第二話 第94期生
西暦2507年10月5日
高速貨客船〈エンデュランス〉 船内食堂
「おーい、副長殿!」
「ちょっ……やめてってば」
数日後。
惑星セレスティアを発ち、首都惑星アルヴィオンへ向かう高速貨客船〈エンデュランス〉の船内食堂で、アリシア・セレスは席へ近づくなり同期の一人から盛大に茶化された。
王国第二の居住惑星セレスティアと首都アルヴィオンを結ぶこの定期便には、軍人だけでなく、出張帰りの会社員や旅行者、幼い子供を連れた家族の姿も多い。
そんな一般人のいる場所で、十六歳の少女に向かって「副長殿」などと大声で呼ぶのだから、嫌でも視線が集まる。
アリシアは少し頬を赤くしながら、声の主を睨んだ。
「第94期首席。任官初日に新造艦の副長。いやあ、出世したねえ」
「揶揄わないで」
「揶揄ってないって。名誉なことだろ? 俺たち第94期生みんなの誇りだよ」
そう言って悪びれもせず笑っているのは、ルカ・ベルナール。
短く整えた髪の後ろを刈り上げた、細身の少年だ。
アリシアと同じ王立宇宙軍士官学校第94期生で、専門は通信科。人懐っこく社交的で、同期の中でも誰とでもすぐ打ち解ける性格だった。
人の噂を仕入れてくる速さについては、通信士になる前からすでに一流だった。
「おめでとう、アリシア。私も嬉しいわ」
「ノエルまで……もう、なんでみんなそんな簡単に受け入れてるの?」
ルカの隣から穏やかな声をかけてきたのは、ノエル・ファーレンだった。
腰近くまで伸ばした白い髪に、同年代の少女たちより少し高い背丈。
柔らかな物腰も相まって、同期でありながら、ときおり一つか二つ年上の姉のような印象を与える少女だった。
航海科を専攻し、航法実習では常に上位。
特に三次元的な航路把握については、教官から「地図を読むのではなく、空間そのものを見ている」とまで評されていた。
「だって、アリシアなら大丈夫だもの」
ノエルは何でもないことのように微笑む。
「その根拠のない信頼が怖いんだけど……」
「根拠ならあるだろ」
ルカがすぐに割って入った。
「士官学校でも俺たちをずっとまとめてたじゃん」
「クラス委員長みたいな役目と、軍艦の副長じゃ責任の重さが違うでしょ」
「いけるいける。少なくとも俺は、知らない偉いおっさんに命令されるよりアリシアの方がいい」
「それ、褒めてる?」
「もちろん」
まったく悪びれない。
けれど、そこまで言われて悪い気はしなかった。
副長という肩書きの重さについて、ルカはたぶん自分ほど深刻には考えていない。
それでも、同期から当然のように「任せられる」と言われるのは、アリシアにとって少なからず救いだった。
「それで、カイ君はさっきから何を見てるの?」
ノエルが、テーブルの向かい側へ視線を移した。
そこでは一人の背の高い少年が、食事と空中に浮かぶホログラム資料を交互に見ていた。
第94期水雷科、カイ・レヴィン。
光子魚雷をはじめとする艦載兵装について、同期では右に出る者のいない秀才だ。
普段は口数が少なく、必要なこと以外ほとんど喋らない。
「……〈エデン〉の武装を確認している」
「武装って、潜航艦なんだから主兵装は光子魚雷だろ?」
「それは知ってる。発射管の配置と搭載数を推測してる」
「資料だけで分かるの?」
「だいたいは」
ルカは露骨に首を傾げた。
何がそこまで面白いのか、理解できていない顔だった。
ノエルはそんな二人を見て、少し楽しそうに訊く。
「それで、どんな感じ?」
その瞬間。
カイの指が止まった。
「艦首に八門」
「八門?」
「通常の王国潜航艦より多い。船体規模から見て魚雷搭載量にもかなり余裕があるはずだ。それと艦尾側に小径発射口が複数ある。あれはおそらくデコイや亜空間機雷の散布用。魚雷発射管と別系統なら再装填時の――」
「はい、すとーっぷ」
ノエルが両手を前に出した。
カイが黙る。
「カイ君、武装の話になると本当に饒舌になるんだから」
「……否定はしない」
「普段からその半分くらい喋ればいいのに」
「必要がない」
ノエルは苦笑しながら、それ以上追及しなかった。
アリシアも思わず笑う。
この辺りは士官学校時代から何も変わらない。
そのときだった。
『まもなく本船はアルヴィオン星系重力圏への進入に伴い、レイヤー2.0よりレイヤー1.0への浅度変更を開始いたします』
穏やかな自動音声が食堂内に響いた。
壁面に設置された航行情報表示の数字が変わる。
レイヤー2.0。その表示が、ゆっくりと浅い値へ移り始める。
同時に遷移率の表示も低下していった。
だが、船内にいる人間には何の変化も感じられない。
