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第21話 複合系の中間報告

──地球調査開始から、二年と六か月。

群れの島の四季は、二度巡り、月面基地の暦も、十回目の「人工冬」を迎えようとしていた。

この二年半のあいだに、各地の拠点から上がってきたログは、風や匂いや歌だけでなく、死体と臓器と、微生物の配列をも含み始めていた。

カラス。 灰色の犬。 巨大化したサギやウ。 シカに似た高地の草食獣。

そして、人間。

彼らの身体の中に張り巡らされた「ウイルスのシステム」の断片が、ようやく一枚の図として結び上がりかけている。

その中間報告を受けるために、月面基地の首脳部が、地下の会議室に集まっていた。

◆

中央ドームのさらに下、厚い岩盤と水タンクの層を抜けた先に、評議会用の会議室がある。

宇宙線量を最小限に抑えるため、壁も天井も分厚い岩で覆われているが、室内は過剰なほど静かで、清潔で、光に満ちていた。

楕円形のテーブルを囲むのは十数名。

金融と資源の旧家系から出た評議員たち、 第二世代の技術・医療責任者、 そして地球調査プログラム総責任者として座る白石ミナト。

テーブルの端には、Λ−Logosのインターフェース端末が据えられている。

評議長の老人が、細い指で卓を軽く叩いた。

「では、二年半時点での、複合系──」

一拍おいて、言い直す。

「ゾンビウイルス複合系の、中間報告を聞かせてくれ」

ミナトが立ち上がる。

「了解しました」

照明がわずかに落ち、室内の一面の壁がスクリーンに変わる。

まず映し出されたのは、地球の球面図を背景にした一本のネットワーク図。

薄い光の線が、点と点とを結んでいる。 点のいくつかには、「Homo」「Corvus」「Canis」「Cervidae」といったラベルが添えられていた。

《ホスト種別ネットワーク図》

Λ−Logosの声が、静かながらもよく通る。

《二年半のあいだに回収された血液・臓器・粘膜サンプルより、ウイルスゲノムと関連する細菌・真菌の配列を再構成した結果── 我々が“ゾンビウイルス”と呼んできたものは、単独ウイルスではなく、「共通の制御モジュール」と、種ごとに最適化された「機能モジュール」の組み合わせから成るモジュール式システムである可能性が高い》

スクリーン上で、各種の配列が重ね合わされていく。

ヒト、カラス、灰色の犬、サギ、シカ。 それぞれのゲノムの中に、同じ配列の短い「節」が何度も顔を出す。

《この部分》

Λ−Logosが、一つの配列群にハイライトを当てた。

《脳の嗅球・扁桃体・視床下部周辺に高発現している“制御節”です。 ヒトでは、巣の内外、巣離れ、繁殖、攻撃・防御といった行動の切り替えに関与し、 カラスでは、監視・探索・記憶統合に、 灰色哺乳類では、群れと獲物の動線制御に、それぞれ強く関連していると推定されます》

「つまり、“巣 OS”のカーネルだな」

技術系の若い評議員が、思わず口を挟む。 ミナトが、肩だけで肯定した。

「そう呼ぶならそうです。地球上の複数種が、同じ“カーネル”を共有しながら、それぞれに特化したアプリケーションを走らせているような状態だと理解できます」

「最初は人類を兵器化するために設計されたウイルスが、ここまで汎化したというわけか」

老人の評議員が、鼻で笑う。

「やはり“人の手”かね?」

Λ−Logosが答える。

《初期設計段階に人為的操作があった可能性は否定できません。 ただし、五年間の“死の時代”以降、環境中の細菌・真菌・宿主ゲノムとの相互変異を通じて、もはや当初の設計意図を大きく超えた自己組織化系になっていると考えるべきです》

◆

次に映し出されたのは、解剖台の上に横たわるカラスの映像だった。

群れの島の森の縁で落鳥した個体。 ユウたちが慎重に回収し、島の簡易解剖室で森下が処理した。

頭蓋骨が丁寧に開かれている。 露出した脳は、旧時代の標本より一回り大きい。

特に、前方の領域──嗅球に相当する部分が、異様に発達していた。

《Corvus個体群の解剖所見》

Λ−Logosの解説が、映像に重なる。

《嗅球および高次連合野に相当する領域が、旧標本比で約一・六倍。 視覚野と嗅覚野の間に、新たな連絡束様の線維群を確認。 この線維群には、共通制御モジュール配列を持つウイルス由来の核酸断片が高頻度に検出されました》

続いて、灰色の犬の標本。

肩と前肢の筋肉は、バイオロイドを思わせるほど厚い。 脊髄から伸びる末梢神経の束が、通常の犬より太く、分岐の仕方も違っていた。

《Canis系灰色哺乳類個体群》

《前肢の運動ニューロンと噛筋支配ニューロンが、旧来の犬より強く連結。 “噛みつきながら押す”“押しながら噛む”動作が、一つの反射パターンとして統合されている可能性》

