第13話:追跡の結果、残酷な現実
アンナの残した魔力の痕跡を頼りに、俺たちは入り組んだ薄暗い路地裏を駆け抜けていた。
大通りの喧騒は、角を曲がるたびに遠ざかっていく。
足元には湿った苔が生え、太陽の光が届かない冷たい空気が肌を刺す。
ついさっきまで屋台の温かい匂いに包まれていたことが、まるで遠い昔の幻のように感じられる。
「はぁっ、はぁっ……アンナ……っ!」
俺の手を強く握り返しながら走るセレスの息は、すでに限界に近づいていた。
それでも彼女は、絶対に歩みを止めようとはしなかった。
出来損ないとして周囲から酷く疎まれ、息の詰まるような孤独の中で生きてきた彼女にとって、偏見を持たずに接してくれた使用人のアンナは世界でただ一人、心を許せる親友であり、家族同然の存在だったのだ。
その彼女が、自分のせいで凶悪な誘拐犯に攫われてしまったかもしれない。
セレスの胸中を渦巻く罪悪感と恐怖は、俺の想像を絶するものだろう。
(もう少しだ。アンナの魔力が、すぐ近くで止まってる……!)
俺はセレスの手を引く力を少しだけ強め、最後の角を一気に曲がった。
「っ……!」
そこは、周囲を高いレンガの壁に囲まれた、どん詰まりの小さな広場だった。
大通りからさほど離れていないはずなのに、この空間だけが、まるで世界から切り離されたかのように不自然に静まり返っている。
屋台の食べ物の匂いも、人々の声も、微塵も届かない。底冷えするような冷たい空気だけが、足元を這いずり回っていた。
俺は急ブレーキをかけるように足を止め、セレスを背後に庇いながら広場の奥へと鋭い視線を向けた。
そこには、見覚えのある先程まで共に行動していた、茶髪を三つ編みのおさげにした少女が立っていた。
「アンナ……! よかった、無事だったのね……っ。私のせいで、あなたをこんな危ない目に……!」
セレスが涙声で叫び、俺の背中から飛び出してアンナの元に駆け寄ろうとする。
だが、俺は咄嗟に腕を伸ばし、セレスの細い肩を強く掴んで力ずくで引き止めた。
「待て、セレス! 行くな!」
「え……? どうしてですか、ショウト様。アンナを早く助け――」
「違う! よく見ろ!」
俺の緊迫した声に、セレスがハッと息を呑んで前方を凝視する。
視線の先にいたのは、アンナ1人ではなかった。
彼女の背後には、先ほど別の路地裏で俺が叩きのめした連中と全く同じ、深い灰色のローブで全身を隠した男たちが、まるで影のように音もなく控えていたのだ。
男たちの放つ粘り気のある殺気は、間違いなくこちらを標的として捉えている。
だが、それ以上に異様だったのは、彼らが前方に立つ『アンナ』を中心に並んでいることであった。
そう、まるで『隊長』と『部下』のように。
「アンナ……? どうして、そんな人たちと一緒に……。無事、だったのよね……?」
セレスが茫然自失といった様子で、震える声を絞り出した。
その声は、目の前の現実を必死に否定しようと足掻くように、ひどく弱々しかった。
逃げきれずに捕まってしまったのだと思いたい。脅されて、無理やり立たされているのだと信じたい。そんなセレスの、縋るような祈りが込められていた。
だが、そんな彼女の切実な思いを、無残に踏みにじるように。
アンナは、ゆっくりと自らの頭を覆っていたフードを後ろへと跳ね上げた。
露わになったのは、大人しそうで、どこか品のある整った素顔。つい先ほど、串肉を食べて「本当に美味しいです」と優しく微笑んでいた、あの温かい顔だ。
しかし、こちらを見据えるその茶色の瞳には、セレスに向けられるはずの親愛も、友人に対する親しみも、一切の感情が存在していなかった。
それはどう見ても、人質や被害者の顔ではない。自らの意思でそこに立ち、背後の暗殺者たちを従える人間の顔だった。
「――お早いお着きですね、セレス様」
静寂に包まれた広場に、アンナの酷く事務的な、冷徹な声が響いた。
「え……?」
セレスの喉から、間の抜けたような声が漏れる。
「どうして……。ねえ、脅されているの……? 誰かに、無理やり言わされているのよね……?」
「脅されてなどいません。……すべては、貴女をこの人目につかない路地裏へと誘導するための手順です」
嘲笑うでもなく、見下すでもない。まるで明日の天気を報告するかのように、ただ淡々と、事実だけを告げる無機質な声。
そのあまりにも冷酷な響きに、セレスの顔から完全に血の気が引いていくのが分かった。
「うそ……」
「最初から、私が行っていたのは貴女の信用を得るための演技に過ぎません」
アンナは表情をピクリとも変えることなく、セレスの心に最も深く突き刺さる言葉を、容赦なく紡ぎ出した。
「私は、貴女を監視し、機を見て誘拐するために送り込まれた駒です。……先ほどの屋台での時間も、貴女の警戒心を完全に解き、町の喧騒の中でスムーズに分断するための、ただの『布石』に過ぎません」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内で強烈な怒りが弾けた。
(……ふざけやがって)
周囲から虐げられてきたらしいセレスが、どれほどの思いでこの少女を信頼していたか。
屋台の串肉を頬張り、焼き菓子を分け合い、ガラス細工を見て目を輝かせていたあの時のセレスの笑顔。
それが生まれて初めて味わう『普通の女の子としての幸せ』だったことを、ずっと傍にいたアンナが知らないはずがない。
そのささやかな幸福の記憶すらも、『任務を円滑に進めるための手段』として機械的に処理し、踏みにじる。
それは、単なる暴力よりもずっとタチの悪い、人の心を根底から破壊する卑劣な行いだった。
「ずっと、私に優しくしてくれたのも……たまには息抜きをしようと誘ってくれたのも……全部、嘘だったの……?」
涙を必死に堪え、喉の奥から絞り出すように問いかけるセレス。
つい先ほどまで、あんなに無邪気に笑っていた女の子が、今は世界に絶望したような顔で震え、その場に崩れ落ちそうになっていた。
俺は無言のまま、膝から崩れ落ちそうになるセレスの肩を抱き留め、彼女をアンナから隠すように自分の背中へと庇う。
セレスの悲痛な問いかけに対しても、アンナの表情は微塵も動かなかった。
一切の罪悪感も、哀れみすらも浮かべることなく、ただ冷酷な仮面を貼り付けたままこちらを見つめ返している。
「……」
やがて、アンナが静かに一歩、前へと踏み出した。
それに呼応するように、背後に控えていた灰色のローブの男たちが、衣擦れの音と共に、ギラリと光る無骨な直剣をゆっくりと引き抜く。
冷たい風が、行き止まりの広場を吹き抜けた。
俺は、背中でガタガタと震えるセレスの絶望を肌で感じながら、ギリッと奥歯を噛み締めえる。
腹の底から、今まで感じたことのないほどドス黒く、そして激しい怒りの炎が湧き上がってくる。
静かな怒気と共に、俺は腰の鞘に納められた漆黒の剣の柄に右手をかけ、じわりと魔力を込めた。




