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亜空間の楽園〜宇宙を潜る独立国家〜  作者: 篠乃丸@綾香
第一章 亡国の潜航艦
10/13

第十話 命令の回収

西暦2507年10月7日

アルヴィオン星系外縁

深層試験潜航艦〈エデン〉


「セレスティアへ向かう」


 王国政府の降伏命令を受信してから、まだ数分も経っていない。そんな最中に発せられたレイの言葉の意味など、飲み込めていない者が多かった。

 つい先ほどまで、自分たちは王国宇宙軍の軍人だった。今もそれ自体は変わらない。だが、その王国政府が大辰帝国への降伏を決めた。

 全軍には戦闘停止命令を出し、潜航艦には通常空間への浮上と武装封印、そして指定地点への集結が命じられている。

 ならば、本来なら〈エデン〉もそれに従うべきはずである。

 しかしレイが言った命令は、その道理から少し逸れていた。いや、何か別の意図があるように思えてならなかった。


「……艦長」


 アリシアは副長席から立ち上がり、まっすぐレイを見た。


「確認させてください。私たちは、降伏命令には従わないんですか?」

「命令には従う」

「……では、なぜセレスティアへ?」


 レイはすぐには答えなかった。

 代わりに正面の戦域図を操作し、ある惑星を表示した。

 王国首都惑星アルヴィオンと、第二居住惑星セレスティアの間を結ぶ複数の亜空間航路の図。そこに、あらかじめ引かれたような一本の航路の線があった。


「我々が最後に受けた個別命令を覚えているか?」

「個別命令……?」


 アリシアはすぐに思い出した。


「……"〈エデン〉は戦闘に参加せず、潜航状態を維持。敵による発見、拿捕を避け、機密を保持せよ"、ですね?」

「そうだ」

「ですが、その後に全軍へ降伏命令が出ています」

「戦闘停止命令だ」


 レイは淡々と言った。


「〈エデン〉を帝国軍へ引き渡せ、という命令ではない」


 その言葉に、アリシアが僅かに眉を寄せた。


「……理屈としては、そうですけど」

「本艦は国家機密指定艦だ。深層潜航技術、リング同期技術、因果観測装置、試験兵装。敵に渡してよいという命令は受けていない」

「だからって……」

「だからだ。このまま機密保持命令を継続する」


 返答に迷いがない。

 彼の決断はあまりにも早かった。

 政府降伏という、本来なら軍人として一度は立ち止まるはずの事態。それなのにレイは、まるで最初からこの状況を想定していたかのように、次の行動へ移っている。

 アリシアはそのことに、僅かな違和感を覚えた。


「では、セレスティアへ行く理由は?」

「命令の発令主体を確認する」

「発令主体?」

「政府機構が帝国占領下に入った以上、現在の命令系統がどこまで有効なのか確認する必要がある」


 レイは画面上のセレスティアを指した。


「最新情報では、セレスティアはまだ帝国軍の直接占領下にない」

「つまり……」

「命令を回収しに行く、というのはそういう事だ」


 先ほど聞いた言葉だった。

 アリシアは今度こそ、その意味を理解しようとした。

 降伏した政府へ戻るのではなく、命令を回収する。まだ敵の手に落ちていない星へ行き、自分達が従うべき命令をもう一度確かめる。

 かなり強引な理屈だった。

 しかし、完全な詭弁とも言い切れない。

 確かに〈エデン〉が帝国軍の手に渡れば、王国が長年研究してきた技術の多くがそのまま流出する。

 それを防ぐこともまた、確かに命令だった。


「……分かりました」


 アリシアはまだ完全には納得していない。

 それでも今は副長として、次の命令を確認する必要がある。


「進路は?」

「最短で行こう」


 レイはノエルへ航法図を送る。

 彼女はそれを開くと、数秒固まった。


「艦長」

「何だ」

「この最短航路ですが……」


 ホログラム上に赤い警告表示が重なる。


「第7艦隊の展開予想地点を通ります」


 アリシアも表示を見る。

 先ほど受信した王国軍の情報によると、現在王国首都惑星アルヴィオンの周辺に大辰帝国の第7艦隊が集結しつつある。

 目的は降伏受諾と占領行政への移行、そして王国軍艦艇の武装解除であろう。周辺には降伏した王国軍艦艇の集結地点も設定されている。

 帝国側からすれば、すでに戦後処理へ入り始めている時期だった。

