第八話 因果の底
西暦2507年10月7日
アルヴィオン星系 第三惑星ミレシア外縁
大辰帝国908型 黒月型潜航艦〈赤月〉
「……敵艦撃沈。現実保持率が急落している模様」
発令所に観測員の声が響いた。
岳 飛燕は艦長席から動かず、正面に浮かぶ因果探知表示を見つめていた。
戦闘はようやく終わりを告げた。
先ほどまで〈赤月〉を追い回していた王国潜航艦のうち、最後まで残っていた一隻の反応が、表示上で大きく乱れていた。
「現実場が維持できないようです」
敵艦の周囲にあった微弱な位相反応が、また一つ消えていく。
潜航艦は亜空間へ潜るために、自らの周囲へ小さな通常現実のフィールドを作り出している。
それらによって作られる現実保持場のうちどれか一つでも致命的に崩れれば、艦は亜空間に留まれない。
「来るぞ」
岳が短く言った。
その次の瞬間、敵潜航艦の反応が、亜空間から完全に消えた。
「敵艦、消失しました」
「追い出されたな」
同時刻
惑星ミレシア軌道上 通常空間
第三惑星ミレシアの遠方。
何も存在しなかった宇宙空間に、突然一本の亀裂が走った。
まるで透明な巨大ガラスへ、針を突き立てたかのような空間の歪み。
そして次の瞬間、亀裂は蜘蛛の巣状に広がり、星々がその亀裂に沿って歪む。
遠くにあるはずの恒星が二重に映り、黒い宇宙そのものが、不自然に割れていく。
そして、その中心を、何かが内側から押し上げた。
空間が膨らむ。
ついには耐え切れなくなったように、通常宇宙そのものが砕けた。
そこから、先ほど撃沈した王国軍の潜航艦が飛び出してきた。
正常な浮上ではない。
艦体後方が最初に通常空間へ弾き出され、その直後に艦尾が別の亀裂を突き破る。
船は完全にひしゃげていた。まるで交通事故に遭った自動車の如く、複数の方向から無理やり押しつぶしたかのようだった。
船体はすでに大きく裂けている。後方のワープリングは砕かれ、前方のリングも衝撃で途中から折れ曲がっていた。
外郭には魚雷の爆発によってできた巨大な傷跡が残り、そこから艦内構造物が露出している。
そして艦が通常空間へ完全に弾き出された直後、艦体後部で小さな爆発が起きた。
続いて内部誘爆が起き、黒い船体が中央から折れる。
そして最後に、艦全体が静かに爆発した。
砕かれた空間はその残骸だけを通常宇宙へ吐き出し、何事もなかったかのように閉じた。
同時刻 亜空間
潜航艦〈赤月〉
「敵艦、完全消失」
「通常空間側に大規模爆発反応。撃沈です」
発令所に、短い沈黙が流れた。
岳は息を吐いた。
「これで最後か?」
「現在追跡可能な王国潜航艦反応はありません」
「こちらの損害は?」
「外殻に軽微損傷。第二リング位相制御に3.2%の誤差」
「航行に問題は?」
「ありません」
「魚雷残数」
「規定値の六割」
「十分だ」
報告を聞くと、岳中佐は疲れたような演技で背もたれに身体を預けた。
「いやぁ、散々追い回された」
その言葉を聞いて、副長が呆れたように振り返る。
「追い回されたのではなく、艦長がわざと四隻も引きつけたんでしょう」
「細かいことを言うなよ」
「一隻で四隻相手にする人間に言われたくありません」
「勝っただろ?」
「結果論です」
岳中佐は楽しそうに笑った。
「結果が出れば戦果だ」
「鄭司令に怒られますよ」
「戦果を持って帰れば少しは軽くなる」
「本当ですかね……」
発令所に僅かな笑いが起きる。
だが岳中佐はすぐに表情を戻した。
「通信」
「はい」
「第2潜航艦隊司令部へ報告」
「内容は?」
岳は短く考えた。
「王国潜航艦四隻と交戦」
「うち三隻撃沈、一隻は交戦中に別方向へ離脱……でよろしいですか?」
「そうだ」
「〈赤月〉は戦闘継続可能、と」
「ああ。それと」
岳は少し笑った。
「『空母護衛と思われる潜航艦群の排除に成功』」
「了解」
「最後に」
「はい?」
「『雲龍が空母を沈めたそうなので、こちらにも手当を求む』、以上だ」
通信員が黙った。
「……それ、本当に送るんですか?」
「送れ」
「鄭司令から怒られるの、通信員の私なんですけど」
「俺の名前を付けとけ」
「そうですねそうします」
こうして通信文が圧縮され、短い暗号通信として、亜空間の向こうへ送られていった。
岳中佐は再び正面へ視線を戻す。
王国潜航艦の反応は、もうないようだった。
戦闘海域に残っているのは、魚雷の通過によって生じた乱れと、何隻もの潜航艦が高速航行した巨大な位相航跡だけだった。
