第九話 降伏命令
西暦2507年10月7日
アルヴィオン星系外縁の亜空間
王国宇宙軍ネレイド級潜航艦〈カリュプソー〉
帝国軍が王国空母の発見と撃沈に興奮が冷めやまぬ中。
王国宇宙軍の標準型潜航艦、ネレイド級の5番艦〈カリュプソー〉は、静かにその足元に忍び寄っていた。
艦長であるノイマン大佐の指揮の下、彼らは帝国軍侵攻部隊の中枢に迫りつつあった。
「目標との距離、26万」
静まり返った発令所に、因果士の声が響く。
「敵空母、針路変わらず」
「護衛艦は?」
「巡洋艦2、駆逐艦6、フリゲート多数。ただし潜航艦の反応はありません」
因果士の推測に対し、ノイマンは艦長席に座ったまま答えた。
「油断するな。周辺には確実にいると考えろ」
「はっ」
ノイマンはそう言って部下の因果士を引き締め、眼前の戦術ディスプレイに目を通した。
目標である大辰帝国第7艦隊旗艦、航空母艦〈山城〉との距離は、縮まりつつあった。
全長六百メートルを超える帝国軍最大級の航空母艦。この戦争において、王国宇宙軍が沈めることのできる最も価値の高い目標の一つだった。
そして今、〈カリュプソー〉はその〈山城〉を撃てる位置に付きつつあった。
ここへ辿り着くまで何度も敵警戒網の間を抜け、レイヤーを細かく変更しながら、フリゲート艦の対潜探知網の隙間を一つずつ抜けてきた。
一度でも航跡を拾われれば終わりの極限状態。それでもノイマンは、持ち前の技術だけで〈山城〉の近くまで単艦で潜り込んでいた。
「遷移率」
「現在0.0A/c」
「現実保持」
「正常」
「魚雷は?」
ノイマンの問いに対し、水雷長が答える。
「一番から八番管、装填完了です」
「よし」
ノイマンは正面を見た。
亜空間から探知できる通常空間の航跡には誤差がある。だからまだ撃たない。撃つ前に最終確認をするのは彼らも同じであった。
「センサー浮上準備」
「了解。センサー浮上準備」
そして亜空間に潜航している〈カリュプソー〉から、通常空間観測用のセンサーヘッドが展開される。
そのうちのほんの一部を、この亜空間から出して一瞬で戻す。その腹積りだった。
「境界同期」
「同期完了」
「センサー浮上」
「浮上します」
そしてほんの一瞬、何もない宇宙に、細い空間の裂け目が生じる。そこから〈カリュプソー〉の小型の観測装置だけが姿を現した。
「通常空間取得」
「目標捕捉!」
そして得られた情報をもとに、表示が更新される。
多数の艦艇に守られた巨大な反応が一隻。こんなの、間違えようがない。
「距離24万8000」
「敵艦速度一定。こちらへの探知反応なし」
その報告を受け、水雷長がノイマンを見た。
「艦長」
ずっと待ち続けてきた瞬間だった。
敵はこちらを知らず、射線も通っている。距離も十分。これなら全弾空母へ同時に叩き込める。
「射撃諸元入力」
「入力」
「一番から六番、外扉同期」
「外扉同期開始」
魚雷は全発射管に装填済み。黄色だった表示が表示が次々と緑へ変わり、いつもの発射前号令を行う。
「船よし」
「因果率よし」
「武器よし」
「全てよし」
確認完了。
あとは一言、ノイマンが発射の号令を出すだけでいい。
しかし、その時だった。
「艦長」
聞こえたのは、通信士の声だった。
ノイマンの眉が僅かに動く。
「今は通信封鎖中だぞ」
「緊急通信です」
「優先度は?」
「特級です」
ノイマンは数秒黙った。
「読め」
「はっ。王国宇宙軍総司令部より、全軍へ」
発令所にいた全員が耳を向けた。
をアルヴィオン政府は、大辰帝国政府との停戦協議を受諾。……全王国軍部隊は、現時刻をもって全ての攻撃行動を停止」
その言葉が発せられた一瞬、誰も動かなかった。いや、動けなくなっていた。
ノイマンの目の前には、まだ敵の空母〈山城〉がいる。これを撃沈すれば、戦争は終わる。
「潜航艦艇は通常空間へ浮上し、武装封鎖の上、指定された集結地点へ移動せよ……以上です」
発令所の空気が変わった。
水雷長が振り返った。
「艦長……」
誰も続く言葉を口にしなかった。
