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メインストーリーの、そのあとで  作者: 山楽かかし
第1章:月華の誓い
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第15話:男の矜持

「交渉は決裂、と受け取ってよろしいですか」


 アンナの静かで、ひどく冷たい確認の言葉が、路地裏に響き渡った。


 圧倒的に不利な状況において、部外者である俺だけが助かるという、合理的で冷酷な取引。


 俺の背後で、セレスが微かに息を呑む気配がした。


 彼女は、俺が握る左手から自分の腕を引き抜こうと、弱々しい力で抵抗を試みる。


「だめです、ショウト様……」


 彼女の震える声が、俺の背中越しに届いた。


「離して、ください。……あなたは、私なんかに関わっちゃいけない。私が大人しく捕まれば、あなたは助かるんです。だから……っ」


 セレスの声には、自分という存在への強い諦めが滲んでいた。


 自分が周囲に不幸を撒き散らす存在だからこそ、誰かに無条件で命を懸けて守ってもらえるなどと、微塵も信じられないのだ。


 ここで彼女を見捨てて逃げ出せば、俺は助かる。彼女はそう確信し、見ず知らずの俺を巻き込まないための自己犠牲を選ぼうとしていた。


 だけど――――


「……馬鹿言うなよ、セレス」


 俺は、セレスの細い腕をさらに強く握りしめ、彼女を完全に自分の背中へと隠した。


 そして、前方に立つアンナと、その背後に控える剣を構えたローブの集団を真っ直ぐに見据え、鼻でフッと笑い飛ばした。


「ああ、決裂だ。アンナ、お前の提案、根本的に間違ってるんだよ」


 俺の断言に、アンナは僅かに眉を動かした。


「……何がでしょうか。貴方にとって、最も生存確率の高い合理的な選択を提示したはずですが」

「あのなぁ」


 俺は空いた右手で後頭部をガシガシと掻き、わざとらしく大きなため息をついてみせた。


 そして、路地裏を包み込んでいた悲壮感と絶望の空気を、あえてぶち壊すように、呆れたような声で言い放った。


「自分の身の安全のために、得体の知れない怪しい連中に『可愛い女の子』を渡すような奴が、どこにいるんだよ。そんなダサい真似、死んでもごめんだね」


 ――その瞬間。


 張り詰めていた路地裏の空気がピシリと凍りついた。


「えっ」


 背後から、ひどく間の抜けた声が漏れた。


 俺の外套の裾を掴んでいたセレスの手から、スッと力が抜けるのが分かった。


「か、かわ……っ? え? 女の子……?」


 セレスの口から、言葉の意味が理解できず、意味を成さない呟きが漏れ出す。


 彼女の頭の中は今、これまでの人生で一度も投げかけられたことのない、あまりにも直球すぎる言葉によって完全にショートしていたのだ。


 閉ざされた世界で孤独に生きてきた彼女。家族にすら迷惑をかけまいと完璧な振る舞いを演じ、常に張り詰めた糸のように生きてきた彼女に向かって。


 今日、偶然出会ったばかりの少年は、暗殺者に囲まれた命懸けの状況を前にして、平然と言い放ったのだ。


 『可愛い女の子を渡すわけないだろ』と。


「あ、あわわ……っ」


 先ほどまでの裏切られた絶望や、命の危機に対する恐怖は、一瞬にして宇宙の彼方へと吹き飛んでしまったらしい。


 セレスの顔は、首の先から耳の裏まで、爆発したかのように真っ赤に茹で上がっていく。


(か、可愛い……私が!? しかもこんな、敵に囲まれている状況で!? どうして!? いえ、嬉しいですけれど! 凄く嬉しいですけれど、でも、今はそんなことを言っている場合じゃ……っ!)


 羞恥と、信じられないほどの嬉しさと、状況の深刻さが頭の中で大渋滞を起こし、セレスは文字通り『悶えて』いた。


 顔から火が出そうなほどの恥ずかしさに耐えきれず、彼女は俺の広い背中にゴツンと顔を押し付け、両手で俺の外套をギュウギュウと強く握りしめた。


「ちょっと、セレス? 引っ張ると戦いにくいんだけど」

「シ、ショウト様が悪いのです! こ、こんな状況で何をおっしゃるのですか! 恥ずかしくて死にそうです……!」

「えぇ……本心で言ったのに……」


 背中でジタバタと暴れるセレスに苦笑しながら、俺は視線を前へと戻した。


 先ほどまでの絶望的で悲痛な空気は、俺とセレスのやりとりで見事にぶち壊されていた。


 セレスの中に渦巻いていた、自責の念と孤独の呪縛。それを一時的にでも断ち切るには、これくらい単純で馬鹿げた理由が一番効くのだ。


「……理解不能ですね」


 その光景を静かな目で見ていたアンナが、氷のような声で呟いた。


 彼女の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、微かな動揺や哀しみがよぎったような気がしたが、それはすぐに冷酷な仮面の下へと隠された。


「たかがその程度の感傷で、自らの命を捨てるというのなら。……貴方のその無価値な矜持ごと、ここで切り刻んで差し上げます」


 アンナが、スッと右手を高く掲げた。


 それが、処刑開始の合図だった。


「やれ。その男は殺しなさい。セレス様は、生け捕りに」


『――ハッ!』


 背後に控えていた五人の男たちが一斉に地面を蹴り、俺とセレスに向かって接近してくる。


 先ほどの襲撃犯たちとは違う。彼らは俺の腕が立つと分かった上で、初手から一切の油断なく、最高速度で殺しにきている。


 灰色のローブが風を切り、ギラリと光る5つの直剣が、俺の四肢と首を正確に狙って迫り来る。


 彼らの動きは統率が取れており、足音一つ立てない。だが、俺から見れば、その軌道は手に取るように分かった。


「ショウト様……っ!」


 背中のセレスが、目の前の脅威に悲鳴のような声を上げた。


 俺は小さく息を吸い込み、右手に握る『漆黒の剣』に意識を集中させる。


 この数年間、俺がどれほど理不尽で規格外の化け物(ししょう)を相手に修行をしてきたと思っている。


「大丈夫だ、セレス。――少し、派手にいくから離れてろ」


 俺はニヤリと笑い、魂の奥底で燻る魔力を、『漆黒の剣』へと一気に流し込んだ。

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