第17話:交じり合う刃
ギギギギギッ!
薄暗い路地裏に、鋼と鋼が削れ合う甲高い金属音が鳴り響く。
俺に肉薄したアンナが放つ短剣の刺突を、俺は剣を盾にして、その凶刃を的確に受け止める。
「くっ……!」
剣の刃越しに伝わってくる重い衝撃は、小柄な少女のものとは到底思えなかった。
彼女の全身から立ち昇る、淀んだ泥のように不気味な力が、その運動能力を常人の限界を超えた領域まで強制的に引き上げているのだ。
だが――
「速いし重いけど……単調だな」
俺は下半身に魔力を集中させ、「シッ!」という短い呼気と共に剣を軽く跳ね上げた。
「……っ」
それだけで体勢を崩されたアンナは、空中で猫のように身を翻し、数メートル後方の石畳へと着地する。
彼女の瞳には一切の感情が灯っていないが、僅かに警戒を強めたように姿勢を低くした。
アンナの両手に握られた二振りの短剣が、不気味な力を纏って黒く揺らめく。
彼女は石畳を蹴り、残像を残すほどの速度で再び俺へと襲いかかってきた。
左右からの連撃、死角を突く鋭い蹴り、さらには隠し持っていた短刀による牽制。
息もつかせぬ波状攻撃だが、俺は背後にいるセレスを庇うために一歩も動かず、そのすべてを剣で的確に弾き落としていく。
カァン! ガキンッ! と、激しい火花が夜の路地裏に散る。
「どうした? さっきの威勢は気のせいか?」
俺は余裕を見せながらアンナを挑発する。
実際、彼女の動きは洗練された暗殺者のそれだが、師匠の理不尽な剣技に比べれば止まっているに等しい。
だが、俺が攻めに転じきれない理由が2つあった。
1つは、彼女が先ほど見せた『爆発』の能力を隠し持っている可能性が高いこと。
迂闊に強い衝撃を与えて自爆でもされれば、至近距離にいるセレスを守りきれないかもしれない。
そしてもう1つは――セレスの気持ちだ。
俺の背後に震えながら隠れるセレスにとって、アンナはかけがえのない親友であり、心を許せる存在だったはずだ。
いくら騙されていたとはいえ、俺がここでアンナを容赦なく叩き斬れば、セレスの心に一生消えない傷を残すことになる。
(なんとか、無傷で無力化して拘束する方法を……)
俺がそう思考を巡らせ、アンナの次の一手を誘い出そうとしていた、その時だった。
「……う、おおぉぉ……ッ!」
不意に、背後の壁際から、低く掠れた呻き声が響いた。
視線を向けると、先ほど俺の剣圧で吹き飛ばされ、気絶していたはずのローブの男たちの一人が、血塗れの顔を上げてふらふらと立ち上がろうとしていたのだ。
身に纏うローブの装飾からして、おそらく彼がこの男たちのリーダー格なのだろう。
男の目は虚ろで、足元もおぼつかず、すでに戦えるような状態ではない。
だが、その右手には、不気味な紫色の光を放つ手のひらサイズの『結晶』が握られていた。
それを見た瞬間、今まで冷静だったアンナの表情が、初めて変わった。
「待ちなさい!!」
アンナが感情を露わにした悲痛な声を上げた。
「何をしているのです! その魔道具の使用は許可されていません! 対象の『生け捕り』が我々に課せられた絶対条件のはずです!」
アンナの強い制止の声に、しかし男は耳を貸さなかった。
血走った狂気に染まった目で、俺とセレスを――いや、俺の背後に隠れるセレスだけを真っ直ぐに見据えている。
「イレギュラー……想定外の戦力。このままでは……我々の命と引き換えにしても、対象の確保は不可能……ッ」
男の口から、血の泡と共に呪詛のような言葉が吐き出される。
「ならばせめて……この忌まわしき存在を、『奈落の底』へと……!」
「やめなさい!!」
アンナが俺との戦闘を完全に放棄し、男に向かって全速力で駆け出そうとする。
だが、遅かった。
男がその手に握っていた紫色の結晶を、躊躇いなく全力で石畳に叩き付けたのだ。
パァァァァァッ!!
路地裏が、網膜を焼くような強烈な紫色の閃光に包まれた。
「なっ……!?」
俺が眩しさに目を細めた瞬間、俺とセレスの足元の石畳に、複雑な幾何学模様を描いた巨大な魔法陣が浮かび上がった。
空間そのものが、グニャリと歪むような凄まじい悪寒と重圧。
「ショウト様っ!?」
セレスが悲鳴を上げ、俺の腕にしがみついてくる。
「強制転移の魔道具か……ッ!」
俺は咄嗟に剣を振り下ろし、足元の魔法陣ごと石畳を破壊しようとした。
だが、莫大な魔力を込めた刃は、魔法陣の光をすり抜けて地面を砕くだけで、空間の歪みそのものに干渉が一切できなかった。
魔法の発動が早すぎる。それに、この魔法陣から発せられる魔力の奔流は、アンナが発していた不気味な力が混じり合い、俺の常識を遥かに超える高密度で暴力的なものだった。
「くそっ! セレス、俺から絶対に離れるな!」
俺は右手の『漆黒の剣』を握り直し、セレスの細い身体を両腕で強く抱き締めた。
そして展開しつつある空間の歪みに抗うように、強く足を踏ん張る。
視界の端で、アンナが必死に手を伸ばしてこちらへ飛び込んでくるのが見えた。
「セレス様……ッ!!」
その顔に浮かんでいたのは、暗殺者としての冷徹な仮面などではない。
信じられないものを見るような、ひどく狼狽し、取り乱した少女の表情だった。
想定外の仲間の暴走によって、セレスが未知の奈落へと落とされようとしている。
その事実が、アンナの作り上げた無機質な仮面を完全に打ち砕いていた。彼女はただ必死に、何かに縋るように手を伸ばしている。
だが、彼女の指先が俺たちに届くよりも、ほんの一瞬早く。
魔法陣の紫色の光が爆発的に膨れ上がり、俺とセレスの身体は、完全に光の渦へと飲み込まれた。
「――――ッ!」
強烈な浮遊感と、内臓がひっくり返るような不快感。
俺はセレスを庇うように抱き締めたまま、光のトンネルの中を凄まじい速度で落下していくのを感じていた。
直前に見た、アンナのあの悲痛な表情。
もし彼女が本当にセレスを裏切っているのなら、どうしてあんな顔をしたのだろうか。
疑問は尽きない。だけど、今はそれを考えている余裕はない。
魔法陣の行き先がどこであれ、あいつらの使った魔道具が俺たちを安全な場所へ運んでくれるとは到底思えなかった。
「セレス! 舌を嚙まないように気をつけろ! 着地するぞ!」
俺の叫び声は、轟音を立てて荒れ狂う空間のノイズに掻き消された。
そして次の瞬間、俺たちの身体は光の渦から乱暴に吐き出され――冷たく湿った、果てしない闇の中へと真っ逆さまに落下していったのだった。




