第25話:少女の告白
薄暗い地下空間に、発光ゴケの青白い光だけがぼんやりと浮かんでいる。
先ほどまで巨大なミノタウロスが立っていた場所には、ただ黒い灰の山が残るのみ。その静寂の中で、セレスは自らの胸を強く握りしめながら、足元に視線を落としていた。
「ショウト様。……アドレイア王国において、王族とはどういう存在か、ご存知ですか?」
ポツリと、静かな水面に波紋を広げるような声だった。
俺が黙って首を振ると、彼女は自嘲するような、ひどく寂しげな笑みを浮かべる。
「王国において、魔力は神からの授かりもの。そして王族とは、その神から授かった魔力を建国の頃より継承してきた血統なのです。もちろん、王族よりも強い魔力を持つ者は国中にいくらでもいます。ですが、その『神の恩恵を受け継ぐ血筋』であること自体が、王族にとっての絶対的な誇りなのです」
「……」
「私の本名は、セレスティーネ・リュース・アドレイア。……この国の、第二王女です」
セレスティーネ。それが彼女の本当の名前。
王女という身分には驚いたが、彼女の持つ上品な立ち振る舞いや、アンナたち暗殺者が『セレス様』と呼んでいたことを考えれば、納得のいく話だった。
「ですが、私は……生まれた時から、体内に魔力を一切持っていませんでした。適性が偏っているというレベルではなく、魔力そのものが完全に『欠落』していたんです。……いいえ、それだけならまだ、ただの『無能な王女』として、この国の片隅で生きられたのかもしれません」
セレスはゆっくりと顔を上げた。
その碧眼には、過去の深いトラウマに怯えるような、痛ましい光が揺れている。
「ショウト様。……魔術で指先に小さな火を灯していただけますか?」
「え? ああ、わかった」
俺はセレスに言われるがままに右手を差し出し、人差し指の先にチロチロと揺れる魔力で生み出した小さなロウソクの火を灯した。
セレスは覚悟を決めるように深呼吸をすると、震える右手をゆっくりと俺の指先へと近づけてきた。
「火傷するぞ」
「大丈夫です。……見ていてください」
セレスの白い指先が、俺の魔力で作られた火に触れる。
その瞬間だった。
――スッ
ジュッ、という音がしたわけではない。炎が風に吹き消されたわけでもない。
俺が明確なイメージと魔力をもって維持していたはずの火が、セレスの指先が触れた瞬間、まるで『最初からそこには何も存在していなかった』かのように、音もなく綺麗に空間から消滅してしまったのだ。
「……え?」
俺は目を丸くして、自分の指先とセレスの顔を交互に見比べた。
魔力が吸い取られた感覚はなかった。ただ、俺の魔力と外の魔素を結びつけていた『魔法の構造』そのものが、彼女の指と触れた瞬間に強制的に解かれ、霧散させられたのだ。
「これが、私の『呪い』です」
セレスは自らの両手を、恐ろしいバケモノでも見るかのように見つめ、ギュッと握りしめた。
「私は、あらゆる魔術、あらゆる魔力干渉を、ただ触れるだけで強制的に『無効化』し、霧散させてしまうんです。攻撃魔術も、結界も、魔道具の恩恵も……私の前では、すべてが意味を成さなくなってしまう」
彼女の声が、次第に震え始めた。
「五歳の時でした。父様が私に見せてくれた美しい光の魔術……それに触れたくて手を伸ばした瞬間、今と同じように消え去りました。父様は……何も言わず、ただ凍りついたように私を見つめていました」
王族の誇りである魔力を消し去る謎の力。
それが発覚したその日から、彼女の生活は一変したという。
「私はすぐに王宮の中心から遠ざけられ、離宮へと移されました。私に浴びせられたのは、周囲の貴族や使用人たちからの『この国から魔力を奪う、忌まわしき呪い子』という冷たい言葉と、酷い扱いでした。父様や母様、兄様たちは、私が彼らにどれだけ虐げられていても……ただ無関心で、決して私を庇ってはくれませんでした」
「幼い私から完全に目を逸らし、いないものとして扱ったのです。それ以来、私は王族の中で『触れてはならない存在』として幽閉されました。……家族の誰からも、愛されることなく」
セレスは悲痛な声でそう語り、大粒の涙をこぼした。
だが、彼女の痛ましい過去を聞きながら、俺の頭の中の冷静な部分が、『強烈な違和感』を感じ取っていた。
(……なんだ、この違和感は? 何が引っかかっているんだ?)
