第44話:従者の覚悟
『カグツチ』が放つ白金の炎によって、アンナの体内を蝕んでいたジェードの『力』は完全に焼き尽くされた。
致命傷を負い、血の海へと崩れ落ちた彼女の身体には、もう先ほどまでのおぞましい魔力は残っていない。
自身の限界を超える魔力を使った代償に、彼女の肉体は既に朽ち果てつつあった。
「あ……、あぁ……」
微かな掠れ声を漏らし、意識を取り戻したアンナは仰向けのまま力なく空を見つめる。
ショウトは『カグツチ』を構えたまま、警戒を解かずに彼女を見下ろしていた。
だが、その必要がないことはすでに明白だった。深く斬り裂かれた傷口から流れ出る命の灯火が、今まさにでも消えようとしている。
ドス黒い魔力が完全に消え去ったアンナの顔から、あの暗殺者としての冷酷で無機質な仮面が剥がれ落ちていた。
そこにあるのは、ジェードの配下としての顔ではない。かつて、孤独だった少女にただ一人寄り添い、優しく微笑みかけていた『友人』としての本来の姿。
背後からは、まだ混乱と恐怖で座り込んでいるセレスの荒い息遣いが聞こえる。
距離は十メートル以上。アンナの口から漏れる微かな声は、到底彼女の耳には届かないだろう。
アンナはゆっくりと首を動かし、傍らに立つショウトを見上げた。
「……強いの、ですね。……ショウトさまは」
口から血の泡を吹かせながら、アンナはひどく穏やかな声で呟いた。
「……なんで、なんでセレスを裏切ったんだ」
ショウトは剣を握る手を震わせながら、彼女に問い詰めた。
「君は、セレスのたった1人の友達だったんじゃないのか。なのに、どうして彼女を狙う奴なんかの言いなりになって、彼女を地獄に突き落とそうとしたんだ……っ!」
「……私の両親は、元々、王女殿下の『呪い』を狙う組織の人間でした……」
アンナはおもむろに話し出すと、自嘲するように笑いながら悲しげに目を伏せた。
「私は幼い頃から、彼女の信用を得るために使用人として潜り込まされていた、ただの……間者だったのです」
「なんだって……?」
「でも……彼女の不器用な優しさや、残酷な境遇を間近で見ていくうちに……私は、本気で彼女を助けたいと願うようになってしまいました……」
アンナの瞳から、一筋の涙がツゥッと流れ落ちた。
「あの組織の人間は、私以外に何人も王宮の奥深くまで入り込んでいます。王女殿下のご家族も彼女を守ろうと動いてはいましたが……力及ばず、とても組織の魔の手から逃れられる状況ではなかった」
「じゃあ……アンナがセレスを町に連れ出したのは……」
「ええ……。敢えて罠にはめたふりをして町へ連れ出し、わざとはぐれることで……彼女を遠くへ逃がすつもりでした。でも、失敗した……」
彼女は、権力や力に目が眩んでセレスを裏切ったわけではなかったのだ。
救いのない絶望の中で、彼女はセレスを『生かす』ためだけに、自らが最低の裏切り者として泥を被り、1人で組織の計画を妨害しようともがいていた。
「貴方というイレギュラーが現れたと知って……私は、試したのです。ショウトさまが本当に、命を懸けて彼女を守り抜けるだけの力と、覚悟を持っているのかを」
「俺を、試した……?」
「……もしダメなら……私がこの手で、彼女に引導を渡すつもりでした。あの組織の手に渡るくらいなら……いっそ、私の手で……と」
ショウトの頭を、鈍器で殴られたような衝撃が貫いた。
彼が自らの甘さを捨てて『罪を背負う覚悟』を決めたように。アンナもまた、大切な少女を守るために、とうの昔に取り返しのつかない『罪』を1人で背負っていたのだ。
「……よかった……。貴方という、本当の……騎士が、あの子の側に現れてくれて……」
命を賭けた死闘を繰り広げたショウトに対し、彼女は最期に、心からの感謝を込めた安らかな笑みを向けた。
その真意を知った瞬間、ショウトの胸を、刃で抉られるような鋭い痛みが貫く。
(この子も……ただセレスを守りたかっただけだったのか……っ!)
