第48話:においの気になるお年頃
崩落した岩壁の隙間から、眩しい朝の光が広場へと差し込んでくる。
その光をスポットライトのように浴びながら、空中に浮遊する和服姿の少女――カグツチは、エッヘンと誇らしげに胸を反らせた。
「よいか、よく聞け! 儂がこうして外へ出てこられたのは他でもない。主が、己の甘さを捨てて儂の全てを『受け入れた』からじゃ!」
「俺が、受け入れた……?」
「左様! これまで主は、他者の命を奪うことや、儂の放つ圧倒的な力を無意識に恐れ、心の奥底で拒絶しておった。ゆえに、儂は主の魂の中で寝惚けたままだったのじゃ」
カグツチはフワリと宙を舞い、俺の顔のすぐ目の前まで近づいてきた。
「だが、主は覚悟を決めた。その結果、儂と主を繋ぐ魂の回廊が完全に繋がり、儂の本来の力である気高き『神気』を、主の肉体を通してこの世界に顕現させることが可能となったというわけじゃ!」
「神、気……。あの、アンナの力を一瞬で焼き尽くした、白金の炎のことか」
「うむ! あの力は魔力などという下等なエネルギーとは次元が違う! そして、あの『神気』をドバドバと放出した余波を利用して、儂はこうして一時的に実体化するほどのエネルギーを得たのじゃ。感謝せい!」
カグツチはふふん、と鼻を鳴らして笑う。
(なるほど、あの状況を覆した白金の炎は、カグツチ本来の力ってことか……)
カグツチいわく、魔法とは異なる特別な力だったからこそ、ジェードがもたらしたあの禍々しい魔力すらも、容易く打ち払い、浄化し尽くすことができたのだろう。
「……ん?」
ふと、カグツチが真紅のつり目をピクリと動かし、俺の隣に立つセレスの方へと視線を向けた。
彼女は空中をスゥッと滑るように移動し、セレスの周囲をぐるぐると回りながら、小犬のようにフンフンと鼻を鳴らし始めた。
「お、おい。何やってんだよ、失礼だろ」
「えっ、あ、あの……わ、私、何か変な匂いがしますでしょうか……? ずっと洞窟を歩いていたので、汗臭かったり……」
セレスが顔を赤らめ、慌てて自分のボロボロになったワンピースの匂いを嗅ごうとする。
だが、カグツチはそんなセレスの様子を意に介さず、彼女の顔を至近距離からジッと見つめ込んだ。
「……王女殿下よ、お主、関わる者どもから『呪い』などと呼ばれて避けられておったそうじゃな?」
「え……? は、はい……」
セレスはカグツチからの問いかけに、戸惑いながらも小さく頷いた。
「私のこの力は、触れた魔力を無差別に消し去ってしまう、忌まわしい『呪い』なので……」
「馬鹿め! 誰がそんな寝言を教えたのじゃ!」
「ひゃっ!?」
唐突にカグツチが大声を上げたため、セレスがビクッと肩を跳ねさせた。
「魔力を消し去るから『呪い』じゃと? 笑わせるな。下等な魔力どもが、お主の放つ力の前では形を保てず、勝手に霧散しておるだけではないか!」
「えっ……? そ、れは、一体どういう……」
「いいか、小娘。お主の身に宿るその気高き力は、『呪い』などという下らん代物ではないわ。この匂い、この気配は……儂の『神気』と全く同じ……いや、それ以上に純粋な――」
カグツチが、セレスの『呪いの正体』という核心に触れようとした、まさにその時だった。
『ジジッ……』
突如として、宙に浮いていたカグツチの身体が、古い映像のノイズのように激しく明滅し始めた。
「ん? おや……?」
「おい、カグツチ? 急に身体が透けてるぞ!?」
「ふぁぁぁぁ……いかん。急激に……強烈な眠気が……」
先ほどまでの威勢の良さはどこへやら。
カグツチは急激に重くなったまぶたを擦りながら、空中で舟を漕ぎ始めた。
「ひ、久しぶりに実体化して、神気を……ふぁぁ……ドバドバと使いすぎたようじゃ……。主よ、あとは……任せたぞ……」
「はあ!? お前、肝心なこと言いかけてただろ! セレスの『呪い』が何だって!?」
「儂は剣の中で……一眠りするゆえ……。おやすみ、なのじゃ……むにゃ」
そう言うが早いか、カグツチの身体は光の粒子となって弾け、足元に転がっていた剣の中へとスゥッと吸い込まれるように消えてしまった。
カチン、と剣が小さな音を立て、再び何の変哲もない鉄の剣となって沈黙する。
「「……」」
「……えっと。寝て、しまわれましたね」
「……ああ。寝たな」
静まり返った広場で、俺とセレスは呆然と顔を見合わせた。
人の気も知らないで散々かき回し、肝心な謎の答えを口にする直前で、子供のように寝落ちしてしまった。
「……ふふっ」
気まずい空気を払いのけるように吹き出したのは、セレスだった。
彼女は口元を手で覆い、肩を震わせて小さく笑い声を漏らす。
それは、洞窟に転移させられてから今までずっと張り詰めていた彼女が見せた、久しぶりの心からの笑顔だった。
「……なんだよ、あのマイペースな『神器』様は。空気読まないにも程があるだろ」
俺もセレスにつられて、毒気を抜かれたように苦笑をこぼす。
だが、あの騒がしい乱入のおかげで、俺たちを包んでいた暗く重い空気は完全に払拭されていた。