もし本当に国王たちが彼女を「忌まわしい存在」として心底嫌悪し、危険視していたのなら、王族の権力を使って秘密裏に処刑するか、国外へ追放するなど、いくらでも排除する方法はあったはずだ。
前の世界でも、そんな内容のライトノベルをたくさん見てきた。
おまけに、セレスを襲撃したアンナたちの存在。あんな裏社会のヤバそうな組織が、明らかに最初からセレスの身柄をピンポイントで生け捕りにしようと狙っていた。
俺はハッと、とある結論にいたりセレスに視線を向ける。
今すぐ『お前は嫌われてなんかいない、家族に守られていたんだ』と教えてやりたかった。
しかし、その言葉が喉まで出かかって、俺はグッとそれを飲み込んだ。
俺の推測は、あくまで状況から導き出したただの『予想』に過ぎない。もしこれが俺の壮大な勘違いで、本当に家族から憎まれていたのだとしたら、彼女に無責任な希望を持たせ、二度も心を殺すことになる。
「……ショウト様」
俺が沈黙している間に、セレスは大きく一歩、俺から距離を取るように後ろへ下がった。
「貴方は、英雄の系譜を継ぐ、素晴らしい力を持った御方です。貴方のような光り輝く才能を持つ方が、私のような、神の恩恵を壊すだけの『呪い子』と一緒にいてはいけません」
「セレス……」
「だから、私をここに置いて、貴方一人で逃げてください! 私と一緒にいれば、貴方まで不幸に――っ!」
悲痛な叫びを上げ、セレスはギュッと目を閉じた。
彼女はきっと、俺から向けられるであろう『嫌悪』や『恐怖』の視線を待っている。ずっとそうやって、周囲の人間から拒絶され続けてきたから。
「――大丈夫だ、セレス」
「……えっ?」
俺はため息を吐くと、ポカンと目を開けたセレスに向かって歩み寄り、その頭にポンと右手を乗せた。
「ショ、ショウト様……?」
「なんだよ、バケモノとか呪いとか言うから、どんなおぞましい秘密かと思ったら。ただ『魔力を消せるだけ』じゃないか」
「た、ただ魔力を消せるだけって……っ! 魔力はこの世界で一番尊いもので、それを無に還す私は、世界から嫌われる存在で……!」
必死に自分の異常性を訴えるセレスの言葉を、俺は笑って遮った。
「あのさ、セレス。俺も1つ、お前に隠してた秘密があるんだ」
「……秘密、ですか?」
「ああ。実は俺……この国どころか、この世界で生まれた人間じゃないんだ。俺は、別の世界から迷い込んできた『異世界人』なんだよ」
俺の唐突な告白に、セレスは信じられないものを見るように目を丸くした。
「いせかい、じん……?」
「そう。俺のいた故郷じゃ、魔法なんて使える奴はただの1人もいないんだよ。剣から火を出したりする奴がいたら、それこそ大騒ぎだ。……だから、俺の基準からすれば、魔法が使えないセレスは『超普通』の女の子で、逆に魔法を使ってる俺たちの方がよっぽど非常識なバケモノなんだよ」
元の世界の基準で言えば、平然と魔法を使ったり、人間離れした身体能力を持った俺やリリィさんの方がよっぽど特異点だ。
「それにさ」
俺はセレスの頭を撫でていた手を離し、今度は彼女の肩を真っ直ぐに掴んだ。
そして、その潤んだ碧眼を、一切の揺らぎなく真っ直ぐに見つめ返す。
「魔法を無効化できるって、めちゃくちゃ凄い『才能』じゃないか」
「さ、才能……? これが、ですか……?」
「当たり前だろ! 敵が防ぎきれないような強力な魔法を撃ってきたらどうする? 俺が剣で斬るより先に、セレスがちょんと触るだけで全部無力化できるんだぞ。最強の『盾』じゃないか」
「最強の、盾……」
セレスは俺の言葉を聞いて呆然と呟いた。
彼女の人生において、自分の体質をそんな風に肯定してくれた人間は、ただの1人もいなかったはずだ。
「セレスのその力は、誰かを不幸にする呪いなんかじゃない。誰かの身を守るための、立派な力だ」
俺はニカッと笑い、彼女から少し距離を取って、右手の親指を立ててみせた。
「俺が異世界人だろうと、セレスが呪い子と呼ばれていようと関係ない。セレスのその体質すらもひっくるめて、俺が全部守り抜いてやる」
薄暗い地下空間の中で、彼女を恐れる色も、蔑む色も、一切ない真っ直ぐな俺の言葉に、セレスの瞳からポロポロと、大粒の涙が溢れ出した。
「ひぐっ……うぇぇぇんっ……! 私っ……私……ずっと、怖くて……っ! 誰にも、触れられなくて……っ!」
「……うん。辛かったな」
俺は静かに歩み寄り、泣き崩れる彼女の背中を、ゆっくりと優しく叩き続けた。
彼女の肌に触れても、俺の中の魔力が暴走したり、消失したりすることはなかった。
彼女の力はあくまで既に発動した魔力を使った事象に対するものであり、人を傷つける呪いではないのだから。
(いつか、絶対にセレスの家族の本当の想いも、証明してやるからな)
俺は胸の内で密かに決意を固めながら、泣き疲れたセレスが顔を上げるのを待った。
「……お見苦しいところを、お見せしてしまいました。……申し訳ありません」
「いいよ。溜め込んでるより、吐き出した方がスッキリするだろ? それより、歩けそうか?」
俺が右手を差し出すと、セレスはその手を、今度は恐れることなく、しっかりと両手で握り返してきた。
「……はい! 私、ショウト様と一緒に行きます。私の中のこの力が……いつか、本当にショウト様を守る盾になれるように」
「ああ、頼りにしてるよ」
セレスの碧眼には、もう先ほどまでの絶望の色はなかった。
異世界人の少年と、魔力を消す力を持った王女。
二人は互いに頷き合い、得体の知れない地下空間から脱出するため、深い闇の中へと向かって力強い一歩を踏み出した。




