第14話:裏切りの従者
シャラリーーーー
抜刀の冷たく、くぐもった金属音が薄暗い路地裏の空気をさらに凍てつかせた。
灰色のローブを纏った男たちが一斉に引き抜いたのは、殺傷能力に特化した無骨な直剣だった。
刃こぼれ1つない鋭い切っ先が、逃げ場のないどん詰まりの広場にいる俺とセレスへと、寸分の狂いもなく向けられる。
俺の背後で、セレスがヒュッと短く息を呑む気配がした。
彼女の小さな手が、俺の羽織っている外套の裾を、すがるようにギュッと握りしめている。その手は、小刻みに、しかし激しく震えていた。
「抵抗はおやめください、セレス様」
直剣を構える男たちを背後に従え、アンナは淡々と告げた。
その声には、騙し討ちをしたことへの罪悪感も、激情も含まれていない。
「すでにこの区画の退路は、我々が完全に塞いでおります。貴女の逃げ場は、もうどこにもありません」
「……どうして」
セレスの口から、掠れきった、血を吐くような声が漏れた。
「どうして、こんなことをするの……? 私が……周りに不幸を撒き散らす、忌まわしい存在だから……? だから、私を殺そうというの……?」
彼女の言葉には、深い絶望と諦念が入り混じっていた。
彼女がこれまでどんな環境で育ってきたのか、俺にはまだ分からない。だが、その言葉の端々から、彼女が自身の存在そのものを深く呪い、周囲から疎まれ続けてきた孤独な過去が痛いほどに伝わってきた。
そんな彼女にとって、偏見なく接してくれたアンナという人間は、暗闇に差し込む唯一の光だったはずなのだ。
「……」
セレスの悲痛な問いかけに対し、アンナは何も答えなかった。
ただ、その茶色の瞳で静かにセレスを見据えるだけだ。
肯定も否定もしないその完全な沈黙は、セレスにとって何百の罵詈雑言よりも深く、鋭く心を抉る凶器となっていた。
(……ふざけやがって)
俺は、外套を掴むセレスの激しい震えを背中で感じながら、腰の鞘に納められた漆黒の剣の柄を握りしめ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
つい数十分前までの光景が脳裏にフラッシュバックする。
――『この果実水、すごく冷たくて甘いです!』と目を輝かせていたセレス。
――『セレス様のあんな笑顔を引き出してくださって、感謝の言葉もありません』と、慈愛に満ちた瞳で微笑んでいたアンナ。
あの温かい時間は、あの笑顔は、すべてこの路地裏へ誘い込むための計算だったというのか。
それは、単なる暴力よりもずっとタチの悪い、人の心を根底から踏みにじる卑劣な行いだった。
俺の胸の奥で、ドス黒い怒りの炎がフツフツと湧き上がってくるのを感じた。
「――ショウト様」
不意に、アンナの静かな視線が、セレスを庇って立つ俺へと向けられた。
先ほどまでのひどく無機質な態度から一転し、屋台で共に食事をした時のように、どこか穏やかな響きが混じっていた。
「先程、屋台でお会いする直前……大通り近くの路地で我々の別動隊を無力化したのは、貴方ですね」
「……ああ、そうだよ」
俺が低い声で応じると、アンナは僅かに目を細めた。
「見事な腕前でした。彼らも決して素人ではありませんでしたが、何の抵抗もなく、たった数秒で五人を沈めるとは。……ただの冒険者だという言葉、やはり嘘でしたね」
「……」
「ショウト様。貴方はとてもお優しい方だ。屋台でセレス様に向けてくださった温かいお気遣い……あれは、私からも心よりお礼を申し上げます」
アンナは小さく、しかし丁寧にお辞儀をすると、ふぅと1つ、感情を押し殺したようなため息をついた。
「だからこそ、これ以上は関わらないでいただきたい」
「……なんだと?」
「我々の目的は、その後ろにいるセレス様ただ一人です。偶然巻き込まれ、あの一時を共にしただけの貴方の命まで奪う理由は、どこにもありません」
アンナが一歩前へ出ると、それに合わせて背後の男たちがジリッと距離を詰めてきた。
広場を完全に包囲する数の暴力と、逃げ場のない閉鎖空間。
「セレス様をこちらへ引き渡し、大人しくこの場を立ち去るというのであれば……貴方のこれまでの介入は不問とし、特別に無傷で見逃して差し上げます」
その言葉が路地裏に響いた瞬間。
俺の外套を掴んでいたセレスの手に、ビクッと強い力がこもった。
捨てられる――
彼女がそう思って絶望したのが、痛いほど伝わってきた。
何の義理もない俺が、見ず知らずの彼女を庇って、こんな暗殺者集団と命懸けの殺し合いをしてくれる理由など、どこにもない。
彼女自身が、自分が助かる価値のない存在だと深く思い込んでいるのだから、尚更だ。
「ショウト、様……」
背後から、泣き出しそうな、それでいて全てを諦めきったようなセレスの細い声が聞こえた。
「……逃げて、ください」
俺の外套を掴む彼女の手の力が、ゆっくりと弱まっていく。
自分が大人しく捕まれば、少なくともこの親切な少年だけは助かる。彼まで自分という不幸に巻き込むわけにはいかない。
彼女の持ち前の責任感と優しさが、そんな悲しい自己犠牲の答えを導き出そうとしていた。
スッ……と、俺の外套からセレスの手が離れようとした、その瞬間。
「え……?」
俺は鞘から手を離し、離れようとする彼女の細い腕を、背中越しに左手でガシッと強く掴み取った。
「離すなよ」
俺は振り返ることなく、短く、しかし絶対的な意志を込めて告げた。
「セレス。君は、俺の後ろに隠れてろ」
驚いて顔を上げるセレスを背中で制し、俺はゆっくりと正面に向き直った。
先程のアンナからの提案。
巻き込まれただけの部外者に対する、冷酷で合理的な生存の取引。
普通の人間なら受け入れるかもしれない。だけど、俺の答えは、この胸糞の悪い真実を突きつけられた最初から、たった1つしか決まっていなかった。
「交渉は決裂、と受け取ってよろしいですか」
俺のセレスを庇う態度を見て、アンナが静かな瞳で問いかけてくる。
俺は腰の剣を鞘から抜き、覚悟を決めるように漆黒の剣の柄を握り直した。




