第5話:【幕間】絶対者
――ゆくか、『同胞』よ
――ああ
「……さあ、ショウト様。こちらへ」
「あ、はい……」
困惑しきった様子の少年――ショウトがクレスに連れられてリビングから退出してすぐのことだった。
パタン、と重厚な木製の扉が閉まり、二人の足音が完全に遠ざかったのを確認した瞬間。
クッションを抱きしめてだらしなく寝転がっていたリリィの瞳から、先程までの「怠惰」の色が完全に消え去った。
「……ふぅ」
彼女はゆっくりと立ち上がると、先程までショウトに見せていた「威厳あるエルフ」の顔よりも、さらに冷たく、底知れない深淵のような無表情へと変わる。
細い指先を軽く宙に滑らせると、空間に不可視の魔力の奔流が幾重にも組み合わさり編み込まれていった。
「……もういいよ。早く出ておいで」
リリィが虚空にいる「何か」に向けて短く呟くと同時に、広大なリビング全体が強固な結界で覆われた。
これで、この部屋の中でどれほど巨大な力が爆発しようと、どれほど大声を上げようと、別室にいるショウトには一切感知されることはない。
――それは結界の完成とほぼ同時だった。何もない空中の空間がグニャリと不自然に歪み、そこから眩いばかりの『光』が『不定形なシルエット』を描き、いくつもの形に分かれて音もなく顕現した。
生物の種としての限界を超え、進化の果てに至った超常の存在である『次元』の観察者。様々な世界を守り、崩壊を防ぐことを目的とする絶対的な上位存在――『管理者』たちだった。
『――【リリストーラ】よ』
脳内に直接響くような、無機質で荘厳な声が部屋に響き渡る。
『彼を……迅速に保護してくれたこと、感謝する』
『我々に代わり、彼に理を説明してくれたことにも礼を言おう。これで彼も、己の運命を――』
「……運命、だと?」
――ピキッ!!
リリィが低く、地の底から這い出るような声で「管理者」達の言葉を遮った瞬間。
強固に結界が張られたはずのリビングの空間そのものが悲鳴を上げ、あちこちでひび割れを始めた。
『……ッ!?』
「誰が言い訳を聞かせろと言った? 誰が感謝の言葉を述べろと言った?」
リリィの白銀の髪が、空間そのものを軋ませるほどの桁外れな『威圧』によって、ふわりと逆立つ。
彼女から放たれる圧倒的な殺意と覇気に、実体を持たないはずの「管理者」達の光のシルエットが、ノイズが走ったように激しく明滅しガタガタと震え始めた。
「お前たちの馬鹿な一人が引き起こした『暴挙』で、あの子の人生はどうなった? 家族と引き離され、平和な日常を奪われ、昨日まで知る由もなかった死の恐怖に晒されたんだぞ!」
リリィが無言で一歩、「管理者」たちの元へ近づく。
それだけで絶対者であるはずの彼らが、たじろぐように後ろへと下がった。
ショウトは、彼は「上位存在」の単なるシステムの暴走や事故でこの世界に落ちてきたわけではない。
この世界を見守る「管理者」の一人が、ショウトが元々暮らしていた世界の「管理者」と結託し、意図的に彼をこの歪な世界へと召喚したのだ。
とある理由から「管理者」の事情に精通しているリリィは、すでに彼らが「暴挙」に至ったふざけた理由を察していた。
「輪廻の輪から外れてしまった『哀れな魂』たちを救済するため。……それが、ショウトを無理やり召喚した理由だろう?」
『……左様。彼に宿る【力】が目覚めれば、穢れに侵され輪廻から外れた魂たちを浄化し、再び循環の輪に戻すことができる。これは世界を正し、魂を救済するために必要な――』
「寝言は向こう側で言え!!」
ドンッ!! と、リリィの凄まじい威圧が爆発し、弁明しようとした「管理者」を抵抗さえさせずに結界の壁に叩きつける。
「『必要』だと!? 哀れな魂を救いたいというお前たちの身勝手な『我儘』のために、無関係な、無垢な少年の人生を奪っていい理由になるものか!!」
リリィの激しい怒号が結界内に反響する。
「お前たちの都合で作られた『この危険な世界』で、その【力】が目覚めればどうなるか……世界に潜む闇の残党達から、死に物狂いで狙われることになるのは明白だろう! その血みどろの道を、お前達はただの心優しい子供に歩ませるというのか!!」
怒り狂うリリィの理路整然とした正論に、「管理者」達は一切反論できず沈黙した。
他の「管理者」達にとっても、独断でショウトを召喚した同胞の行いは非難の対象であった。しかし既に召喚されてしまった以上、彼らであっても対応できないのが実情だった。
「いいか、よく聞け。……次はない」
リリィの翡翠の瞳が、剣呑な光を帯びて細められる。
「あの子を召喚したことは、もう百歩譲って許そう。あいつの暴走したことだ、お前達をいくら責めたところでもうどうにもならない。だけど、あの子にこれ以上の理不尽を強いるような真似をすれば……あるいは、お前たちが直接あの子に干渉して『使命』だの『運命』だのを押し付けようとするならば……私が、お前たちを直接『処理』しに行く。たとえこの世界がどうなろうと、ね」
リリィの言葉は、決してただの脅しではない。
彼女なら本気でやりかねず、そして実際に彼らを滅ぼし得るだけの力があることを、「管理者」たちは誰よりも理解していた。
『……ッ! き、肝に銘じておこう、【リリストーラ】よ』
『我々も、これ以上の干渉は避ける。彼の行く末は……貴方に託す』
凄まじい威圧感に耐えきれなくなった管理者たちは、逃げるように言葉を早口で紡ぐと、空間の歪みの中へと逃げ込むようにして消え去った。
「……ふん。私に託されても、ショウトの道はショウトが選ぶものなんだよ。」
光が完全に消滅したのを確認すると、リリィは大きく息を吐き出し部屋を満たしていた恐るべき覇気を霧散させた。
結界を解除し、元の静かなリビングへと戻る。
彼女はゆっくりと窓際へと歩み寄り、ログハウスの外、緑が広がる穏やかな森の景色を見つめた。
「……ごめんね、ショウト」
窓ガラスに額をこつんと当て、リリィは誰に聞かれるでもなく、ポツリと懺悔の言葉をこぼした。
――彼を元の世界に帰してやれないのは、本当のことだ。
――そして、彼のような『特異な力』を宿した存在が、この理不尽な世界で生きていくこと、それがどれほど過酷な道のりになるのか、彼女自身が痛いほどよく知っている。
――自分の弟子にすれば、ただの学生だった彼に『戦い』を教えることができる。
――でもそれは、人を、敵を傷つける術を叩き込み、彼の手を血で染めさせることになる。
――あまりにも重すぎる一方的な業の押し付けだった。
「せめて、君がこの理不尽な世界で生きていけるように……私が持てる力の全ての技術を叩き込んでみせるよ」
窓から差し込む優しい日の光を浴びながら、リリィは「管理者」の勝手な都合で過酷な運命を背負わされた少年に向けて、静かに、そして固く誓いを立てるのだった。
※連続投稿はここまでとなります。以降は序章終了まで各日21時に投稿予定です。