 そしてレイが設定したセレスティアへ向かう最短ルートは、その帝国艦隊のすぐ脇を横切る形であった。


「迂回しましょう」


 アリシアはすぐに進言した。


「別ルートなら時間はかかりますが、帝国軍と接触する可能性を大幅に下げられます」

「どのくらいかかる?」


 レイの言葉に、ノエルがすぐに計算する。


「最短で十九時間追加」

「却下だ」

「艦長!」

「セレスティアが十九時間後にも未占領という保証がない」

「ですが、第7艦隊の真横ですよ?」

「ああ」

「敵潜航艦だって残っています」

「理解している」

「それでも?」


 レイはアリシアを見る。


「勝算はある」


 それだけだった。


「……何をするつもりですか?」

「その時説明する」

「先に説明してください」

「時間が惜しい」

「艦長!」


 アリシアはレイを必死に呼び止めていたが、その時、グレンの笑い声が通信越しに入った。


『諦めろ副長。こいつは昔からこうだ』

「グレン機関長まで……」

『だがレイは何も考えずに言ってるわけじゃない。それだけは保証する』


 それが余計に不安なのだが。

 しかし、レイが無策ではないことはアリシアも感じていた。何か策があるなら、時間切れになる前に早めに行動するのは一理あった。


「……分かりました」


 アリシアは諦め、小さく息を吐いた。


「よし。航法長」

「はい」

「セレスティアへ最短航路で行くぞ。全身微速」


 ノエルは一瞬だけアリシアを見る。

 アリシアは覚悟を決め、小さく頷く。


「了解です」


 設定された航路をもとに、ノエルは船を操り始める。


「深度レイヤー3.1。位相ドリフト優先、全身微速。可能な限り航跡を残さず、アルヴィオン外周を抜けます」

「それでいい」


 〈エデン〉は進路を変えた。

 まるで、帝国第7艦隊そのものへ向かうように。











同時刻

首都惑星アルヴィオン軌道上

大辰帝国第7艦隊旗艦 航空母艦〈山城〉


 〈山城〉の艦隊戦闘指揮所には、これまでの戦闘時とは違う空気が流れていた。

 警戒態勢そのものは解除されていない。だが、戦術画面に表示されていた攻撃目標の多くはすでに消えている。

 王国軍艦艇は次々と武装を停止し、通常艦艇は指定された集結空域へ。潜航艦艇も亜空間から浮上し、帝国艦隊の監視下へ入っている。


「王国潜航艦、現在までに浮上したのは10隻です」

「全艦、発射管封鎖を確認。武装解除班は順次派遣中です」


 陸 承岳中将は正面の表示を見ていた。

 それと同時に、集結地点にもう一隻の王国潜航艦が浮上してきた。

 陸中将が確認を行う」


「今浮上したのは?」

「ネレイド級〈カリュプソー〉です」


 別の画面に、一隻の王国潜航艦が映る。

 その周囲には帝国フリゲート艦が複数配置され、監視を続けている。


「艦長は?」

「艦長のノイマン中佐以下、乗員は艦内待機中です」

「そうか」


 陸中将は短く答える。


「降伏した艦に余計な刺激を与えるな。乗員の武装解除も段階的に行え」

「了解」


 一方、その横で鄭 伯龍中将は、戦闘が終わったとは思えない顔で亜空間戦域図を見つめていた。

 まだ彼の目は鋭く、何かを気にしている様子である。


「鄭、なにか気になるのか?」


 陸中将が訊く。


「いや、少しな」

「王国軍に組織的抵抗能力はもうないぞ」

「それは分かってる」

「なら何だ」


 鄭は腕を組んだまま答える。


「……王国軍に限っては、まさか無いとは思うが」


 彼は一泊言葉を置き、真剣な表情で言う。


「奇襲を用心するに越したことはない」


 これには陸中将も、小さく笑ってしまった


「神経質だ」

「職業病だと言っただろ」

「潜航艦乗りは全員そうなのか?」

「生き残ってる奴は大体そうだ」


 そんな会話をしながら、鄭中将は戦域図を見る。

 降伏命令が発令され、大半の潜航艦は浮上した。

 だが、まだ大半だ。全部ではない。確認されていない船もまだ多数存在していた。


「浮上確認できていない艦は?」


 鄭中将が訊く。


「照合中です」

「急げ」

「はっ」

「降伏命令が届いていない艦もあるかもしれん」


 陸中将が言うが、鄭中将はこう言い返した。


「その可能性はある。浮上しないからといって敵対意思ありとは限らない」

「なら」

「だから、見逃すなと言っている」


