第3話:顛末と不始末
――人は『未知』を恐れ、停滞する
ログハウスの一室、部屋に取り付けられた大きな窓から日の光が明るく差し込む。
穏やかな部屋の雰囲気に反して、リリィさんの言葉が静かなリビングに重く響き渡った。
「ショウト。ここは、君がいた世界とは全く違う場所――いわゆる『異世界』だよ」
「いせ、かい……」
オウム返しに呟いた俺の声は、自分でも驚くほど間抜けに掠れていた。
――異世界
アニメやライトノベル、漫画などのサブカルチャーが溢れる時代を生きていた俺にとって、「異世界」という言葉は決して聞き馴染みのない言葉ではない。
見たこともない巨大な木々が鬱蒼と立ち並ぶ異常な森。
見たことも、聞いたこともない姿をした、まるで幻のように灰となって消えた異形の化け物。
そして目の前にいる、絵本から抜け出してきたような、現実離れした美しさを持つ完璧な『エルフ』。
――薄々、気付いてはいたのだ。ここは俺の住んでいた国の、世界のどこかではなく、完全に常識の外側にある場所なのだと。
だけど、こうして正面から決定的な事実として告げられると、やはり足元が崩れ落ちるような強烈なショックを受けてしまう。
「……つまり、俺は……元の世界から、別の世界に飛ばされたってことですか?」
「……うん、そうだね。ショウトは世界と世界の壁を越えて、今いるこの世界にやってきたんだよ」
リリィさんの返答に俺は両手で顔を覆い、深く息を吐き出した。ありえない、そう思わずにはいられなかった。
――家族は、友達はどうしているだろうか。俺が突然消えて、向こうは今頃大騒ぎになっているに違いない。
――それに、俺はこれからどうすればいいのだろうか? 元の世界に戻れるのか? 戻れたとしても、どれだけの時間が向こうで過ぎているのか全く分からない。
下手に『異世界』について色々な作品で知っているせいか、様々な『最悪の可能性』が頭を過ってしまう。ぐるぐると渦巻く不安に、胃のあたりがキリキリと痛み出す。
しかし、同時に俺の頭のどこか冷静な部分が、『散々夢見てきたあの「異世界」を楽しめるかもしれない』と囁いていた。
「……わかり、ました。なんとなく、そんな気はしてましたし」
数分間の沈黙の後、俺は顔を上げてそう答えた。
声は少し震えていたかもしれないが、自分でも驚くほどすんなりと、その事実を飲み込むことができた。緊張や不安が無くなったわけではない。それでも、現実を受け止めて前に進まなければ状況は変わらない。
そう決意した俺の返答を聞いたリリィさんは、翡翠の綺麗な瞳を少しだけ丸くして、パチパチと瞬きをした。
「おや……。もっと取り乱すかと思っていたけれど、意外と受け入れが早いんだね。もっとこう、『嘘だろ!』とか『元の世界に帰せ!』とか叫ばれる覚悟をしていたのだけれど」
「いや、そりゃ僕もパニックにはなってますけど……。あの森で死ぬほど怖い思いをして、リリィさんに助けてもらったのは紛れもない現実ですから。夢とか幻覚じゃないってことくらい、嫌でもわかります」
俺が苦笑交じりにそう言うと、リリィさんはどこか安心したように、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「そうか。ショウトは賢くて、とても優しい子なんだね。……だからこそ、ショウトには本当に申し訳ないと思っている」
「え?」
リリィさんの表情が曇り声のトーンが、一段階下がった。
彼女はティーカップから手を離し、姿勢を正すと、後ろに控えていたクレスさんに視線をちらりと向けた。
それだけでリリィさんの意図を察したらしいクレスさんは、音もなくリリィさんの斜め後ろへと移動する。
「ショウト。君がこの世界に来てしまった理由について、話さなければならない」
リリィさんの顔から、先程までの穏やかなお姉さんのような表情が消えていた。
代わりに浮かんでいるのは、深い後悔と、どこか重苦しい罪悪感を浮かばせる感情だった。
「君は……この世界に『選ばれし者』として召喚されたわけでも、何か特別な使命を背負って呼ばれたわけでもない。……ショウトに分かるように言うなら『神』と呼ばれるような存在の、さらに上位に位置する者たちの【手違い】で、この世界に召喚されてしまったんだ」
「て、てちがい……?」
「ああ。彼らのほんの少しの不始末、システムの暴走のようなものだ。その結果、無関係な君が、世界と世界の壁を越えてこの危険な森に放り出されてしまった」
つまり神様よりもさらに上、超常の存在によるミスのせいで、俺は突然家族や友人から引き離され、あわやバケモノの餌になりかけたということか。
あまりにも理不尽な理由に、俺の頭の中が一瞬真っ白になる。
