第38話:セレスの決死の抵抗
両手を広げ、血溜まりの中に倒れるショウト様を背後へ庇うようにして立ち塞がる。
私の足は、生まれたての小鹿のようにガタガタと震えていた。
心臓は破裂しそうなほど早鐘を打ち、呼吸をするたびに恐怖で喉が引きつる。
「……退いてください、セレスティーネさま。今の貴女に、私を止める力などないことは分かっているはずです」
アンナが一歩、また一歩と、血に濡れた短剣を手に近づいてくる。
実際、彼女の言う通りだった。
私の『呪い』は、発動する魔力そのものを打ち消すことはできても、彼女が手にしている短剣や、鍛え上げられた純粋な体術を防ぐことは一切できない。
今、アンナがその短剣を私に向けて振るえば、私は抵抗すらできずに斬り伏せられるだろう。
(どうすれば……どうすれば、ショウト様を助けられるの……っ!)
私は、刻一刻と近付いてくるアンナを睨みながら、必死に思考を巡らせる。
圧倒的な暴力の前で、何の力もない私がショウト様の命を救うための、たった1つの方法。
(――アンナたちの目的は、私だ)
ジェードという恐ろしい黒幕は、アンナに私を『生け捕り』にするよう命じているらしい。
「……ッ!」
私は震える手を、ボロボロになったワンピースの懐へと滑り込ませた。
そこにあるのは、冷たい金属の感触。
王宮で孤独に生きてきた私が、いつか誰かに命を狙われた時、せめて自らの手で最期を迎えるためにと隠し持っていた、小さな護身用の短剣だ。
鞘から引き抜いたその刃を、アンナに向けるのではない。
私はその冷たい刃先を、自分自身の白い首筋に、血が滲むほど強く押し当てた。
「……ほう」
アンナの足が、ピタリと止まる。
「一歩でも動いたら……この刃で、私の喉を突きます!」
声が震え、涙が頬を伝い落ちる。
刃の冷たさと、微かに切れた皮膚からの痛みが、これが現実であることを無情にも私に突きつけていた。
だが、その痛みすらも、背後で息も絶え絶えになっているショウト様を失う恐怖に比べれば、何でもなかった。
「アンナ……貴女たちの……いえ、ジェードの目的は、私を生きたまま連れ帰ることでしょう!? なら、私がここで死ねば、貴女は任務に失敗することになる!」
「ええ、その通りです、セレスティーネさま」
アンナは表情一つ変えずに、淡々と肯定した。
「貴女の命は、ジェード様の偉大なる計画の要。万が一にも失われるようなことがあれば、私の命をもってしても償えません」
「だったら……ショウト様から離れて! この人を見逃して! そうすれば、抵抗せず貴女についていくわ。どんな場所にでも、おとなしく付いて行く……っ!」
力のない私が、アンナに対してできる精一杯の抵抗。
私自身の命を人質にした、最初で最後の賭け。
私の首筋から一筋の血が流れ落ち、白いワンピースの襟元を赤く染める。
それを見て、アンナは初めて、小さく息を吐いた。
「……セレスティーネさま。貴女は本当に、考えの甘い世間知らずですね」
「え……?」
「死ぬ覚悟もないくせに、自害を交渉のカードに使うなど……暗殺者を前にして、あまりにも滑稽です」
直後、アンナの姿が私の視界からフッと消えた。
「あっ――」
私が短剣を首に押し込もうと、手に力を込めるよりも早く。
「遅い」
微かに聞こえた呟きと共に、私の両手首に凄まじい衝撃が走った。
骨が砕けそうなほどの激痛。私の手から護身用の短剣が弾き飛ばされ、カランと虚しい音を立てて遠くの地面に転がった。
「きゃあっ!」
そのまま、アンナの手刀が私の肩口に深く振り下ろされる。
悲鳴を上げる間もなく、私の身体は無様に地面へと叩きつけられた。
「あぁっ……、うぅ……っ」
口の中に泥の味が広がり、肩から背中にかけて痺れるような激痛が走る。
私が咳き込み、這いつくばるようにして起き上がろうとするのを、アンナはもう一瞥することすらなかった。
手足を奪われた虫けらと同じ。完全に『無力な存在』として私を地面に放置したまま、彼女は血溜まりの中で意識を失っているショウト様の元へと歩み寄っていく。
「さあ、これで邪魔者は誰もいません」
アンナは倒れ伏すショウト様の傍らに立つと、その手に握られた短剣をゆっくりと高く振り上げた。
太陽の光を反射した刃が、残酷なほどに眩しく輝く。
「やめて……っ」
私は泥だらけの顔を上げ、必死に手を伸ばした。
届かない。立ち上がることすらできない。
あの強くて、優しくて、私を守ると言ってくれた彼が。こんなにも温かい心を持った人が、今、無残にも命を奪われようとしている。
「やめて! アンナ! お願い、やめてぇぇぇぇぇっ!!」
私の悲痛な絶叫が、広場に空しく響き渡る。
アンナは一切の躊躇なく、ショウト様の心臓に向かって死の刃を真っ直ぐに振り下ろす。
絶望が、私の視界を真っ暗に塗り潰していった。