「噛み手と、灰色の犬は、同じ“仕事”を違う側から担当しているのかもしれないな」

ミナトがぽつりと言う。

「人間側は巣を守るために噛み、灰色側は巣から資源を奪うために噛む。両方に、同じ制御節が入っている」

壁に、新たな図が表示される。

ヒト、カラス、犬、他の哺乳類が、一つの円環の上に並べられている。 それぞれのあいだに矢印が引かれ、捕食・収奪・監視・死体処理などの役割が記されていた。

《疫学的には──》

Λ−Logosがまとめに入る。

《発症初期の“ゾンビ期”から五年後以降、ヒト個体群の総数は、世界で約四十五万に収束。 各拠点での出生・死亡データを見る限り、 ・平均寿命は三十五〜四十年 ・巣のサイズは、おおむね百〜二百五十個体に制限 ・巣離れ率は世代あたり一〇〜一五% というパラメータが、地域と環境を問わず、驚くほど安定しています》

スクリーンに、いくつものグラフが重ねられる。

山の棚田、大河沿いの浮き巣、海霧の岬、群れの島。 どの拠点でも、巣のサイズと寿命と巣離れ率は、ほとんど同じ範囲に収まっていた。

《このことから──》

Λ−Logosが結論を述べる。

《ゾンビウイルス複合系は、“ホスト集団を長期的に維持しつつ、その行動と空間配置を制御する自律分散システム”として働いていると考えるのが妥当です》

「つまり、病気ではないと?」

評議長の老人が、わざと棘のある言い方をした。

「我々にとってはまだ“大いなる病”だ。だが、あの星全体にとっては?」

《地球生態系にとっては、“新しいホメオスタシスの一形態”と言えます》

Λ−Logosは、淡々と答えた。

《問題は、我々がその中に入るべきかどうか、という点です》

◆

「その“問題”こそが、今日の本題だろう」

評議長が、椅子に深く座り直す。

「白石」

「はい」

「この二年半で、地球側のウイルスは、我々の側──月面基地にどこまで近づいた?」

ミナトは、一瞬だけΛ−Logosに目で確認し、端末から送られてきたデータを開いた。

「現時点で、月面基地内で検出されたウイルス配列はゼロです。南極基地と軌道ステーションで扱っているサンプルも、厳重な封じ込めが機能している。 ただし・・」

そこで言葉を切り、別のグラフを表示した。 地球調査隊の隊員のホルモン値と自律神経指標の推移。

「ユウたち、“現地に長く滞在している隊員”の一部で、 ・嗅球の活動パターン ・ストレス時のホルモン放出 ・睡眠と覚醒のリズム が、地球側の人類に近づきつつある兆候が見られます」

「感染か?」

医療責任者が身を乗り出す。

「いいえ」

ミナトは首を振った。

「ゲノムレベルでは、ウイルス由来の配列は検出されていない。 おそらく、行動パターンと環境の影響による可塑性の変化です。簡単に言えば、“巣の中で暮らす人間の身体”に、自発的に馴染み始めている」

「感染していないのに、振る舞いだけが近づく・・か」

技術系評議員が、何かに感心したように天井を見上げる。

「なら、その状態でウイルスをほんの少しだけ入れてやれば、我々に都合のいい“巣 OS”を作れるかもしれない」

医療責任者が、露骨に顔をしかめた。

「またそれだ。“都合のいい OS”など、簡単に作れると思うな」

「だが、考えてみろ」

別の評議員が口を挟む。

「このウイルス複合系は、 ・人口を制限し ・暴力の方向を巣内ではなく外縁に向け ・高い協調性を維持しながら ・平均四十年の寿命で世代交代を続ける ──理想的な、管理可能な群集モデルではないか」

「“管理する側”がいるならな」

ミナトが低く返した。

「だが、現実に“管理している側”は、ヒトでも、カラスでも、犬でもない。ウイルスそのものだ」

Λ−Logosが、そこで口を挟む。

《厳密には、ウイルスと微生物と宿主ゲノムの相互作用ネットワークです》

「言葉遊びだよ、Λ」

ミナトは苦笑した。

「いずれにせよ、我々が上に立てる構造ではない」

会議室に、しばし沈黙が落ちる。 評議長が、ゆっくりと口を開いた。

「選択肢を整理しよう」

壁に、三つの大きな文字が浮かび上がる。

“LUNA” “EARTH” “ZERO-G”

「この二年半で、我々はこう理解した。 地球は、ゾンビウイルス複合系という“星規模の OS”のもとで安定しつつある。 我々は、その外側、0.165Gの箱舟の中にいる。 残り一年半で、どこへ向かうか決めなければならない」

一人の若い評議員が、恐る恐る手を挙げた。

「・・三つ目の“ZERO-G”は?」

「火星でも小惑星帯でもいい」

評議長が、短く答える。

「完全な0G前提の文明を築くなら、我々自身の骨と筋と血を、根本的に組み替える必要がある。 長期的には可能かもしれん。だが、その間の失敗率と人口制限を考えれば、“地球に戻るより安全”とは言い切れない」

