第22話:立ち上がる絶望
ミノタウロスの右腕の腱を狙い、俺の渾身の一撃が『漆黒の剣』から放たれた。
手応えは完璧だった。分厚い筋肉を断ち切り、骨すらも軽々と越えていく鋭利な刃。
これで奴は棍棒を握ることすらできなくなり、完全に無力化される――はずだった。
「――っ!?」
切り裂いたはずの右腕の傷口から、ドロリとした不気味な赤黒い光が溢れ出した。
断ち切られた筋肉の繊維が、まるで意思を持った別の生き物のように蠢き、急速に、信じられない速度で縫い合わされていく。
傷口から溢れ出していたどす黒い煙も収まり、奴の右腕は傷痕ひとつなく完全に塞がっていた。
「グルゥゥゥゥッ!!」
ミノタウロスは痛みを全く感じていないかのように咆哮し、再生した右手で巨大棍棒を握り直し、信じられない速さで横薙ぎに払ってきた。
「くそっ、治ったのか!?」
俺は咄嗟に剣の腹でその衝撃を受け流したが、完全に復活した膂力による一撃の反動に身体が浮き、数メートル後方へと着地させられた。
(なんなんだ、こいつの再生能力は……!)
俺が斬ったのは、紛れもなく太い腱であり筋肉だ。修行で鍛え上げられた一撃が、再生ごときで無効化されてたまるか。
だが、現実は残酷だった。
ミノタウロスは俺が最初に切り裂いた右脚の傷すらもすでに完治させており、再び両足で力強く石床を踏み砕いてみせた。
「グルルル……ァアッ!」
巨獣は二度目の突進を開始した。小賢しく抵抗を見せた人間に、湧き上がる怒りをぶつけるような荒々しい連撃。
俺は全身の魔力を再燃させ、身体強化で動きを加速させる。
――斬る、避ける、また斬る
通路を縦横無尽に走り回りながら、俺は10回、20回と刃を叩き込んだ。
胴、肩、太腿、そして太い首筋。
俺の刃は確かに奴の肉体を深く切り裂いている。
しかし、斬った傍から溢れる赤黒い光が、瞬く間に傷を閉じ、肉体の組織を強制的に繋ぎ合わせていく。
これでは、どんなに手数を重ねてもラチが明かない。
「ショウト様、逃げてくださいッ!」
背後から、セレスの悲痛な叫び声が響いた。
彼女は壁際で必死に身を小さくし、俺が突き飛ばした場所から動けずにいる。
「セレスを置いて逃げるわけないだろ! 逃げるなら2人一緒でだ!」
そう強気にセレスへ啖呵を切ったはいいものの、八方塞がりなことに変わりはない。
このままでは、ジリ貧なことに焦りと苛立ちが募る。
(なにか、なにかないのか!? こんな魔物どうしたらいいってんだよ!? …魔物?)
その瞬間、俺の脳裏に今度はクレスさんから教わった『魔物の生態』についての講義が鮮明に蘇った。
『――基本として、魔物は体内の魔素が尽きれば死に至ります。ですが、稀に異常な再生能力を持つ個体が存在するのです』
クレスさんはいつもの優雅な所作で紅茶を淹れながら、淡々とそう語っていた。
『そうした魔物を相手に持久戦を挑むのは愚の骨頂。倒す方法は2つだけです。再生が全く追いつかないほどの圧倒的な速度と手数で細切れにして仕留めるか……あるいは、奴らの命の核である「魔石」を破壊するか、です』
『「魔石」ですか……』
『はい。全ての「魔物」には身体を構成する核である「魔石」が存在します。「魔石」が魔物の体内に存在する限り、奴らは生命活動を止めることはありません。』
『そ、そうなんですね……。ということは、魔物は「魔石」が破壊されない限り不死身なんですか?』
『正解であり、不正解です。魔物は確かに「魔石」がある限り死にません。ですが、肉体に著しいダメージを負わせ、体内の魔素を放出させることで行動不能にさせることは可能です。その間に、体内から「魔石」を取り出すことで、完全に魔物を仕留めることに繋がります。ですので――』
(ありがとうございます、クレスさん……。奴との持久戦は分が悪い。かといって、今の俺に圧倒的な手数で細切れにするなんて無理だ)
なら、答えは1つしかない。あらん限りの力を集めて、体内の『魔石』を一撃で完全に破壊する!
そのためには、最大火力を準備する数秒間の『隙』が必要だ。
「――っ、だったら!」
俺は迫り来る巨大棍棒の振り下ろしを、ギリギリの紙一重でステップして回避する。
棍棒が石床を粉砕し、ミノタウロスの巨体が前傾姿勢でガラ空きになったその瞬間。
「吹き飛べぇぇぇぇッ!!」
俺は『漆黒の剣』を両手で持ち直すと、全身の魔力による『身体強化』を、限界を突破する勢いで発動した。
筋肉が爆発的に膨張し、骨が軋む。
俺は踏み込んだ勢いそのままに、ミノタウロスの巨大な腹めがけて、全開の身体強化を乗せた渾身の一撃を叩き込んだ。
――ドゴォォォォォォンッ!!
大砲がゼロ距離で撃ち込まれたかのような、鼓膜を破る凄まじい衝撃音。
バッティングの要領で放たれた物理的な破壊力は、三メートルを超えるミノタウロスの巨体を、文字通り軽々と宙へと浮き上がらせた。
「ブ、ギュバァァァァァッ!?」
ミノタウロスは口から大量の唾液を撒き散らしながら、砲弾のような速度で通路の奥へと吹き飛んでいく。
十メートル、二十メートル……そして、三十メートルほど先の分厚い石の壁に激突し、壁面全体に巨大なクレーターを穿ちながら崩れ落ちた。
「ハァッ……ハァッ……!」
全身の筋肉が千切れそうな激痛に耐えながら、俺は『漆黒の剣』を強く握り直した。
稼げた時間は、せいぜい五秒。
奴のあの異常な回復速度なら、内臓を潰されたダメージすらすぐに治癒して立ち上がってくるはずだ。
「……五秒あれば、十分だ」
俺は足を肩幅に開き、剣の切っ先を天へと向けた。
(集まれ……限界まで、もっと、もっと圧縮しろ……!)
俺の頭上に掲げられた『漆黒の剣』の刀身が眩い真紅の光を放ち始める。
放出するのではなく、無理やり一点に押し込める圧縮。剣の周囲の空間が、『漆黒の剣』から発せられる高熱によって陽炎のようにグニャグニャと歪み始める。
魔力の密度が高まりすぎた結果、剣からチリチリと火花のような赤い粒子が零れ落ちていた。
「グルルルォォォォォォォォォッ!!!」
通路の奥の土煙を突き破り、ミノタウロスが再び立ち上がった。
俺の渾身の一撃によって陥没したはずの胴体は、すでに赤黒い光によって修復され始めている。
奴は己に屈辱を与えた俺を完膚なきまでに叩き潰すため、これまでで最も速く、最も重い、文字通り『死の突進』を開始した。
段々と近付いてくるミノタウロスに反して、俺の心は恐ろしいほどに研ぎ澄まされ、静まり返っていた。
俺の魔力回路と完全に繋がった『漆黒の剣』の刀身に込められ続けた魔力が、今まさに臨界点を突破しようとしている。
「――来いよ、牛頭!! これが俺の全力だ!!!」
俺は燃え盛る真紅の剣を上段に構え、迫り来る巨大な怪物を真っ直ぐに見据えた。