「本来ならば、その原因を作った者たちが君の前に直接現れ、土下座をしてでも謝罪し、責任を取るべきだ。だが……今の彼らにはそれができない」
そう言うと、リリィさんはゆっくりと椅子から立ち上がった。
そして、後ろに控えていたクレスさんと共に、俺に向かって深々と頭を下げたのだ。
「えっ!? ちょっ、リリィさん!? クレスさんも!」
「彼らに代わって、私たちが謝罪させてもらう。君の人生を理不尽に捻じ曲げ、あのような危険な目に遭わせてしまったこと……本当に、申し訳なかった」
美しい白銀の髪がサラリと揺れ、クレスさんの漆黒の髪もそれに続く。
命の恩人でもある二人が、ただの学生で子供の俺に向かって、これ以上ないほど深い謝罪の礼をとっていた。
俺は慌てて椅子から立ち上がり、頭を上げてもらおうと両手をパタパタと振った。
「や、やめてください! 頭を上げてください! お二人が謝る必要なんてないじゃないですか!」
「いや、君を保護した者として、事情を知る者として、私は彼らの尻拭いをする義務がある」
「だからって、俺の命の恩人であるお二人に頭を下げられるなんて、俺の方が居た堪れなくなります!」
俺は取り繕うのも忘れて必死に訴えかけると、リリィさんとクレスさんはゆっくりと顔を上げ、悲しげに瞳を揺らした。
その表情を見た瞬間、俺の胸の奥底で得体の知れない『上位存在』に対するフツフツとした怒りが湧き上がってきた。
「大体、その『上位存在』って連中は何なんですか! 自分達のミスで人を別の世界に引きずり込んでおいて、謝罪すらせずにリリィさん達を利用して僕を押し付けるなんて……ふざけてる! さっさと出てきて直接説明と謝罪をしろって話ですよ!」
「異世界」に召喚され取り残された恐怖なんかよりも、命の恩人にこんな顔をさせている元凶への怒りが俺の中を上回った。
俺が「上位存在」へ怒りの声を荒げていると、リリィさんは困ったような、しかしどこか焦ったような顔で俺の言葉を遮った。
「待って待って、ショウト。怒る気持ちは痛いほどわかるし、私達を気遣ってくれてありがとう。だけど、彼らが直接ここに来ないのには、ちゃんとした理由があるんだ」
「理由って、そいつらが責任逃れとか、ただの人間に頭を下げたくないとかじゃないんですか?」
「いや、違う。……彼らが直接ショウトの前に現れれば、君が【消滅】してしまう危険があるからなんだよ」
「…………はい?」
リリィさんの弁明を聞いた俺の怒りが、スッと綺麗に霧散した。
「彼らは、『上位存在』は、この『世界』そのものを司るような、あまりにも規格外な存在だ。存在のスケールが普通とは違いすぎるんだよ。ショウト、特別な力を持たない普通の人間である君が、彼らのような強大な存在と直接対面すれば、その凄まじい力と存在の『格』に君自身の『魂』が耐えきれず、そのまま『魂』ごと消し飛んでしまう危険があるんだよ」
「た、たま、しい、ごと……」
「だから、彼らは君の前に出たくても出られないんだ。既に自分達の失態で巻き込んでしまった君をこれ以上危険に晒さないために、私たちが彼らの代わりに謝罪と説明を任されたというわけだ」
――会ったら、死ぬ。
――いや、死ぬどころか魂ごと消滅する。
そんな理不尽極まりない存在が本当にいるのかと笑ってしまいたい気持ちも、リリィさんの大真面目な表情と説明に冗談だとはとても思えなかった。背筋を冷たい汗がツーッと伝い落ちる
「あ、あはは……。なるほど、そういうことなら、仕方ないですね。ええ、全く問題ないです。直接の謝罪とかマジで死んでもお断りなんで、どうかその上位存在さんたちには『気にしないでください、一生顔は見せなくて結構です』とお伝えください……」
俺は盛大な手のひら返しを披露し、ソファーにへたり込むように座り直した。
怒りよりも、やはり自分の命が大事だ。自分とスケールが違いすぎる相手には決して関わらないのが一番である。
「……本当に、いいのかい?」
「はい! お二人に謝っていただいただけで十分すぎます! だから、どうか気にしないでください!」
俺が必死に頼みこむと、リリィさんは安堵したように息を吐き、再び椅子に腰を下ろした。
後ろで控えていたクレスさんも、どこかホッとしたような表情で軽く頭を下げて、音もなく元の位置に戻っていった。
「ありがとう、ショウト。君のその寛大さに、救われたよ」
リリィさんはそう言って、花が咲くような、今日一番の美しい微笑みを俺に向けた。
その笑顔の破壊力に、俺は先程までの恐怖すら忘れ、不覚にもドキンと心臓を跳ねさせてしまうのだった。
――だからこそ、人々は『冒険』し『道』を作るのだ