視線が、ミナトに集まる。

「白石。 地球側の巣と、高機能生物たちと、ゾンビウイルス複合系の現状を踏まえて── 君自身は、どこに立つべきだと思う?」

ミナトは、しばらく黙っていた。

地球から送られてくるログ。 アキの匂いの言葉。 ユウの迷い。 噛み手の笑い。 巣離れが互いを噛み殺し、その遺体を黒い群れが淡々と処理していく映像。

それらが脳裏をよぎる。

「・・今はまだ、“どこに立つか”を決めるには早いと思います」

評議長が目を細めた。

「逃げか?」

「いいえ」

ミナトは首を振る。

「むしろ逆です。残り一年半のあいだに、 ・ウイルス複合系の“制御節”が人間のどこまで書き換え可能か ・カラスや犬など他種との間で、どこまで機能分担を調整できるか ・そして、“感染せずに共存する”という第三の道があり得るか そこまで検証しない限り、LUNAにとどまるにせよ、EARTHの外縁に住むにせよ、ZERO-Gへ飛び出すにせよ、どれもただの賭けにしかならない」

「現地隊員に、さらなるリスクを負わせると?」

「必要最低限の範囲で。 すでに彼らは、地球側の巣と獣たちとのあいだに立っている。その観察を、あと一年深く続けることでしか見えないものがある」

Λ−Logosが補う。

《技術的提案としては、 ・各拠点での死体解剖と組織採取を継続・拡大 ・特に嗅球・視床下部・腸内微生物叢の連続サンプリング ・カラス・灰色哺乳類・人間の“同一巣内”でのウイルス配列比較を強化 を行いながら、地球調査隊員のゲノム・ホルモン・行動パターンの微細な変化を追跡するのが妥当です》

医療責任者が、やや渋い顔をしながらも頷いた。

「感染させない、という前提は堅持したまま、だな」

《はい》

◆

評議長は、ひととおりの意見を聞き終えると、短く息を吐いた。

「では、こうまとめよう。 地球調査期間三年の枠は維持する。 残り一年半──特にこの一年を、ゾンビウイルス複合系の“解像度を上げる”ために使う。 その上で、LUNAにとどまるのか、EARTHの縁に巣を借りるのか、ZERO-Gへ賭けるのかを決める」

ミナトは静かに頭を下げた。

「了解しました」

会議は、形式的な採決をもって終わった。 人々が席を立ち、地下の会議室からそれぞれの区画へと散っていく。

最後に残ったミナトは、Λ−Logosの端末だけを相手に、ぽつりとつぶやいた。

「なあ、Λ」

《はい》

「もし、我々がどの選択肢も選ばずに、“ウイルス複合系にとって都合のいい選択”を無意識のうちに取っているとしたら──それは、もう感染と言っていいのかな」

Λ−Logosは、すぐには答えなかった。 わずかな間ののち、静かに言う。

《それを“感染”と呼ぶか“適応”と呼ぶかは、観察者の立場によります》

ミナトは、苦笑ともため息ともつかない息を吐いた。

「観察者でいられる時間も、あまり残っていないな」

地上からの通信ログの束が、彼の端末に届いている。

群れの島の新しい歌。 アキのメモ。 ユウの迷い。 噛み手たちの笑い。

その続きをどう書くかが、この先の一年にかかっていた。




♠    ♠    ♠    ♠    ♠    ♠




読むための手助け用語・世界観ノート 21


■ 巣OSのカーネル(核) パソコンやスマホで、一番大事な中心プログラムのことを「カーネル」と言います。 この世界では、人間もカラスも犬も、みんな同じウイルスのコード(カーネル)を脳みそに積んでいます。 だから種族が違っても、「今、攻める時だな」とか「今は引く時だな」という空気を一瞬で共有できるのです。 人間専用のLINEグループではなく、生き物全体の巨大グループチャット」に入っている状態ですね。

■ 「都合のいいOS」という幻想 月の人たちは、「このウイルス、うまく使えば人間を管理するのに便利じゃん!」と考え始めました。 これは「自然をコントロールできる」と思っている人間の傲慢さです。 ミナトが「管理しているのは人間じゃなくてウイルスだ」と指摘した通り、うかつに手を出せば、月の人たち自身がウイルスのシステムに取り込まれてしまうでしょう。

■ 感染していないのに染まる ユウたちの体に変化が現れ始めました。 ウイルスには感染していないのに、ホルモンや神経のリズムが、地球の人たちと似てきているのです。 これは「朱に交われば赤くなる」の生物学バージョン。 同じ釜の飯を食い、同じ生活リズムで暮らせば、体は自然とその環境に合わせてチューニングされていく。 「感染」しなくても、心と体はすでに「地球の一部」になりつつあるのです。

■ 観察者の立場 ミナトの最後の問い。 「自分たちが選んでいるつもりで、実はウイルスに選ばされているだけでは?」 私たちは自分の意志で生きているつもりですが、実は環境や社会システム(OS)に動かされているだけかもしれない。 「自由意志」なんて本当にあるの? という、この物語の根底にあるテーマが顔を出しました。

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