第26話:風を読んで
ミノタウロスの巨体が崩れ落ちてできた黒い灰の山を背に、俺たちは静まり返った地下空間の通路を歩き出した。
「ショウト様……これから、どう進みましょうか」
「とりあえず、この場所からは離れた方がいい。血の匂い……いや、今回は灰しか残ってないけど、戦闘の音を聞きつけた他の魔物が寄ってくるかもしれないからな」
俺はセレスの歩調に合わせながら、周囲の壁を注意深く観察した。
先ほどまでいた広い空間から続くこの通路は、どこまで行っても岩肌がむき出しになっており、人工的な石組みではなく、自然の洞窟のような無骨な造りをしていた。
壁のあちこちに張り付いている発光ゴケの薄青い光だけが、暗闇の中で頼りない光源となっている。
「しかし、厄介だな……」
俺は立ち止まり、長く続く同じような景色の通路を見てため息をついた。
「見渡す限り、特徴のない岩肌ばかりだ。迷路みたいに入り組んでるし、自分が今どこにいるのか、どっちを向いているのかすら分からなくなりそうだよ」
「はい……。それに、私たちは街を歩いていた時の軽装のままです。食料も、お水も、魔法薬などの最低限の準備すら何もありません」
セレスが不安げに自分の服の裾を握りしめた。
彼女の言う通りだ。俺は街に到着したばかりで道具も揃えていないし、彼女も街着のワンピース姿。
とてもじゃないが、洞窟探索を生き抜けるような装備ではない。
「先ほどのミノタウロスのような強力な魔物がまた現れたら……」
「いや、あいつは特別だったんだと思うよ」
俺はセレスを安心させるように首を振った。
リリィさんとの修行で『魔素』を感じ取れるようになった俺の感覚からすれば、この洞窟全体を満たしている魔素の濃度は、そこまで高くない。
むしろ、街中とそう変わらないように感じる。
あの空間に陣取っていたミノタウロスだけが、不自然なほどに『魔素』を取り込んで異常進化していたような、そんなチグハグさがあったのだ。
「あんな怪物みたいな魔物がうようよしてるような場所なら、空気の重さがもっと違うはずだ。……だからといってこれ以上奥に進むのは自殺行為だ。準備不足にも程がある」
「では、来た道を引き返しますか?」
「いや、転移させられた地点からどっちが出口かなんて分からない。それに、俺たちは上層にいるのか、下層にいるのかも不明なんだ」
八方塞がりの状況に、セレスが暗い顔で俯く。
しかし、俺は1つだけ、こういう洞窟の地形から『出口』を見つけ出す方法を知っていた。元の世界で読んだ、サバイバル漫画か何かの知識だ。
「セレス、ちょっと待っててくれ」
俺は右手の指先に魔力を集中させ、チロチロと揺れる小さな火を灯した。
それから、目を閉じて周囲の空気の流れに意識を研ぎ澄ます。
「ショウト様? 何をしているのですか?」
「『風』を読んでるんだよ」
「風、ですか?」
「ああ。この洞窟は恐らく『ダンジョン化』している。それでも、元は自然の洞窟だろうからな。もしどこかに出口があって、外と繋がっているなら……必ずそこに『空気の通り道』ができているはずなんだ」
俺は指先の火を目の高さまで持ち上げた。
発光ゴケの冷たい光の中で、俺の灯した小さな火が微かに揺れる。
「炎は、空気の流れに敏感だ。どんなに微弱な風でも、流れてくる方向になびくか、あるいは煙が流れていく方向で気流が分かる」
俺はじっと炎の先端を見つめた。
最初は全く動かなかった炎だったが、俺が息を殺して観察していると、ほんの数ミリ、わずかに一定の方向へ向かって傾いていることに気付く。
「……あっちだ」
俺は火が傾いた反対方向――微かな風が流れてくる方向を指差した。
「向こうから空気が流れ込んできてるってことは、そっちに出口がある可能性が高い。闇雲に歩き回るよりは、ずっとマシな道しるべだ」
「すごいです……! そんな方法があるなんて、思いもよりませんでした」
セレスがパッと表情を明るくし、尊敬の眼差しを向けてくる。
ただの漫画の知識なんだけどな、と内心で照れくさく思いながらも、俺は指先の火を消して彼女に向き直った。
「よし、方針は決まりだ。風上に向かって、上層を目指す。途中で道が分かれても、とにかく風の流れてくる方向を信じて進むぞ」
「はい!」
俺たちは脱出の糸口を見つけ、力強く頷き合った。
だが、これから向かう先は平坦な道ではない。足元はゴツゴツとした岩で歩きにくく、いつ暗闇から魔物が飛び出してくるかも分からないのだ。
「セレス、手を」
俺は彼女に向けて、真っ直ぐに右手を差し出した。
「はぐれないように。それに、何かあったらすぐに俺が引っ張れるように」
「あ……」
セレスは少しだけ躊躇うように自分の手を見つめた。
自分の体質、『魔法を無効化してしまう力』を気にしているのだろう。
だけど、俺が手を引っ込めずにただ真っ直ぐに彼女の目を見つめ続けると、彼女は観念したように、小さく微笑み、柔らかい手を俺の掌に重ねてきた。
「……よろしくお願いします、ショウト様」
「ああ。絶対に出口まで連れて行くからな」
ギュッと手を握り合う。
俺の体温と、彼女の少し冷たい手のひらの感触。
それは、絶対的な孤独の中で生きてきた彼女にとって、初めて触れた『他者の温もり』だったのかもしれない。
俺たちは繋いだ手を離さず、薄暗い岩肌の迷宮を、微かな風の流れを頼りに歩き始めた。