〈カリュプソー〉はすでに魚雷の発射準備が完了していふ。
今なら撃てる。恐らく帝国側は、こちらの存在にまだ気づいていない。
撃てば、〈山城〉を沈められる可能性がある。いや、撃沈できる可能性まであった。
少なくとも確実に甚大な損害は与えられる。そうなればこの戦争の形勢は逆転する。
「艦長!」
水雷長がもう一度言った。
「まだ射撃できます! 発射の指示を!」
ノイマンは何も答えなかった。彼は答える代わりに表示を見た。
完璧な射撃位置だった。ここまで来るために、何時間も潜って何度も敵の警戒網を抜けた。
部下達も、この一撃のためにずっと待ってくれていた。
「……艦長」
ノイマンは静かに息を吐いた。
「全発射管、閉鎖だ」
発令所が静まり返った。
水雷長の表情が明確に動き、ノイマンを見た。
「……よろしいのですか?」
「政府が降伏した」
「艦長、ですが!」
当然納得していないのか、若い士官の一人が思わず声を上げた。
「今なら敵空母を!」
「撃つのか? 政府が降伏した後に?」
「……!」
ノイマンは怒鳴らなかった。
ただ淡々と言った。
「我々は軍人だ」
「……」
「戦争を始めるのも、終わらせるのも、軍人が勝手に決めることではない」
水雷長が俯く。
「発令所より発射管室へ。発射管を閉鎖せよ」
水雷長の言葉に応答が返ってくるまで、数秒の沈黙があった。
そしてしばらくして、発射管室の乗員らのやるせない気持ちのこもった声が返って来た。
『……一番から八番、外扉閉鎖』
『了解。魚雷を安全化します』
「射撃諸元消去」
その操作により、画面の表示が一つ、また一つと、射撃前の状態へ戻っていく。
「センサー収納」
「了解」
その途端、〈山城〉を映していた映像が消えた。
通常空間へ出していたセンサーヘッドが、再び亜空間へ沈む。完璧だった射撃機会は、それで終わった。
「通常空間浮上準備」
ノイマンが命じる。
「指定地点へ向かう」
「……了解」
発令所の誰も、その命令を喜ばなかった。
だが誰も逆らわなかった。そして潜航艦〈カリュプソー〉は、ゆっくりと浮上準備を始めた。
ノイマンは正面を見たまま、ほんの数日前に軍港で交わした友人との会話を思い出していた。
「……レイ」
小さく呟く。
あの男は今、どこを潜っているのだろう。
同時刻
レイヤー4 表層
深層試験潜航艦〈エデン〉
その頃、長期間のレイヤー4への潜伏を続けていた〈エデン〉の方でも、その異変が察知できた。
「……おかしい」
発令所でイリスが呟いた。
レイヤー4で待機を続けていた〈エデン〉では、外部情報がほとんど入っていなかった。
王国軍からの通信もない。通常空間で何が起きているのか、帝国軍がどこまで侵攻したのか、戦況がどうなっているのかは全く分からない。
しかしそれでも、亜空間の動きだけは見えていた。
「何がおかしいの?」
「味方潜航艦の動き」
アリシアが訊くと、イリスは因果探知画面を拡大した。
実際に潜ってみて分かったことだが、レイヤー4からから直接上層にいる艦を詳細に把握することは難しかった。
だがイリスの執念の探知により、大きな航跡の変化ならある程度把握することができた。
「これは、さっきまで動いてた味方艦」
「うん」
「それが……」
時間を送ると、一つ反応が消えた。
アリシアの表情が変わる。
「撃沈された?」
「違う」
「じゃあなんで?」
「通常空間へ浮上した」
「自分から?」
「多分」
それと同じように、これまで亜空間内で散発的に動いていた王国潜航艦の位相反応が次々と消えていた。
撃沈された艦の消え方とは違う。強制的に弾き出されたわけではない。
規則正しく、次々と通常空間へ戻っている。
「……何でだよ」
ルカが訊いた。
「戦闘中だろ? 潜航艦がわざわざ顔を出すはずがない」
誰も答えない。
だが軍人なら、ある程度の経緯が想像できた。
「一斉浮上命令」
カイが徐にそう言った。
「……かもしれない」
その言葉に、アリシアの胸がざわつく。