 厳しい言葉を真剣な表情で言う鄭中将に、陸中将は少し困ってしまった。


「……何かいると思うか?」

「分からん」

「勘か?」

「潜航艦乗りの勘ほど当てにならんものもない。……しかしその当てにならん勘で、俺は何度も生き残って来た」


 陸中将は彼の言葉に、それ以上何も言わなかった。


「第2潜航艦隊へ」


 鄭中将が通信士へ向く。


「首都惑星周辺の警戒を継続させろ」

「戦闘終了後もですか?」

「特に今だ」

「了解です」

「降伏したと思って警戒を解いた瞬間が、一番危ない」


 その数秒後、命令はアルヴィオン周辺の亜空間で待機する三隻の潜航艦へ届いた。











アルヴィオン近傍 亜空間

910型潜航艦〈雲龍〉


「司令部より警戒継続命令」

「了解」


 命令を受け取った曹 景岳大佐は、それだけ答えた。

 現在〈雲龍〉はレイヤー2.4付近でで完全停止している。首都惑星アルヴィオンの重力アンカーがあるため、これ以上深く潜ることは難しい。

 一方の通常空間では、第7艦隊が惑星軌道へ集結している。

 鄭中将は何かを感じ取ったのかもしれないが、どのみち亜空間側にも警戒は必要だった。

 現在、岳中佐の〈赤月〉と、九条中佐の〈雷鯨〉、そしてこの〈雲龍〉が互いに距離を取りながら、首都星周辺を監視している。

 少なくとも戦争は終わったはずだが、果たして……


「……」


 曹大佐は目を閉じて考えた。

 それは先ほど空母を沈めた時と同じく、静かな時間だった。

 推進機は完全に停止し、遷移率は0.0A/c。リング以外に大きなエネルギー反応はない。潜航艦にとって最も完璧な隠蔽状態。


「……艦長」


 そして、因果士の声。

 曹大佐が目を開く。


「何だ」

「微弱な航跡を探知」


 その一言で、発令所の空気が変わった。


「位置」

「方位137。深度レイヤー3付近」

「こちらに来るか?」

「いえ」


 因果士がその航路を解析する。


「アルヴィオンの外周を横切る進路です」

「識別は?」

「この反応では困難です」

「王国艦か?」

「航跡特性は近いですが……」


 因果士が眉を寄せて答えた。


「静かすぎます」

「なんだと?」

「通常の王国潜航艦よりもさらに静かです。ノイズと見間違えそうなくらいには……」


 曹大佐はすぐに戦域図を開いた。

 示された航跡の数値はごく僅かであった。普通ならノイズとして捨ててもおかしくない。だが幸いにも、停止していた〈雲龍〉だからこそ見つけられた。


「降伏艦では?」


 副長が訊くが、曹大佐は首を横に振った。


「なら進路がおかしい。集結地点は反対方向だ」


 その航跡は首都へ向かっていない。

 むしろ首都周辺を横切り、外へ出ようとしている。


「逃亡ですかね?」

「可能性はある」

「追いますか?」


 曹は少し考えた。


「単艦で近づくのは危険だな」

「では?」

「後方の二人に情報を送れ。対象は正体不明潜航艦一隻、囲い込むぞ」














同時刻

908型潜航艦〈赤月〉


「正体不明の潜航艦?」


 曹大佐からの情報を受け取った岳中佐は、報告を聞いてすぐに笑った。


「最後に面白そうなのが出てきたな」

「艦長、戦争は終わってますよ?」

「分かってる」

「勝手に撃たないでくださいよ」

「分かってるって」


 副長の視線が冷たいが、岳中佐は立ち上がる。


「敵対行動がない限り撃たん。ただし逃げるなら追うぞ」

「それも問題では?」

「曹さんが俺たち三隻で囲えって言ってるんだろ?」

「はい」

「なら、任務の範疇だ」


 そうして〈赤月〉が動き始める。

 停止状態から位相ドリフトへ以降。大きな航跡を抑え、正体不明艦の側面へ回る。











同時刻

912型潜航艦〈雷鯨〉


「〈雲龍〉より情報共有」


 同時刻、九条中佐の艦でも情報が表示された。

 九条中佐は送られてきた表示を見る。


「相手の進路は?」

「アルヴィオン外周を抜け、セレスティア方面へ向かうと思われます」


 九条中佐の視線が僅かに鋭くなる。


「セレスティア……?」


 その情報に彼女は眉を顰めた。

 まだ帝国軍が本格進駐していない王国第二の居住惑星。降伏した軍艦が向かう場所ではない。


「通信での呼び掛けは?」

「まだです。やりますか?」