テーブルの上のスープは揺れず、立ち歩いている客も平然としている。
光速を遥かに超える恒星間航行の最中だというのに、食堂の風景は地上のレストランと大差なかった。
「毎回思うけどさ」
ルカが航行表示を眺めながら言った。
「4.0A/c(光速の約4000倍)で飛んでるって言われても、全然実感ないよな」
「『飛んでいる』という表現も正確ではないけど」
淡々と訂正したのは、ルカの隣で飲み物を口にしていた少女だった。
イリス・エイラン。
水色の短い髪を白い髪留めで留め、細いフレームの眼鏡をかけている。
彼女も第94期生の同期で、専門は因果解析科。潜航艦では「因果士」と呼ばれる職種だった。
通常艦のレーダー士や航法士とは少し違う。
亜空間のレイヤー構造、他艦が残す位相航跡、現実性の歪み、そして深層で時折観測される因果異常を読み解き、艦長へ「そこに何がいるのか」「何が起ころうとしているのか」を伝える。
古い時代の潜水艦に例えるなら、ソナーマンと航法解析員を合わせたような役職だ。
そしてイリスは、その適性試験で同期中最高値を叩き出している。
本人はそれを特に誇る様子もなかったが。
「遷移率は通常空間でいう速度とは別物」
イリスは眼鏡越しに表示を見た。
「A/cは、亜空間内でどれだけ因果座標を遷移しているかを表す値。通常空間から見れば結果として超光速移動になるけど、単純に光速の何倍という意味ではない」
「はい先生」
「馬鹿にしてる?」
「してません」
即答だった。
「それに、この船の場合は航走安定方式のワープドライブを使ってる」
イリスは続けた。
「だから亜空間内で一定以下の遷移率には落とせない」
「つまり?」
「止まれない」
短い一言だった。
ルカが航行表示へ視線を戻す。
そこには遷移率の数字とともに、一本の警戒線が表示されていた。
最低維持遷移率。
その下は赤く表示されている。
「それより下がったらどうなるんだっけ?」
「あなたねえ……」
アリシアは思わず額を押さえた。
「任官したのに、そんなことも忘れたの?」
「いやいや、俺は通信科だぞ。航法理論なんて必要最低限しかやってないって」
「必要最低限に入ってるわよ、それ」
「……亜空間から浮上する」
イリスが面倒そうに答えた。
「自分から?」
「強制的に」
「止まったら浮いてきちゃう、くらいに考えればいいのよ」
そこでノエルが助け舟を出した。
彼女はテーブルの上に指を立て、それを人に見立てる。
「昔の海で考えるなら、浮き輪をつけた人が無理やり潜ってる感じ。足を動かしている間だけ沈んでいられる。でも止めたら水面に戻されるの」
指を上へ動かす。
「なるほどなぁ」
「いや、正確には、通常空間と亜空間の因果結合が──」
「イリスちゃん」
ノエルがにこりと笑った。
「分かりやすければいいの」
「……そう」
イリスは明らかに納得していなかったが、それ以上は言わなかった。
そんなやり取りを聞きながら、アリシアはふと数日前、ルゲイ司令長官から見せられた〈エデン〉の艦影を思い出した。
黒い船体。
そして、その周囲に幾重にも配置された巨大なアルクビエレ・リング。
「でも」
アリシアが口を開く。
「私たちが乗る船は、それができるんでしょう?」
「できる」
イリスが即答した。
「何が?」
案の定、ルカだけが話についてきていない。
アリシアは少し笑ってから答えた。
「止まるのよ」
「……何?」
「亜空間の中で、その場に留まるの」
ルカが数秒黙る。
そして航行表示を見た。最低維持遷移率と、現在値。
もう一度アリシアを見る。
「それ、今の話と矛盾してない?」
「普通の船ならね」
アリシアが答える。
「通常の艦船は、自分が進み続けることで因果軸を安定させてる。だから停止したら亜空間に留まれない」
「潜航艦は違う」
イリスが後を継いだ。
「船体の周囲にあるアルクビエレ・リングで、自分自身の現実領域を保持する」
ルカが少し考える。
「……自分の現実を持ち歩く?」
「乱暴に言えば」
ノエルが笑う。
「だから潜航艦は、亜空間の中でも停止できるのね」
「遷移率0.0 A/cでも存在を維持できる」
イリスが言う。
「そして止まれば航跡もほとんど残らない」
今度はカイだった。
資料から顔を上げている。
「亜空間で艦を探す基本は位相航跡の追跡だ。高速で動くほど航跡は強くなる。でも停止していれば、それが極端に小さくなる」
「つまり……」
ルカが眉を寄せた。
「普通の船が全員走り続けてる道路の真ん中に、一隻だけエンジン切って隠れてられる?」
「道路の真ん中という表現は──」
「分かりやすいからいいの」
