第37話:恐るべき『使徒の力』
鼓膜を破るような轟音の残響が、岩壁の崩落した広場に木霊していた。
凄まじい爆風によって巻き上げられた土煙が、太陽の光を遮って周囲を薄暗く染め上げている。
焦げた肉と血の匂いが入り混じった異臭が立ち込め、パチパチと周囲の草木がくすぶる音だけが不気味なほど静かに響いていた。
「……ショ、ウト……様……っ」
もうもうと立ち込める煙の中、爆風から辛うじて逃れたセレスは、地面を這うようにしてショウトの名前を震える声で呼んだ。
「ショウト様ッ! どこですか、ショウト様ぁぁっ!!」
声の限りに叫びながら、泥だらけになって煙の中を駆けずり回る。
そして、崩落した岩壁の根元で、彼女は『それ』を見つけた。
「あ……あぁ……っ」
セレスの喉から、声にならない悲鳴が漏れる。
岩壁に叩きつけられ、無残に崩れ落ちたショウトの姿。
彼の身体は、直前まで彼を覆っていたあの力強い真紅の魔力を完全に失っていた。
全身の服は爆風と熱で吹き飛び、肌は黒く焼け焦げ、そこかしこから赤黒い血が流れ出している。
奇跡的に急所は逸れていたものの、右腕はあり得ない方向に曲がり、呼吸は信じられないほど浅く、不規則だった。
「ショウト様……! いやっ、死なないで……目を開けてくださいッ!!」
セレスは血だまりの中に膝をつき、彼の身体を掻き抱いた。
セレスの願いも空しく、彼の体温は恐ろしい速さで失われつつあった。
何度呼びかけても、身体を揺すっても、固く閉じられたまぶたがピクリとも動くことはない。
満身創痍の肉体は、ただ命の灯火が消えるのを待つだけの状態に陥っていた。
(私の、せいだ……。私が、ショウト様を巻き込んでしまったから……!)
セレスの眼から、後悔と絶望の涙がとめどなく溢れ落ちる。
自分のために戦ってくれた。自分のために、その身をボロボロにしてまで立ち塞がってくれた。
なのに、どうしてこんな無惨な結末を迎えなければならないのか。
その時だった。
――ザクッ、ザクッ
土煙の向こう側から、ゆっくりと土を踏みしめる足音が聞こえてきた。
「……うそ……でしょう……?」
段々と近付いてくる足音に、セレスは震える顔を上げる。
薄れる煙の中から姿を現したのは、先ほどショウトを巻き込んで自爆したはずのアンナだった。
しかし、彼女の姿はさすがに無傷といかず、凄惨を極めていた。
ショウトの剣で斬り裂かれた肩から脇腹にかけての深い裂傷。さらに、先ほどの至近距離での自爆の代償として、彼女の右腕は肘から先が完全に吹き飛び、千切れた肉の断面からドクドクと血を流していた。
本来であれば、失血とショックでとうの昔に死んでいるはずの重傷だ。
だが、アンナの顔には苦痛の表情一つなかった。
それどころか、彼女はまるで散歩でもしているかのような平坦な足取りで、ショウトを抱き抱えるセレスの元へと歩み寄ってきたのだ。
「……素晴らしい実力でした。私が腕一本を犠牲にして放った至近距離での爆発。まともに食らえば肉片1つ残らないはずですが……とっさに魔力で防御したようですね。まだ息があるとは驚きです」
アンナは無表情のまま、自らの失われた右腕の断面を淡々と見下ろす。
「ですが、人間の肉体とはひどく脆く、不便なものですね。一度壊れてしまえば、二度と元には戻らないのですから」
次の瞬間――――
アンナの吹き飛んだ右腕の断面から、ドス黒い泥のような魔力が、意志を持った生き物のようにウネウネと溢れ出したのだ。
黒い魔力は瞬く間に彼女の右腕の形を形作っていく。
グチュ、メチャァッ、という不快な肉の蠢く音。
骨が伸び、血管が走り、筋肉が編み込まれ、最後に真っ白な皮膚がそれを覆い隠す。
「ひっ……!」
セレスはあまりにも不気味な光景に、恐怖で顔を引き攣らせ後ずさった。
わずか数秒、ただの数秒で、吹き飛んだはずのアンナの右腕が、指先の爪一枚に至るまで完全に『再生』してしまったのだ。
ショウトが渾身の力で斬り裂いた胴体の傷も、すでに黒い魔力によって完全に塞がり、傷跡1つ残っていなかった。
「これが、私がジェード様より賜りし『使徒の力』。人間という脆弱な器を捨てた者に与えられる、絶対的な恩恵です」
アンナは再生したばかりの右手の指を軽く曲げ伸ばしして確認すると、地面に落ちていた短剣を拾い上げ、再び冷徹な瞳でショウトを見下ろした。
「いかに彼が優れた能力を持っていようと、回復できない肉体では意味がない。結局のところ、彼はただの人間だった。ジェード様の盤上を引っ掻き回すだけの、目障りな小石に過ぎなかったのです」
アンナが一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
その手にある短剣が、死神の鎌のように鈍い光を放っていた。
「さあ。余興は終わりです、セレスティーネさま」
アンナはセレスへ無感情に告げた。
「その男には、ずいぶんと予定を狂わされました。万が一にも息を吹き返されては厄介です。……ここで確実に、心臓を突き刺して息の根を止めます。彼から離れてください」
「――ッ!!」
心臓を突き刺し息の根を止める。
その残酷な宣告が、セレスの凍りついていた思考を強制的に叩き起こした。
(殺される……。このままでは、ショウト様が殺されてしまう!)
アンナの瞳に、一切の容赦はない。
彼女は本当に、ゴミでも片付けるかのように、この気絶している少年の命を奪うだろう。
逃げ場は……ない。当然、助けも来ないだろう。
彼を守れる者は、もうこの世界で自分しかいないのだ。
『俺が生き残るための、一番の「理由」だ』
暗闇の洞窟の中で、彼が向けてくれた、あの底抜けに温かい笑顔が脳裏をよぎる。
(私なんかを、守ると言ってくれた。重荷じゃないと、笑ってくれた)
「……させない」
セレスは、血溜まりの中に倒れるショウトを庇うようにして、その細い身体を立ち上がらせた。
「ほう?」
「ショウト様は、絶対に殺させない……っ!!」
恐怖でガタガタと震える両足を必死に踏み締め、両手を大きく広げてアンナの前に立ち塞がる。
その眼には、これまでの怯えきった王女の姿はなかった。
あるのは、たった1つ見つけた『大切な人』を、自らの命に代えてでも守り抜こうとする、決死の覚悟の炎だった。