「いや、しないで」

「よろしいのですか?」

「相手の進路を先に見る」


 九条中佐は表示されている相手の航路を見て、予想を立てた。

 彼女の頭の中では各艦長たちの役割が明確に定まっていた。

 まず司令官の曹大佐が正面、岳中佐が側面に並ぶだろう。ならば、残るは一つ。


「逃げるつもりなら、必ずここを通る」


 そうして彼女の指示の下、〈雷鯨〉が静かに進路を変えた。











同時刻

アルヴィオン近傍 亜空間

910型潜航艦〈雲龍〉


「対象、進路変わらず」


 しばらく待機して。

 因果士の報告に、曹大佐は静かに目を細めてその時を待っていた。

 正体不明潜航艦は、進路を変えるつもりがないらしい。

 降伏命令が出た後にもかかわらず、指定された集結地点へ向かわず、アルヴィオン外周を横切ってセレスティア方面へ進もうとしている。

 それだけでも十分に怪しい。

 しかも、従来の艦より航跡が薄い。

 普通の王国潜航艦なら、ここまで近づけばもう少し明確な痕跡を残すが、相手は違った。少し目を離せば亜空間そのものへ溶け込んでしまいそうなほど静かだった。


「〈赤月〉、本艦右舷側へ展開完了」

「〈雷鯨〉は進行方向前方へ移動中です」

「よし」


 曹は戦域図を確認する。

 画面には中央に〈雲龍〉、右側面に〈赤月〉、その少し後方に〈雷鯨〉を配置している。三隻で囲い込み、正体不明艦の進路を挟む形になっていた。

 相手もこちらも、攻撃の兆候はない。相手に敵対意思がない可能性も十分にあった。だからこそ彼らの判断は慎重であった。


「艦長、通信距離まで接近しますか?」


 副長が訊いた。


「まだいい」

「では?」

「もうしばらく進路を見る」


 曹大佐は短く答えた。


「降伏するつもりなら止まる。逃げるつもりなら、どこかで我々を避ける。そのどちらかだ」

「どちらもしなければ?」


 曹大佐は正体不明艦の反応を見た。


「その時は容赦なく撃つ」


 副長がその答えを聞いた直後だった。


「……艦長!」


 因果士の声が変わった。

 曹大佐がすぐにそちらを見る。


「どうした?」

「対象艦、艦首付近に位相変化があります」

「増速か?」

「いえ、違います」


 因果士の指が高速で端末を走る。


「これは……局所的な現実場変動です」


 その言葉を聞き、曹大佐の表情が僅かに険しくなる。


「発射管か?」

「……可能性は高いです」


 潜航艦の魚雷発射管は、亜空間で自艦に支障なく魚雷を発射するため、発射管内に小さい現実場を発生させて魚雷を装填する。

 その力場の乱れは稀に観測できることがあり、〈雲龍〉は今回事前に察知することができた。

 発令所の空気が一瞬で変わった。


「総員、魚雷戦用意」


 曹大佐の命令は静かだった。

 その一言で、乗員たちが慌ただしく動く。


「発射管1番2番装填。水雷長、敵対行為確認までは撃つな」

「了解!」

「因果士、目標の方位をもう一度解析だ」

「了解。因果探知感度上げます!」


 正体不明艦との距離は、十分に近い。

 もし本当に魚雷発射準備なら、次の瞬間には来る。


「対象艦、現実隔壁の開放反応!」


 そして、その時が来た。

 因果士が叫ぶ。


「発射管内部、外部亜空間と同期した模様!」


 副長が曹を見る。


「艦長!」

「魚雷は?」

「まだです!」

「急げ」


 曹大佐は慌てることなく、表示から目を離さない。

 しかし、艦内の冷静さはそれが限界だった。


「……っ!」


 因果士が大きく身を乗り出した。


「艦長、魚雷発射反応! 雷数1、方位一三八! こちらへ直進!」


 その途端、曹大佐の目が鋭くなる。

 表示上の軌道が確定。それを見た因果士の声は、先ほどまでとはまるで違っていた。


「魚雷、高速接近! 目標は本艦です!」

「回避行動、取舵30度、前進いっぱい! 最大可潜深度まで潜航!」


 発令所に警報音が響き渡る。

 〈雲龍〉は魚雷に対する回避行動を開始し、速度を最大に、大きく左側へ曲がろうとした。

 魚雷もそれに追従するかに思われたが、その予想は外れた。


「艦長、魚雷は──」


 その時、まっすぐ向かっていたはずの光子魚雷の反応が、さらに大きく跳ね上がった。


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