第10話:修行の成果と、腹の虫
人気のない、路地裏の完全な行き止まり。
背後の退路を塞ぐように立ち塞がった5人のローブ姿の男たちは、音もなくジリジリと距離を詰めてくる。
「っ……! あなた、早く私を置いて逃げてください!」
俺の背中に庇った少女が、悲痛な声を張り上げる。
彼女の声には、自分に向けられた明確な殺意への恐怖と、無関係な俺を巻き込んでしまったことへの強い罪悪感が滲んでいた。
「彼らが狙っているのは私です! あなたなら、私を囮にして走れば逃げ切れるはず……!」
「そんなことできるわけないだろ。第一……」
俺は少女の言葉を遮り、前方から迫り来る男たちの足運びや、武器の構えを冷静に観察した。
「心配しなくていいよ。あいつら、大して強くないから」
「……え?」
俺の言葉を聞いた少女が間抜けな声を漏らした。
無理もない。傍から見れば、彼らは裏社会で訓練を積んだプロの暗殺者のように見えるだろう。
だが、リリィさんの「手加減(という名の理不尽な暴力)」を毎日骨の髄まで叩き込まれてきた俺の目から見れば、彼らの動きはあまりにも遅く、隙だらけだった。
あの師匠が放つ、身体全体が押し潰されるようなプレッシャーに比べれば、彼らの殺気などそよ風に等しい。
「なにを馬鹿なことを……!」
俺が一向に逃げる気配を見せないことに痺れを切らしたのか、少女が怒ったような声を出し、ローブの下で握っていた護身用の短剣を抜こうとした。
俺は振り返らずに、彼女の方へスッと左手を出し「待て」と身振りで制止する。
同時に、俺は腰の鞘から『漆黒の剣』を抜き放った。
「――チッ!」
俺が武器を取り出したのを見て、ローブの男たちが一斉に地面を蹴った。
5人が左右と正面に散開し、獲物を確実に仕留めるための包囲陣形を組みながら、鋭い直剣を振り被って襲いかかってくる。
「――遅い!」
俺は小さく息を吐き、魔力で身体を包み、『身体強化』を発動した。
――『身体強化』。リリィさんから教わった、魔力を体内に循環させて筋力と反応速度を爆発的に高める基礎技術だ。
ドンッ! という爆発音のような踏み込みと共に、俺の身体は男たちの視界から完全に消え失せた。
「なっ――!?」
先頭の男が驚愕の声を上げるより早く、俺はその懐へと潜り込む。
『漆黒の剣』の腹で、男の鳩尾を正確かつ無慈悲に打ち抜く。
「カはっ……!」
くの字に折れ曲がって白目を剥いた一人目を踏み台にして跳躍し、左右から迫っていた二人目と三人目の首筋に、手刀と剣の柄を同時に叩き込む。
一瞬の交戦でドサリ、と重い音が3つ重なる。
(残るは二人か)
彼らは仲間が一瞬の内に3人も戦闘不能となったことで、完全にパニックに陥り、無防備に足を止めてしまっていた。
「よそ見すんなよ!」
2人の背後に回り込んだ俺が声をかけると、彼らは弾かれたように振り返ったが――もう遅い。
すかさず二人の顎を剣の柄頭で正確にカチ上げ、脳震盪を起こさせて完全に意識を刈り取った。
「ふぅ……よし、こんなもんか」
戦闘開始から、わずか数秒。
俺は『漆黒の剣』を鞘へ納めると、軽く肩を回して振り返った。
「ほら、大丈夫だったろ?」
俺が笑顔でそう声をかけると、壁際に立っていた少女は、目を真ん丸に見開いてポカンと口を開けていた。
彼女が握りしめていた短剣は、鞘から半分ほど引き抜かれた状態のまま、完全にピタリと止まっている。
「……えっ? あ、え……?」
目の前で起きた現実が理解できないのか、彼女は倒れ伏す五人の男たちと俺の顔を、何度も何度も往復して見比べていた。
その時だった。
「――セレス様! セレス様ッ!!」
路地裏の入り口の方から、ひどく切羽詰まった少女の叫び声と、バタバタという慌ただしい足音が響いてきた。
奴らの増援かと思い、俺は咄嗟に警戒態勢を取ろうとしたが、その声を聞いたセレスの顔に、パッと安堵の光が灯った。
「アンナ……! アンナなの!?」
セレスが弾かれたように声を上げると、薄暗い路地の角から、一人の少女が飛び出してきた。
