第45話:なくしたもの
鼓膜の奥で鳴り続けていた耳鳴りが、少しずつ遠ざかっていく。
ジェードの『罠』によってアンナの身体を使って引き起こされた最後の爆発。
その凄まじい熱波と衝撃波が過ぎ去った後の広場には、不気味なほどの静寂が降りていた。
もうもうと立ち込めていた土煙が、風に流されてゆっくりと晴れていく。
広場の中央には、直径十メートル以上にも及ぶ巨大なすり鉢状のクレーターが穿たれていた。
地面は高温によってガラス質に融解し、赤熱した岩肌から白い煙が立ち昇っている。
「……うそ……」
ショウトの腕の中で爆風から守られていたセレスが、ふらつく足取りで立ち上がった。
彼女は、信じられないものを見るように虚ろな瞳のまま、熱気を帯びたクレーターの縁へと歩み寄る。
そこには、何もなかった。
ただの一欠片も、何1つとして残されていない。
先ほどまでそこに横たわり、最期に優しく微笑んでくれた、たった一人の親友の姿。
その儚い最期は、ジェードの仕掛けた『罠』によって文字通り塵1つ残さず消滅してしまったのだ。
「……アンナ……?」
セレスの震える声が、空虚な空間に吸い込まれていく。
返事はない。彼女の身を案じていつも駆けつけてくれたあの足音も、もう二度と聞こえることはない。
『……ごめんなさい……セレス……』
最期の瞬間。アンナが自分に向けて呟いた、あの消え入りそうな声が脳裏にフラッシュバックする。
いつも『王女殿下』と一線を引いて呼んでいた彼女が、最期に見せた『友人』としての顔。
セレスを逃がすために1人で裏切り者の汚名を被り、悪魔に魂を売り渡してまで守ろうとしてくれていた、不器用で、優しすぎる嘘つき。
「あ……ああ……っ」
セレスはクレーターの縁に崩れ落ちた。
両手で顔を覆い、堰を切ったように涙が溢れ出す。
「あああああぁぁぁぁぁぁっ!! アンナぁっ! アンナぁぁぁぁっ!!」
それは、声の限りに叫ぶ、魂からの慟哭だった。
自分を守るために1人で戦い、そして散っていった親友への後悔と悲しみが、彼女の細い身体を激しく打ち据えていた。
日が落ちようとする広場に、少女の悲痛な泣き声だけが、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。
――一方、その背後で。
ショウトは岩壁に背中を預けたまま、呆然と自らの『両手』を見つめていた。
手から力が抜け、純白の光を失い元の漆黒の剣へと戻った『カグツチ』が、ガラン、と鈍い音を立てて足元に転がり落ちる。
「……あ……、あ……」
ショウトの喉から、ヒュー、ヒューという引きつった呼吸音が漏れていた。
目の前でセレスが泣き叫んでいるというのに、声をかけることも、慰めるために触れることもできない。
(俺が……殺した)
両手の平には、返り血は一滴もついていない。『カグツチ』の炎が、血の穢れすらも全て焼き尽くしてしまったからだ。
だが、ショウトの脳と両手には、決して消えることのない『感触』が焼き付いていた。
剣を振り抜いた瞬間の、あの生々しい抵抗感。
人間の皮膚を裂き、肉を断ち、骨を砕いた時の、ぞっとするような重み。
白金の炎がアンナの命を焼き尽くし、彼女の瞳から急速に光が失われていったあの光景が、まぶたの裏にこびりついて離れない。
(普通の、女の子だった。セレスを守りたかっただけの、普通の女の子だったんだ……)
それを、自分が殺した。
事情を知らなかったとはいえ、彼女を『完全な悪』だと決めつけ、一方的な正義感で剣を振るい、その未来を永遠に奪い去ったのだ。
『守るために、罪を背負え』
精神世界で、カグツチはそう言った。俺も、その覚悟を決めたはずだった。
だが、実際に『人の命を奪う』という行為は、平和な世界で育った高校生の精神が、到底耐えられるような代物ではなかった。
「はっ……はぁっ……! ひっ……!」
全身の毛穴から、氷のように冷たい汗が噴き出していく。
激しい悪寒に襲われ、ショウトの身体は痙攣するようにガタガタと震え始めた。歯の根が合わず、カチカチと乾いた音を立てる。
視界がぐにゃりと歪み、胃の奥底から込み上げてくる強烈な吐き気に、彼はその場に蹲って胃液を吐き出した。
「う、ぇぇっ……ゲホッ、ゴホッ……!」
人殺し。
自分の手が、恐ろしくてたまらない。この手が、1つの尊い命を、セレスの大切な人を、理不尽に終わらせてしまったのだ。
過呼吸になり、酸素が足りない。肺が焼けるように痛いのに、息の吸い方が分からなくなっていた。
「……ショウト、様……?」
どれほどの時間が経ったのだろうか。
あらん限り泣き叫び、なんとか心の整理をつけたセレスが、重い足取りで振り返った。
彼女の目に映ったのは、敵の強大な力を見事に打ち破り、自分を命懸けで守り抜いてくれた、あの無敵の『騎士』の姿ではなかった。
「ショウト様……ッ!?」
そこにいたのは、自らの犯した『人殺し』という罪の重さに押し潰され、自分の両手を抱きしめながら子供のようにボロボロと涙を流して激しく震える、一人の脆く弱い少年の姿だった。