今度はノエルだけでなくアリシアまで同時に言った。
イリスが口を閉じる。
数秒後。
「……二人とも嫌い」
「ごめんごめん」
ノエルが笑いながら彼女の肩を軽く撫でた。
どこか姉が妹を宥めているような仕草だった。
「でも怖いな、それ」
ルカが呟く。
「何も見えないところに、一隻止まってるかもしれないんだろ?」
「それが潜航艦」
カイは簡潔に答えた。
「敵が近づくまで待って、光子魚雷を撃つ」
「俺、今まで潜航艦ってただの変な形の軍艦だと思ってた」
「通信士がそれでいいのかしら……」
アリシアは呆れたが、少しだけ分かる気もした。
自分だって、数日前までは潜航艦という艦種を知識として知っているだけだった。
宇宙軍士官なら誰もが知っている。
だが、止まれない世界でその場に留まることができると考えると、その異質さが急にはっきりした。
そして自分たちは、そんな船の中でもさらに異常なものへ乗ろうとしている。
「そういえば」
ルカが唐突に話題を変えた。
「艦長のこと、調べた?」
「レイ・アルスター大佐、だったかしら」
ノエルが首を傾げる。
「アルスターって……あのアルスター博士の?」
「エマ・アルスター博士の息子」
イリスが答えた。
「やっぱりそうなんだ」
アリシアも頷く。
司令部で聞いた話と一致していた。
「ってことは、本業は物理学者?」
ルカが訊く。
「軍籍はあるみたい。ただ本人は研究者としての活動期間の方が長いって」
「艦長として大丈夫なのか?」
カイの問いは単純だった。
「ルゲイ司令長官は、操艦と亜空間理論に関しては間違いなく一流だって」
「それ以外は?」
ルカが妙に鋭かった。
アリシアは少し黙ってから、正直に話す。
「……人に説明するのが壊滅的に下手だって」
一同が沈黙する。
「副長殿」
ルカが妙に真面目な顔になった。
「頑張れ」
「だからその呼び方やめてってば!」
ノエルが口元に手を当てて笑った。
カイですら、ほんの少しだけ表情を緩めた。
イリスだけは相変わらず無表情だったが、
「適任だと思う」
と小さく付け加えた。
「イリスまで……」
「事実」
アリシアはため息をついた。
けれど、胸の奥にあった不安がほんの少し軽くなった気がした。
少なくとも。
知らない人間ばかりの艦へ、一人で放り込まれるわけではない。
『ご乗船の皆様にお知らせいたします』
再び船内放送。
『本船はまもなくアルヴィオン星系指定浮上座標へ到達いたします。通常空間への再遷移に備え、そのままお席でお待ちください』
食堂の照明がわずかに落ちた。
壁面いっぱいに設置された疑似窓が、外部観測映像へ切り替わる。
そこに映っているのは、黒とも水色ともつかない亜空間の曖昧な光景。
星はない。
距離も方向も直感では理解できない。
やがて遷移率がさらに下がった。
そして、次の瞬間。
何も存在しなかったはずの前方に、一本の細い亀裂が走った。
まるで宇宙そのものに刃物を入れたような亀裂。
そこから左右へ、空間がゆっくりと押し分けられていく。
裂け目の向こうには、黒い宇宙。
そして無数の星々。
亜空間とは違う、見慣れた通常宇宙だった。
〈エンデュランス〉は速度を落とすことなく、その裂け目へ船首から進入していく。
船体が通過するにつれ、後方では裂け目が静かに閉じていった。
亜空間航行を終える通常艦の、ごくありふれた浮上だった。
そして裂け目を抜けた瞬間。
疑似窓の正面いっぱいに、青と白の巨大な球体が姿を現した。
王国の首都惑星、アルヴィオンだ。
雲の切れ間には巨大都市の灯りが見え、その周囲を宇宙港や軌道施設が幾重にも取り囲んでいる。
「着いたわね」
ノエルが、どこか懐かしむように言った。
「さて」
ルカが残っていた飲み物を一気に飲み干す。
カイは〈エデン〉の資料を閉じた。
イリスも端末を落とし、眼鏡の位置を直す。
アリシアは少しだけ長く、疑似窓の向こうに浮かぶ首都星を眺めていた。
明日からはもう、自分たちは候補生ではない。この星のどこかで待っている、新造潜航艦の乗組員になる。
その艦がどんな船なのか、艦長レイ・アルスターがどんな人物なのか、まだ何一つ分からない。
それでも、アリシアは席を立った。
「行きましょう」
四人が彼女を見る。
ほんの一瞬だけ、「副長」という立場を意識した。
けれど今はまだ、同期に向かって格好をつける必要もない。
だからいつもの調子で笑った。
「私たちの船へ」
ノエルが最初に立ち上がる。
「ええ。行きましょうか」
その声は、いつも通り少しだけ大人びて見えた。
続いてルカ、カイ、イリスも席を立つ。
第94期生、五名。
この日、彼らは任官を迎えた。