なんのために?とは誰も言わなかった。いや、言いたくなかったのだろう。そんな命令が出る経緯は一つしかない。
その間レイだけは、いつも通り正面を見ていた。
「副長、深度をレイヤー3まで上げるぞ」
「艦長?」
アリシアが振り向く。
「通信を受けるんですか?」
「状況確認が必要だ」
「ですが機密保持命令は──」
「前提となる状況が変わった可能性がある」
レイは静かに言った。
「まずはそれを確認する」
「……了解」
その言葉を受け、ノエルが航法システムを操作。深度を維持から浮上に切り替える。
「レイヤー4.0より浅度変更」
『リング出力調整、問題ありません』
同時に、機関室からグレンの声が入った。
艦がゆっくりとレイヤー3へ浮上さていく。
「因果保持正常」
「現在深度、3.9、3.6、3.3……」
ノエルが深度を刻む。
そしてレイヤー3.0付近に到達した時、ルカのコンソールの方でも変化があった。
「通信環境、回復しました」
それとほぼ同時だった。
ルカの端末に、大量の受信通知が流れ込む。
「うわっ……!」
「どうした?」
「通信です!」
それまで深層によって遮られていた通信が、一気に〈エデン〉へ押し寄せてきたのだ。
「えっと、王国軍総司令部に、政府から各艦隊、民間緊急通信まで……」
「優先度の高いものから報告しろ」
「了解です」
艦長の指示を受け、ルカが高速で整理していく。そして、彼の表情が変わった。
「……艦長。最優先通信があります」
「読め」
ルカが表示を開く。
そして、止まった。
「……ルカ?」
アリシアが訊くが、ルカは固まって何も言わない。
全員が通信席を見る中、レイがもう一度命じる。
「通信、どうした? 読み上げろ」
「……はい」
ルカはゆっくりと、その文面を読み始めた。
「王国宇宙軍総司令部より、全軍へ。アルヴィオン政府は、大辰帝国政府との停戦協議を受諾」
アリシアの表情が止まる。
「本国政府は、これ以上の戦闘継続は民間人および国家基盤への損害を増大させるのみと判断。現時刻をもって全軍へ戦闘停止を命ずる……」
「……え?」
誰かが、小さくそんな声を漏らした。
「全王国軍部隊は武装を封鎖。通常空間へ帰還後、指定地点において大辰帝国軍の指示を待て」
通信は続く。
だが、アリシアには途中からよく聞こえなくなっていた。
「……降伏?」
そして自分の口からその言葉が出た。
実感がない。このほんの数日前、士官学校を卒業して、任官されて、訓練航海に出ただけである。
まさか、その間に──
「王国が、降伏……?」
ノエルも、いつもの柔らかな表情を失っていた。ルカは呆然としていた。カイは何も言葉を発さない。イリスでさえ、端末を見たまま動かなかった。
やがて、アリシアはレイを見る。
「艦長」
その間、レイは相変わらず表情を変えていなかった。
「どう、しますか……?」
「進路を変更する」
「……つまり、私たちも」
アリシアは、言葉が詰まった。
「降伏……するんですよね?」
レイは答えない。彼は表情を変えないまま、数秒だけ戦域図を見ていた。
そして──
「航法長」
「……はい」
ノエルが反射的に返事をする。
「進路変更」
「……はい。帰投地点を入力します」
「違う」
その言葉に、ノエルの指が止まった。
アリシアがレイを見る。
「では、どこへ?」
「セレスティア星系へ」
空気が変わった。
「……セレスティア?」
アリシアは聞き返した。
王国第二の居住惑星。つまり自分達が数日前までいた星だった。
「最新情報では、まだ帝国軍の部隊は到達していない」
「でも」
アリシアが立ち上がる。
「政府は降伏しました」
「ああ」
「全軍に戦闘停止命令も出ています」
「聞いた」
「なら、なぜセレスティアへ?」
レイがこちらを見る。
静かな目だった。
「艦長」
アリシアはもう一度問う。
「何をするつもりですか?」
レイ・アルスターはそれに対し、たった一言だけ答えた。
「命令を回収しに行く」
レイは迷うことなく、そう答えた。
アリシアには、その言葉の意味をまだ理解できなかった。




