第41話:妖女の誘いと光の奔流
鏡のような水面と朱色の鳥居が連なる、静寂の精神世界。
俺はゆっくりと畳の上に立ち上がり、目の前に立つ傲岸不遜な神剣の少女――カグツチの真紅の瞳を、真っ直ぐに見つめ返した。
「……貸してくれ、お前の力を」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、そして澄み切っていた。
「綺麗事だけで誰かを守れるなんて、もう思わない。俺のくだらない甘さのせいでセレスが死ぬくらいなら……俺が進んで泥を被る。人殺しの罪でも、業火の罰でも、なんだって背負ってやる」
俺の決意を聞いたカグツチは、酷薄な、けれどどこか嬉しそうな、ひどく満足げな笑みを浮かべた。
「よく言った。それでこそ、この偉大なる神剣カグツチが力を貸すに相応しい主じゃ」
カグツチはカツン、と下駄を鳴らして一歩前に踏み出した。
小柄な彼女が、俺の胸元に触れるほどの至近距離にまで接近してくる。甘い伽羅の香りと、焦げるような熱気が俺の鼻腔をくすぐった。
彼女はそっと、その小さな白い両手を俺の胸の中央――心臓の位置へと添える。
そして、つま先立ちになって俺の顔に自身の顔を近づけると、吐息がかかるほどの距離で、甘く、そして力強く囁いたのだ。
「ならば……儂を受け入れろ、主よ」
その言葉と共に、彼女の小さな掌から、途方もない『熱』が俺の体内へと流れ込んでくる。
(あ……)
かつて、深い水の底で彼女に触れようとした時は、全身の細胞が焼き切れるような灼熱の拒絶を味わった。
だけど、今は違う。
俺の身体に流れ込んでくるその『熱』は、決して俺を傷つけるものではなかった。
冷え切った絶望を溶かし、砕けた心を繋ぎ止め、内側から無限の力を湧き上がらせるような、圧倒的で絶対的な『安心感』。
「……あたたかい」
俺がポツリとこぼすと、カグツチは照れ隠しのようにフンと鼻を鳴らし、俺の胸に添えた手にさらにグッと力を込めた。
『さあ、目覚めの時じゃ。我らを遮る全ての理不尽を、神の炎をもって灰燼に帰そうぞ!』
カグツチの凛とした叫びが響き渡ると同時に、精神世界の水面が眩い光を放ち、俺の意識は急速に現実世界へと引き戻されていった。
――――現実世界。崩落したダンジョンの広場。
「やめて! お願い、やめてぇぇぇぇぇっ!!」
ショウトの身に起きる悲惨な末路に、セレスの悲痛な絶叫が広場に響き渡る。
アンナの冷酷な瞳は一切の感情を交えることなく、血溜まりに倒れ伏すショウトの心臓へと、殺意に満ちた短剣を真っ直ぐに振り下ろした。
肉を裂き、命を断ち切る、致命の一撃。
その鋭い刃が、ショウトのボロボロの衣服を突き破り、肌に触れるか触れないかの、まさにその刹那だった。
――――カァァァァァァァァァァァッ!!!!
突如として、ショウトの身体を中心に、広場全体を真昼のように照らし出すほどの、凄まじい『純白の光』が爆発的に吹き上がった。
「な……ッ!?」
アンナの目が突然の出来事によって驚愕に見開かれる。
振り下ろした短剣は、ショウトの皮膚に到達する数ミリ手前で、まるで目に見えない分厚い鋼鉄の壁に激突したかのように、ガキンッ!と甲高い音を立てて弾き返されたのだ。
「ぐっ……!? この光は、一体……!」
アンナは弾かれた勢いのまま、光の波に押されるように後方へと数メートル跳び退く。
彼女の本能が、目前で吹き荒れるそのエネルギーに対し、かつてないほどの『死の危険』を警鐘として鳴らしていた。
それは、ありふれた魔力などでは断じてない。
ジェードから与えられた『力』のような、おぞましく淀んだ力とも全く違う。
気高く、清浄で、触れる者すべてを塵1つ残さず浄化してしまいそうな、圧倒的な密度のエネルギー。
「ショウト、様……?」
すぐそばで地面に這いつくばっていたセレスが、眩しさに腕で顔を庇いながら、信じられないものを見るように目を見開いた。
光の柱の中で、先ほどまでピクリとも動かなかったはずのショウトが、ゆっくりと上体を起こしていたのだ。
彼の身体から立ち昇っているのは、これまで彼が使っていたような真紅の炎ではない。
白と金が入り混じったような、あまりにも神々しい『未知の力の奔流』だった。
凄まじい熱量と風圧が周囲の岩を吹き飛ばし、ガラス質に変異した地面すらも蒸発させていく。
だが、その光の嵐のすぐ傍にいるセレスは、不思議なことに一切の熱さを感じていなかった。
それどころか、その光に触れているだけで、恐怖で凍りついていた心がじんわりと温められ、絶対的な安心感に包まれていくのを感じていた。
「……ふう」
ショウトは光の奔流の中でゆっくりと立ち上がり、天を貫くように吹き上がっていた凄まじい力を、大きく息を吸い込むと同時に、一瞬にして自らの体内へと収束させた。
光が収まり土煙が晴れた広場に、再び静寂が戻る。
そこに立っていたのは、もう死に体の無力な少年ではなかった。
自らの甘さを捨て去り、守るべき者のために『罪』を背負う覚悟を決めた、一人の揺るぎない戦士の姿だった。




