざす。
「何だ」
「これは、この方の身分証明ではないですか」
カモミールは、ダージリンが差し出すIDカードに顔を近づけた。手帳を開いた右側には顔写真が印刷されている。ダージリンが、倒れている刺客がかけたままだったサングラスを外す。写真と同じ顔の人物の死に顔が現れた。
「フェレス、か……」
カモミールが、IDカードに記載された名前を読み、カードの写真と刺客フェレスの顔を見比べる。
「何かの組織に所属していることを示すカードか。でも、どこの所属かは分からないな。こういうものって、所属組織名も一緒に明記されているんじゃなかったっけ」
「はい」
ダージリンが、カモミールの言葉に頷く。
「しかし、所属組織名が書かれていないカードというものも、逆説的にたった一つの組織を表すことになります。他に名称が記載されていない組織がないと考えられるので。この手帳と手をメイビーン様にお渡しすれば、信用を得ることができるはずです」
「そうだな」
カモミールが顔を曇らせる。
「組織名が書かれていないカード……、やっぱり、こいつは現執者の組織に属しているのかな」
「僕の知る限りでは、現執者組織は一つだけです。その組織の一員である可能性が高いでしょう」
「それじゃあ、ラッセルは、現執者の組織に追われていたのか」
メイビーンが言っていた刺客を排除したとしても、組織に存在を知られてしまった以上、ラッセルは逃げ続けなければならないことになる。だが、そんなことは可能なのか? 相手は組織化された集団だ。多数の敵に、二人だけで対応できるのだろうか。
身体の震えが、再び襲ってきた。
ダージリンは、カードをロングコートのポケットにしまうと、カモミールに背を向けて、倒れているフェレスに向き合った。
「カモミールは先にお帰りいただいても構いません」
「なんで。証拠品を集めに来たんだろ」
「そうですが」
カモミールが、苛立ったように声を上げる。
「何で帰すんだよ。うっとうしいな」
「そうですか」
ダージリンは、カモミールの方を振り返らずに、腰に下げてきたハンティングナイフを取り出す。
「それならば、すみませんでした」
ダージリンは、ハンティングナイフをフェレスの右手首にあてがうと、地面に押しつけた。ダージリンの力によって、フェレスの手首は簡単に切断された。気温が低く、死後十数分経っていたこともあり、切断面からは、血がほとんど流れなかった。カモミールは、僅かに青ざめた顔で、その様子を見ていた。
ダージリンは、ナイフに付着した血を、地面の草で丁寧に拭うと、腰にナイフを差し直す。
切断面がやや不揃いな右手を、ダージリンは拾い上げて、ビニール袋に包み、カモミールを振り返る。
「それでは帰りましょう」
「その前に使える物はもらわないとね」
カモミールは、素早く背後を振り返る。車を停めていた方向に、アールグレイが佇んでいた。若干青白い顔をしているが、どこにも寄りかかることなく、一人で立っている。
「もう、大丈夫なのか」
カモミールが驚きの声を上げる。アールグレイは笑った。
「大げさなんだよ、二人とも。あれくらいで私は死ねない」
「アールグレイ、お前な!」
カモミールが大声を出す。
「何で自分から囮になるって言ったくせに撃たれてるんだよっ」
「失敗したんだ」
アールグレイが後頭部に手をやる。
「私のナイフ戦術は、接近戦じゃないと効果を発揮できない。だから、刺客が私にとどめを刺すために近づいてくる瞬間を狙う必要があった。そのときに、私はナイフを取り出して銃を握っている刺客の手首を切り落とす、という計画だったんだけど」
「撃たれた振りをするためには、実際に撃たれる必要があるだろ」
「掠らせたんだ。わざとだよ」
「現実には、やられっぱなしだったじゃねえか」
「私は計画を遂行中だった。それを、カモミールが足音を立てるから台無しになったんじゃないか」
「は? お前、俺が刺客に見つかってなかったら、確実に撃たれてたんだぞ。額に銃口を突きつけられて、それでも回避できるなんてあり得ないだろ。何やってんだよ。自分の力を過信しすぎだっての」
「カモミールだって、ダージリンに助けてもらわなかったら死んでいただろ。自分のことを棚に上げられるのかな?」
「うわー、鬱陶しいっ」
カモミールが本気で嫌がる。アールグレイがその様子を見て笑う。ダージリンは、二人の様子を見ているだけで、顔も動かさず、何も言わなかった。
アールグレイは、森の中で抱いた違和感を思い出す。刺客が、現式を出せないと言っていたことも気がかりだった。
カモミールが、半目でアールグレイを指さす。
「次からは仕事を分担させろよ」
「ははは……」
「証拠品は切り取りました」
ダージリンがフェレスの右手首を掲げて、アールグレイによく見えるようにする。
「ああ、そうそう。証拠品の回収をしていたんだったね」
アールグレイが話を逸らす。
「調子いい奴だ」
カモミールの声をアールグレイは無視して、ダージリンに笑みを浮かべる。
「身元が特定できる品はあったかな」
「こちらです」
ダージリンがIDカードをポケットから取り出す。
そのカードを見たアールグレイの顔から、一瞬笑みが消える。
しかし、次の瞬間にはもう、先ほどの笑みを取り戻していた。
「それなら、あの疑い深い依頼人にも納得してもらえそうだね」
アールグレイは、二人に背を向けて、車を目指す。
「それじゃあ、寒いから早く車に戻ろうか」
アールグレイは、一歩踏み出す。その身体が、斜め前方に傾いだ。カモミールが気づいて、駆け寄ろうとしたときには、ダージリンがすでにアールグレイを支えていた。
「大丈夫ですか」
ダージリンが無表情で訊く。
「私の心配はしなくていい」
アールグレイは、ダージリンを突き放し、一人で車に向かって歩き出す。
アールグレイは、先ほど見たばかりのIDカードを思い返す。
間違いない。
私は、あのIDカードをよく知っている。何度も見たことがあるのだ。もう二度と見たくはなかった存在。それでも、いつかは見ることになるだろうとも考えていた存在。
ああ、どうせ、逃げられないのか。
ダージリンは背後から、注意深くアールグレイの背中を見つめていた。