「さて」
岳が言う。
「狩場を変えるぞ」
「まだやるんですか?」
「戦争は始まったばかりだ」
岳中佐の命令により、〈赤月〉は進路を変えた。
先ほどまでの激しい機動とは打って変わって、今度は静かに、航跡を消しながら。
同時刻
亜空間 レイヤー4
実験潜航艦〈エデン〉
その頃、〈エデン〉では戦争の詳細を知る者は誰もいなかった。
王国からの通信はまだ何もない。正確には向こうが途絶えているのではなく、受信しないようにしている。
レイヤー4という深度は、通常の通信手段がまともに機能しない。無理に通信を行えば、こちらの存在を知らせる可能性もあるのだ。
「……はぁ」
艦内の廊下を歩きながら、アリシアは小さく息を吐いた。
数時間ぶりの休憩だった。
発令所での当直を終え、自室へ戻る前に飲み物でも取ろうと思い、艦内通路を歩いている。
その間アリシアは、ここがレイヤー4であると言う実感を失いつつあった。
人類がこれまで本格的に有人航行したことのない領域だと言うが、そんな場所へいるというのに、艦内だけを見れば拍子抜けするほど普通だった。
照明は点いていて、人工重力も正常。空調も動いている。床も壁もいつも通りだった。
だからこそ、余計に不気味とも言える。
「(本当に、ここがレイヤー4なのよね……)」
アリシアは歩きながら、傍の壁面表示を見る。そこには確かに、レイヤー4.02と表示されている。
現実保持率も正常範囲で、リングにも異常はない。何も起きてないのだ。
「……考えすぎかな」
そう呟いた、その時だった。
彼女の前方、通路の角に人影があった。
「……?」
アリシアはふと足を止めた。
歩いているのは、一人の少女だった。
黒い髪に、王国軍の制服。片手には、紙カップのような飲料容器。こちらへ向かって歩いてくる。
ほんの数メートル先で、その顔が見えた。
「……え?」
それは、アリシアだった。
向こうから歩いてくる少女は、間違いなくアリシア・セレスだった。
同じ制服、同じ髪型、そして同じ顔である。
ただその手には、湯気の立つコーヒーカップがあった。
「……っ!」
反射的に目を擦った。
一度ならず、二度目を開く。
すると、誰も居なくなった。
「…………」
アリシアはしばらく動けなかった。
いや、動けなかった。心臓が速くなり、冷や汗が出ているのを感じた。
「なに、今の……」
幻覚か?
少なくとも目を擦って消えるなら現実のアリシアではないだろう。
ただ疲れているのかもしれない。
まあここ数日で着任から初航海、レイヤー4への潜航、王国の緊張状態が連続して起こった。
眠れていないわけではないが、精神的な疲労は溜まっているのかもしれない。
「見間違い……よね」
そう思い、誰に言うでもなく呟く。
それでも何となく、一人で自室へ戻る気にはなれなかった。
数分後
潜航艦〈エデン〉休憩室
〈エデン〉は通常の王国潜航艦よりも一回り大きく作られているため、休憩室の広さも少しばかり余裕があった。
艦内ではこれとは別に食堂やレクリエーションルームなどがあり、乗組員の精神的な療養を行える。
「あっ、イリス」
「……何?」
休憩室には、イリス・エイランがいた。
眼鏡を掛けたまま、端末に何かを表示している。どうやら休憩時間にも因果観測記録を読んでいるらしい。
「休んでる?」
「一応」
「それ、仕事じゃない?」
「仕事じゃない」
「じゃあなに?」
「勉強」
「休憩とは違くない……?」
いつもの調子に、アリシアは少しだけ安心した。
アリシアは彼女の向かいの席へ座った。
しばらく彼女の邪魔をしないでおこうかと思ったが、アリシアは先ほどのことが気になっていた。
艦内で同じ自分を見てしまった以上、ここは理屈で説明してくれそうなイリスに聞いてみるのが一番な気がした。
「ね、ねえ」
「何」
「変なこと聞いていい?」
「内容による」
「私……さっき、自分を見た気がする」
その言葉の途端、イリスの指が止まった。
アリシアはその反応を見逃さなかった。
「……イリス?」
「どんな状態で?」
「状態?」
「見えた自分の状態」
イリスは端末を閉じた。
さっきまでの気の抜けた雰囲気が消えている。
「何をしてた?」
「えっと、歩いてた」
「場所は?」
「第二居住区画の通路」
「他には?」
「……コーヒーを持ってた」
「今のあなたは?」
「持ってない」
アリシアは両手を見せる。
