第47話:空気の読めない少女
ジェードの悪意が引き起こした、凄惨な爆発の爪痕が残る広場。
爆発の衝撃で崩れた岩の隙間からは、白み始めた薄明かりが静かに差し込み、夜の終わりを告げていた。
「……っ、うぅ……っ」
冷え切った岩肌の片隅で、俺はセレスの小さな肩に顔を埋め、子供のように泣きじゃくっていた。
初めて人の命を奪った感触。一生消えない人殺しの罪。その絶望的な重圧と恐怖を、彼女は自らの細い腕で力強く抱きしめ、『一緒に背負う』と泣いてくれた。
彼女の体温と甘い香りが、俺の凍りついていた心を少しずつ溶かし、どうにか自我を保たせてくれている。
この温もりがなければ、俺は間違いなく暗い狂気の底へと落ちていただろう。
(俺は、独りじゃない……。セレスが、いてくれる……っ)
鼻をすすり、俺は彼女の背中に回していた腕に、もう一度ギュッと力を込めた。
セレスもまた、俺の背中を優しく撫でながら、安心させるように抱きしめ返してくれる。
悲しみと痛みを共有し、互いの存在だけを頼りにする、痛切で、けれど何よりも尊い、2人だけの時間。
このまま、もう少しだけ。彼女の温もりの中で、乱れた呼吸と心を落ち着かせたい――。
そう願った、まさにその時だった。
「――ククッ。いやはや、なんとも熱烈な抱擁じゃな。どうやら、もうすっかり元気になったようではないか、主よ」
俺たちのすぐ傍から、ひどく甲高く、そして傲岸不遜な少女の声が響き渡った。
「「……え?」」
俺とセレスは、ピタリと動きを止めた。
頭の中を直接揺らすような、あの感覚ではない。今の声は明らかに、外の空気の振動を伴って『鼓膜』に届いていた。
「なんじゃ、その間の抜けた顔は。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしおってからに。悲劇の主人公を気取るのも大概にせぬか。見ておるこちらが気恥ずかしくなってくるわい!」
声のした方――俺たちの足元に転がっていた『漆黒の剣』から、眩い白金の光の粒子がフワリと立ち昇った。
光は瞬く間に空中で寄り集まり、1つの明確な『形』を構成していく。
「な、なんだ……!?」
俺とセレスが驚いて身を固くする中、光の束から姿を現したのは――黒と赤、そして白を基調とした華やかな衣装を身に纏い、腰まである長い黒髪を揺らす、小柄な少女だった。
彼女は空中にフワフワと浮遊したまま、真紅のつり目を意地悪く細め、ニヤニヤとあからさまな嘲笑を浮かべて俺たちを見下ろしている。
「か、カグツチ……ッ!?」
「いかにも! 主の魂に宿りし偉大なる神剣、カグツチ様じゃ! クハハハハッ、それにしても傑作じゃな! 敵を倒した途端に腰を抜かして泣きじゃくり、挙句の果てに守ったはずの小娘にヨシヨシと慰められておるとは! 情けないにも程があるぞ、主よ!」
「お、おまっ……ていうか、なんで外に……っ!?」
俺は弾かれたようにセレスから身体を離し、パニックになりながらカグツチを指差した。
精神世界で俺を踏みつけていたあの傍若無人な少女が、どうして堂々と現実世界に実体化して、しかも空を飛んでいるのか。
「お、おい! 今良いところだったんだぞ! 空気読めよ!」
「空気? なにを寝言を言っておる。主がいつまでもウジウジと湿っぽい空気を撒き散らしておるから、見かねた儂がわざわざ外に出てきてやったというのに。感謝こそすれ、文句を言われる筋合いはないわ!」
カグツチはフンと鼻を鳴らし、腕を組んで豊かとは言えない胸を思い切り張ってふんぞり返っている。
突然の事態に、俺の隣にいたセレスは完全にフリーズしていた。
無理もない。命懸けの死闘を終え、2人で涙を流して抱きしめ合っていた感動的な空気の只中に、見ず知らずのド派手な和服少女が乱入してきて、空中で高笑いをしているのだ。
「あ、あの……ショウト、様……?」
セレスは顔を真っ赤にして、おずおずと俺の袖を引っ張った。
先ほどまで俺を力強く抱きしめてくれていた時の母性的な頼もしさは消え失せ、すっかり年相応の、混乱しきった少女の顔に戻っている。
「こ、この……可愛らしい女の子は、一体……?」
「あ、いや、これはその……俺の剣っていうか、なんていうか……とにかく! 魔物とかじゃないから安心してくれ!」
「魔物とはなんじゃ! 誰がどう見ても気高く美しい神の化身であろうが、この大たわけ!」
俺の雑な説明に激怒したカグツチが、空中からスッと降り立ち、下駄の音を鳴らして俺の脛を容赦なく蹴り飛ばしてきた。
「いってぇっ!」
「儂はカグツチ。この愚かな主の魂に宿る、偉大なる『神器』じゃ。以後お見知りおきを、王女殿下」
脛を押さえてうずくまる俺を無視して、カグツチはセレスに向かって(どこか偉そうではあるが)優雅に服の裾をつまんで一礼して見せた。
「あ……ご、ご丁寧にどうも。セレスティーネ・リュース・アドレイアと申します……」
セレスも慌てて居住まいを正し、ペコリとお辞儀を返す。
あまりにもシュールな光景だった。
先ほどまでの、胸を締め付けるような重く冷たい罪悪感。そして、アンナの死を悼む悲痛な静寂。
それらが、この傍若無人で空気の読めない少女の登場によって、文字通り綺麗さっぱり吹き飛ばされてしまったのだ。
(……いや、まあ……)
痛む脛をさすりながら、俺は小さく息を吐き出した。
正直、ムードぶち壊しもいいところだが、彼女のこのやかましさに救われた部分もある。
俺もセレスも、あのまま暗い感情に沈み込んでいたら、お互いに立ち上がれなくなっていたかもしれないからだ。
「……で? なんで急に外に出てこられるようになったんだよ」
俺が呆れ半分で尋ねると、カグツチは得意げに口角を吊り上げた。
「ククッ、よくぞ聞いた! それはじゃな――」
彼女が勿体ぶって語り出そうとした瞬間、崩落した岸壁の隙間から、ついに眩しい朝の光が真っ直ぐに差し込み、俺たちの足元を明るく照らし出した。




