第31話:裏切りの甘言
太陽の光が降り注ぐ、崩落した洞窟の出口と岩壁に囲まれたくぼ地。
一切の逃げ場のない絶望的な包囲網の中で、ショウトはセレスを背後に庇うよう立ち、『漆黒の剣』を構え直し切っ先をアンナたちへと向ける。
そんなショウトの姿を見下ろしながら、すり鉢状の岩肌の上に立つアンナは、ふうと小さくため息をついた。
「……本当に、計算外のイレギュラーです。ショウト様、貴方は一体何者なのですか? ただの冒険者にしては異常すぎる。ジェード様が放ったあの怪物を退け、これほどの疲労を抱えながら、まだ戦う意志を折られていないなんて」
アンナの瞳が、まるでショウトを値踏みするように細められる。
彼女は右手を軽く挙げ、周囲で武器を構える黒装束の男たちを一度制止させた。
「1つ、提案があります」
アンナは淡々とした、感情の読めない声で告げた。
「私たちの目的は、その後ろにいるセレスティーネ王女殿下の身柄だけです。貴方はもともと、この件には全く無関係な通りすがりの部外者でしょう?」
「……だから、なんだよ」
「貴方ほどの力を持つ者を相手にすれば、こちらも無傷では済まない。それに、これ以上の時間のロスは私たちも避けたいのです」
アンナはショウトを真っ直ぐに見据え、まるであらかじめ予定した内容を読み上げるかのように、淡々と取引を持ちかけた。
「セレスティーネ王女殿下をそこに置いて、貴方一人でこの場を立ち去りなさい。そうすれば、貴方の命だけは確実に保証してあげます。……賢い選択をしてください。今の貴方はボロボロの体で、私たち全員を相手にして生き残れる見込みはゼロです」
「ッ……ショウト、様……」
ショウトの背中に庇われているセレスが息を呑む。
実際アンナの言う通りだった。
ショウトの体力も魔力も限界に近い。ここでセレスを見捨てれば、ショウトが助かる確率は高いだろう。
いや、むしろそうするべきなのだと、ショウトの中にある理性が必死に叫んでいた。
しかし、ショウトの反応はアンナの予想を、そしてセレスの不安を根底から覆すものだった。
「…………はっ」
ショウトは俯いていた顔を上げアンナを睨み返すと、バカバカしいとばかりに盛大に鼻で笑い飛ばした。
「悪いな。俺の頭が悪いのか、アンナの言ってることが少しも理解できない」
「……何が言いたいのですか」
「町で襲われた時にも言っただろ。俺はセレスを『絶対に守り抜く』って決めたんだよ。一度口にした約束を、自分の命が惜しいからってホイホイ投げ出すようなダサい真似、死んでもやれるか」
ショウトは『漆黒の剣』を固く握り、その切っ先を真っ直ぐにアンナへと突きつける。
「それにさ」
彼は背後を振り返らず、背中で震えるセレスに向かって、わざと聞こえるように少しだけ明るい声で言った。
「さっきまで危険な洞窟を一緒に生き抜いてくれた、こんなに可愛くて健気な女の子をさ。お前らみたいな気味の悪い連中にホイホイ引き渡すほど、俺は薄情な男じゃないんだよ」
「――っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、死の恐怖と絶望で青ざめていたセレスの顔が一瞬にしてカッと熱くなり、耳の先まで真っ赤に染まり上がった。
(か、可愛くて、健気な……!?)
こんな絶体絶命の状況下で、何を言っているのだろうか、この人は。
だが、その飾らない真っ直ぐな言葉が、セレスの胸の奥底に芽生えたばかりの『恋心』に、強烈なほどの熱を注ぎ込んだ。
自分のために、命を懸けて、どんな敵の前でも絶対に引かないと言ってくれる。
その圧倒的な安心感と愛おしさに、セレスは胸をギュッと押さえ、恥ずかしさと嬉しさで視線を彷徨わせた。
一方で、そのやり取りを見下ろしていたアンナの顔からは、先ほどまでの余裕が完全に消え去っていた。
「……そうですか。愚かな選択ですね。 どうやら、私はショウト様を見誤っていたようです」
ショウトに向けられるアンナの声は、絶対零度のように冷たかった。
「英雄気取りの甘いヒロイズムが、ここで貴方の命を終わらせるのです。……やりなさい。セレスティーネ王女殿下は生け捕りにしろ。男は――殺せ」
アンナが命令を下したのと同時に、周囲を取り囲んでいた二十人以上の黒装束の男たちが、一斉に斜面を駆け下りショウトたちへと殺到した。
「セレス、離れるなよ!」
「はいっ!」
ショウトはセレスを背後に庇いながら、殺到する襲撃者たちの先頭へと自ら踏み込んだ。
「ハァァァァッ!」
ショウトの気合いと共に『漆黒の剣』が一閃する。
しかし、ショウトの刃が襲撃者たちの身体に当たることはなかった。
(いくらセレスを狙っているとはいえ、こいつらは魔物じゃない……『人間』だ!)
ショウトの故郷である『元の世界』において、人を殺めることは絶対的な禁忌だった。
魔物を相手にした時は、倒せば灰になるという事実があったからこそ、ためらいもなく剣を振るえた。
しかし、今、目の前にいるのは血の通った人間。
平和な世界で育ったショウトの倫理観が、無意識のうちに敵である襲撃者へ向ける刃を鈍らせていた。
「シッ!」
ショウトは剣の刃を返し、峰打ちの要領で襲撃者の首筋に強烈な打撃を叩き込んだ。
「グガッ……!」
鈍い音と共に、先頭の襲撃者が白目を剥いて地面に崩れ落ちる。
すかさず背後から迫る凶刃を、ショウトは半身になって躱し、柄の底でみぞおちを打ち据え、さらに回し蹴りを側頭部へと叩き込んで意識を刈り取った。
「まだまだァッ!」
疲労で足がもつれそうになるのを、気合と勢いでカバーする。
ものの数分で、五人、六人と、黒装束の男たちがショウトの足元に崩れ落ちていった。
周囲に血の匂いはしない。ショウトは確かに、誰も殺さずに敵を撃退していた。
「すごい……」
背後で守られているセレスが、驚きに息を呑む。
満身創痍のはずなのに、一歩も引かずに敵を圧倒するその姿は、彼女の目には本物の英雄のように映っていた。
しかし―――
岩壁の縁からその光景を冷ややかに見下ろしていたアンナは、ショウトの戦い方を見て、口元に酷薄な、そしてひどく残忍な笑みを浮かべていた。
「……なるほど。剣の腕は確かですが、人を殺した経験がないのですね。あんなに強大な力を持っていながら、急所を外して『気絶』させているだけとは」
アンナは懐から、小さな黒い水晶球を取り出した。
「その『不殺の甘さ』が……戦場においてどれほど致命的か、教えてあげましょう」
アンナの冷たい呟きと共に、彼女の手の中の水晶球が、不吉な赤い光を放ち始める。
それが、ショウトとセレスを本当の『絶望』へと叩き落とす、最悪の悲劇の合図だとは、この時のショウトたちはまだ知る由もなかった。