「アンナ……?」
その時、ショウトの背後から震える声が響いた。
よろめきながら立ち上がったセレスが、アンナ元へフラフラとした足取りでこちらへ近づいてきたのだ。
「セレス! 歩いて大丈夫なのか!」
ショウトがハッとして振り返り、セレスを案じて声をかけた。
セレスはショウトの心配も耳に入っていないかのように、親友の最期を看取ろうと、一歩一歩、涙を零しながら足を踏み出しいく。
セレスがアンナの数メートル手前まで近づいた、その時だった。
アンナは薄れゆく意識の中で、自分のもとへ駆け寄ろうとするかつての主君――いや、たった1人の大切な友人の顔を、愛おしそうに見つめた。
「……ごめんなさい……セレス……」
それは、身分を偽り、裏切り者を演じきった彼女が最期にこぼした、たった1つの本音だった。
「……ッ!?」
直後、ショウトの全身の産毛が、最悪の危険を察知して総毛立った。
安らかな表情を浮かべて事切れたアンナの胸の奥底から、突如として、極めて強力な『黒い光』がドクン、と脈打ったのだ。
それはアンナ自身の意志ではない。純粋な『破壊』のためだけに圧縮された、異常な高エネルギーの塊。
ジェードは、最初からアンナのこともただの『駒』としてしか見ていなかった。
彼女が任務に失敗し、あるいはセレスが近づいたその瞬間に自動で起爆するよう、あらかじめ彼女の心臓に『罠』が仕掛けられていたのだ。
「クソォッ!!」
ショウトは絶叫と共に地を蹴った。
アンナの身体が、限界まで膨張した風船のように赤黒く発光し始める。起爆まで瞬きするほどの時間すら残されていないのは明白だった。
「キャッ!?」
ショウトは近づいてきていたセレスの腰に左腕を回して強引に抱き寄せると、持てる全ての力を使って、後方へと大きく跳躍した。
同時に、右手に握った『カグツチ』にありったけの力を注ぎ込み、自分とセレスの背中を守るように、分厚い白炎で障壁を展開する。
直後――――
――――――――カッッッッ!!!!
アンナの身体を起点として、今までのどの爆発も凌駕する大爆発が巻き起こった。
岩壁に囲まれた広場に、第2の太陽が生まれたかのような閃光が走る。
広場の中央を丸く抉り取るようにして膨張した爆炎が、周囲の岩壁を粉々に粉砕し、凄まじい衝撃波となって空間全体を蹂躙した。
「ぐ、おおおおおォォォォォッ!!」
ショウトは空中でセレスを自身の胸に強く抱き込み、襲い来る爆風と熱波を必死に受け止める。
純白の炎が爆風を相殺し、激しい火花が散る。
それでも防ぎきれない衝撃がショウトの背中を強打し、2人の身体は木の葉のように吹き飛ばされ、崩落したすり鉢状の広場のさらに奥、硬い岩肌へと激しく叩きつけられた。
「ガハッ……!」
背中から岩に激突し、肺の空気が強制的に吐き出される。
ショウトはセレスを庇ったまま地面を数メートル転がり、ようやくその勢いを止めた。
もうもうと立ち込める土煙と、耳鳴りが支配する世界。
熱風が吹き荒れる中、ショウトは咳き込みながら、腕の中で震えるセレスの無事を確認した。
「……ケホッ……セレス、無事、か……?」
「……は、はい。ショウト様が、庇って……」
セレスは涙で濡れた顔を上げ、ショウトの腕の中で小さく頷いた。
「よかった……」
ショウトは安堵の息を吐き、ゆっくりと身を起こして、爆発の中心地へと視線を向けた。
広場に舞う土煙が少しずつ晴れていく。
そこには、巨大なクレーターのような穴が穿たれているだけだった。
先程までの激闘の痕跡も、セレスを想い、最後は謝罪の言葉を残して微笑んだアンナの身体も。
何もかもが、ジェードの悪辣な罠によって、塵1つ残さず跡形もなく消え去っていた。




