第4話:変わらぬ事実と変えられる現実
――『表』があれば『裏』がある
リリィさんの美しすぎる微笑みに見惚れていた俺だったが、彼女の次に紡いだ言葉で、ふっと現実に引き戻されることとなった。
「ショウト。君が私達を許してくれたことについては本当に感謝している。……けれど、もう1つ、君に伝えなければならない事があるんだ」
「な、なんでしょう……?」
「ああ。ショウト、君を……『元の世界』に送り返すことは、今は極めて困難だということだ。それは私であっても、元凶でもある彼らであってもね……」
リリィさんの言葉に、俺は無意識のうちに拳をギュッと握りしめていた。
心のどこかで「やっぱりか」と納得する自分と、「どうにか帰る方法はないのか」と足掻きたくなる自分がいる。
だが、彼ら……「上位存在」と呼ばれる超常のバケモノ達ですら、自らが起こした手違いに直接手を出せないような状況なのだ。そう簡単に「はい、帰還ボタンをポチッ」で済む話ではないことくらい、俺でも想像がついた。
「……一生、帰れないんですか?」
「いや、絶対に不可能というわけではないと思うよ。だけど、それには途方もない時間と、件が必要になってくる。少なくとも、今すぐ君を元の世界へ帰してあげることはできそうにないんだ。本当に申し訳ないと思うよ……」
そう言うと、リリィさんは本当に申し訳なさそうに眉を下げた。
俺は大きく深呼吸をして、なんとか気持ちを切り替えようと自分を落ち着かせる。パニックになっても仕方がない、泣き喚いても元の世界へ帰る扉はすぐには開かない。
それならば、考えるべきは「今、どうするか」だ。この今までの常識が通じない、あの異形の獣のようなバケモノがうろつく異世界で、ただの高校生である俺がどうやって生きていくのか、それを考えなければ帰れるものも帰れなくなってしまう。
今後のことを考え俯いて黙り込んだ俺を見て、リリィさんはスッと真剣な眼差しになると俺の方へと身を乗り出した。
「そこで、私からショウトに1つ提案がある」
「提案、ですか?」
「ああ。ショウト、君がよければだが、私の『弟子』にならないか?」
「……え?」
リリィさんからの予想外の言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「君は昨日、身をもって知ったはずだ。この世界は君のいた平和な前の世界とは違い、ここは一歩外に出れば異形のバケモノが跋扈する危険な世界だ。何の知識も、力も持たない人間が1人で生き抜けるほど、この世界は甘くない」
「そ、それは……確かに痛いほどわかっているつもりです」
あの時の、見知らぬ森でバケモノに殺されかける絶望感は、今でも思い出すだけで足が震えてしまう。
「だから、君がこの世界で『死なない程度』の実力と知識を身につけるまで、私が責任を持って鍛え上げよう。この世界には『冒険者』という職業があり、『ダンジョン』と呼ばれる迷宮も存在する。私のようなエルフだけでなく、獣人や、空を駆ける龍なんかもいる。剣と魔法の世界だよ」
――剣と魔法
――冒険者、ダンジョン、エルフ、獣人、龍
リリィさんの口から次々と飛び出すファンタジー作品の定番たち。それらを聞いた瞬間、俺の心の奥底に眠っていた『男子高校生としてのロマン』、あるいは『サブカル好きのオタク魂』が不謹慎にもドクンと大きく跳ねた。
元の世界に帰れない不安は確かにまだ残っている。だけど、それ以上に「異世界ファンタジーの世界で魔法や剣を習える」という事実は、俺のような平凡な学生にとって劇薬すぎた。
「あの、俺みたいな普通の人間にでも……魔法とか、使えるようになりますか?」
「もちろんだとも。基礎からみっちり教えてあげるよ。……どうだろうか?」
リリィさんが、期待を込めた上目遣いでこちらを見てくる。
――こんなの、答えは1つしかないだろう。
「――よろしくお願いします! 俺を、弟子にしてください!」
「……っ! 本当かい!?」
「はい! 何も分からない素人ですが、一生懸命頑張ります!」
俺が勢いよく立ち上がって頭を下げた、その瞬間だった。
「ふぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っ! よかったぁぁぁぁぁ!!」
「…………え?」
頭を下げたままの俺の鼓膜を揺らしたのは、威厳の欠片もない、気の抜けたような間抜けな声。
顔を上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
ほんの数秒前まで、威厳に満ち溢れた女神のように凛としていたはずのリリィさんが、まるで骨を抜かれたスライムのようにテーブルの上にペチャリと突っ伏していたのだ。
「あー、緊張したぁ……! もし断られたり、『元の世界に帰せ!』って泣き喚かれたらどうしようかと思ったよぉ……。偉そうに喋るの、すっごい肩凝ったぁ……」
「え、あ、あの……リリィ、さん……?」
先程までとは別人のようにテーブルに頬を擦り付けながら、だらしなく足をブラブラさせるエルフ。
俺は自分の目を疑った。
さっきまでの、あの神々しいまでの知性と威圧感はどこにいったんだ?
まるで、美少女キャラの着ぐるみからチャックを開けて中から怠け者のおっさんが出てきたような、凄まじい変貌ぶりだった。
「ショウトくん、素直でいい子で本当に助かったよ〜。クレスぅ、私頑張ったから甘いものちょうだーい」
「はぁ……。リリィ様、いくら気が抜けたからといって、出会って二日目の御方の前で本性を晒すのはいかがなものかと」
クレスさんがリリィさんの変わりように、困ったようにこめかみを押さえて深々とため息をつく。
というか、クレスさんの落ち着きよう……
(やっぱり、こっちが本性なのか……!?)
俺が衝撃の光景にポカーンとしている前で、しかしクレスさんは「仕方ない人ですね……」と呆れたように言いながらも、手際よくテーブルに高級そうなクッキーや焼き菓子を並べ始めた。
「ほら、お茶も冷めてしまいますよ。ちゃんと座ってお召し上がりください」
「えへへ~、クレスだーい好き。ねぇ、あーんして?」
「……今回だけですからね。はい、あーん」
パクッ。
「ん〜、おいひぃ〜」
(……な、なんだこれ。)
絶世の美女メイドが、同じく絶世の美女エルフを子供のように甘やかしている。
さっきまでの「世界の真理」みたいなシリアスな空気は跡形もなく消え去り、百合百合しい激甘な空間がそこには出来上がっていた。
「あ、あの……リリィさん、俺の修行は……その……」
「んぇ? ああ、修行ね。もちろんやるよぉ」
リリィさんはクレスさんに食べさせてもらったクッキーをモグモグと頬張りながら、俺に向けて片手をヒラヒラと振った。
「でも、今日はまだ疲れてるでしょ? 詳しいことは明日から始めるから、今日は部屋に戻ってゆっくり休んでていいよぉ〜。クレス、彼を部屋まで送ってあげて〜」
「かしこまりました。……さあ、ショウト様。こちらへ」
「あ、はい……」
完全に毒気を抜かれた俺は、リリィさんに言われるがままに立ち上がってクレスさんに付いていく。
部屋を出るとき振り返ると、リリィさんはすでにクレスさんに用意してもらったであろうクッションを抱きしめ、幸せそうに二度寝の体勢に入っていた。
(俺、本当にこの人へ弟子入りしても大丈夫なんだろうか……)
一抹の……いや、かなり巨大な新たな不安を抱えながら、俺はクレスさんの跡について部屋を後にするのだった。
――今、見えるは『表』か『裏』か