その言葉を整理しているのか、イリスは数秒だけ考えた。
「幻覚の可能性もある」
「やっぱり?」
「でも」
と、イリスは言葉を続けた。
「ここはレイヤー4だから、それだけとは言えない」
その言葉に、アリシアの表情が固まった。
「……どういう意味?」
「因果率の影響」
「またそれ?」
「ここでは、それが重要」
イリスはテーブルに置かれていたスプーンを一本取った。
「前に説明したの、覚えてる?」
「原因があって、結果がある」
「通常空間ではそう。でも亜空間では、その順番が絶対ではない」
「……結果が先に出る?」
「そう」
イリスはスプーンを指差し、前に行った説明を繰り返そうとしたが、その手を止めた。
「……もっと簡単に言うなら」
眼鏡越しにアリシアを見る。
「未来が、少し漏れてくる」
「未来……」
「レイヤーが深くなるほど、通常空間で当たり前だった因果関係が弱くなる」
「それって、レイヤー4だとどうなるの?」
「わからない。けど今の仮説だと」
イリスは指を一本立てる。
「存在するかもしれない未来が、現在へ影響することがある」
「じゃあ……」
アリシアは、自分が見た光景を思い出す。
コーヒーを持って、向こうから歩いてくる自分の姿。あれはドッペルゲンガーではなく、それが未来の自分だとしたら?
イリスの説明を聞くと、この空間ではそれがあり得ないことではない気がした。
「あれ、本当に未来の私だったの?」
「断定はできない。因果の話で断定は危険」
イリスらしい答えだった。
「可能性としては、未来像の先行観測」
「先行観測……」
「数分後、数秒後、あるいはもっと先の自分の状態が、因果の揺らぎで先に見えた」
「それって」
アリシアは少し身を乗り出す。
「未来が決まってるってこと?」
「違う。決まってはない」
イリスはすぐ否定した。
「じゃあ、どうして見えるの?」
「可能性があるから」
「……分かりにくい」
「私もこれ以上は説明しにくい」
珍しくイリスが少し困った顔をした。
「例えば」
彼女は端末を再び開き、今度は簡単なお絵描きソフトを開いた。
そこに、枝分かれする線を描くする。
「現在から、未来は何本も分岐してる」
「うん」
「その中で、成立する可能性が高いものがある」
一つの線を太くする。
「レイヤー4では、その未来の情報が逆方向に漏れてくる場合がある」
「じゃあ私が見たのは……」
「今の時点で、実現可能性が高い未来」
「でも絶対じゃない」
「絶対じゃない」
アリシアは少し考える。
「じゃあ」
「何?」
「私が今から絶対にコーヒーを飲まなかったら?」
イリスが黙った。
「未来、変えられる?」
「変えられるかもしれない」
「……かもしれない?」
「未来を見たことで行動を変える。それ自体も原因になるから」
「…………」
「未来を避けようとした結果、その未来になる場合もある」
「……なんだか、嫌な世界ね」
「うん。だから深層因果は扱いにくい」
イリスは珍しく素直に同意した。
と、そんな会話をしていたその時、休憩室の扉が開いた。
「あ、アリシア」
扉を開いたのは、ノエルだった。
「いたいた」
「どうしたの?」
「はい、これ」
ノエルが手を伸ばす。
そこにあったものを見て、アリシアの表情が固まった。
紙カップだった。湯気の立つコーヒーが入った。
「さっき食堂に寄ったから。アリシアの分も持ってきたの」
「…………」
「あれ、アリシア? いらなかった?」
ノエルが首を傾げる。
申し訳なくなって、アリシアはゆっくりとそのカップを受け取った。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
残念ながら、ノエルは何も知らない。
アリシアは手元の紙カップをみた。
あの幻覚と同じ形で、同じ色で、同じマークが描かれていた。
自分が通路で見たのと全く同じである。
「……イリス」
「うん」
「これ」
「一致したね」
「そんな冷静に言わないでよ……」
イリスはコーヒーを見た。
そして、いつもより少しだけ声を落とした。
「これがレイヤー4」
アリシアは何も言えなかった。
「船が壊れてるわけじゃない」
イリスは続ける。
「おかしいのは、因果の順番」
イリスは静かにそう言った。
アリシアは、手の中のコーヒーを見る。
温かい。確かに今ここにある。
ただ自分はそれを受け取る前に、すでに見てしまったのだ。
〈エデン〉はそんな摩訶不思議な世界の中にいた。