茶色い髪を2房の三つ編みにして前に垂らし、どこか大人しそうで几帳面な雰囲気を漂わせる少女。
彼女は息を激しく切らし、涙目で周囲を見回していたが、セレスの姿を捉えた瞬間、その表情を大きく歪ませた。
「ああ、セレス様……っ! よかった、ご無事で……!」
アンナと呼ばれた少女は、地面に倒れ伏しているローブ姿の男たちの姿に一瞬ヒッと短く息を呑んで怯えた様子を見せたが、それよりもセレスの安否を優先するように、男たちを避けて一直線にセレスの元へと駆け寄った。
「アンナ……っ!」
セレスもまた、張り詰めていた糸が切れたようにポロポロと涙をこぼしながらアンナの腕の中に飛び込んだ。
「ごめんなさい、私……人混みであなたとはぐれてしまって、ずっと探していたの。本当にごめんなさい……!」
「お謝りにならないでくださいませ! 全ては、私がお側におりながら目を離してしまったからです……っ。こんな恐ろしい連中に囲まれていたなんて……もし貴女のお身に何かあれば、私は死んでも死にきれませんでした……!」
アンナは自分の服が汚れるのも構わず、地面に膝をついてセレスの身体をあちこち確認している。
その手は小刻みに震えており、怪我がないと分かると、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
その光景を見て、俺はホッと肩の力を抜いた。
どうやら彼女が、セレスが探していた友人らしい。
人混みではぐれた後、必死にこの辺りを探し回ってくれていたのだろう。
やがて、セレスの無事を確認して少し落ち着きを取り戻したアンナが、ハッと気付いたように俺の方へと振り返った。
彼女は俺と、周囲に転がる五人の男たちを交互に見比べ、信じられないものを見るような目を向けた後、俺の前に進み出て、地面に額がつく勢いで深々と頭を下げた。
「あの……貴方様が、セレス様をお救いくださったのですね? 見ず知らずの私たちのために、これほど危険な暴漢たちを相手に……。本当に、本当になんとお礼を申し上げたらよいか……!」
震える声で感謝を述べる彼女は、心底セレスを大切に想っているように見えた。
「気にしないでくれ。女の子が物騒な連中に囲まれてたら、助けるのが普通だろ。俺は『ショウト』。ちょっと所用があって、王都に向かってる冒険者だ」
「ショウト様、ですね。私はセレス様の……使用人のアンナと申します。セレス様に仕える身でありながら、このような失態を……。ショウト様には、私の一生を懸けても返しきれないご恩をいただきました」
「だから、そんな大げさなものじゃないって。それに、セレスに怪我がなくて本当によかっ――」
俺がそう言って微笑みかけた、その時だった。
――きゅるるるるるぅぅっ。
張り詰めた空気が完全に解けた路地裏に、やけに可愛らしく、そして盛大な腹の虫の音が響き渡った。
「…………あっ」
俺とアンナがピタリと動きを止めると、音の発生源であるセレスもまた、石像のように固まっていた。
ゆっくりと顔を上げた彼女の顔は、耳の先までリンゴのように真っ赤に染まっていた。
美しい碧眼が、羞恥とパニックでぐるぐると泳いでいる。
「あ、あの、これは、違います! 今のはその……っ!」
両手でお腹を押さえながら、必死に言い訳を探すセレス。あまりの恥ずかしさで涙目になって慌てている姿は、不謹慎ながらとても愛らしかった。
その様子に、先ほどまで涙を流して心配していたアンナも、思わずといった様子で口元を押さえて「ふふっ」と小さく吹き出した。
「もう、セレス様ったら。あんなに怖い思いをされた直後ですのに……。でも、安心したらお腹が空いてしまわれたのですね」
「ア、アンナまで笑わないで! 違うの、これは……!」
顔から火が出そうなほど慌てふためくセレスを見て、俺は耐えきれずに声を上げて笑ってしまった。
「はははっ! いや、ごめんごめん、さっきのは俺の音だ。実は朝から何も食べてなかったから限界だったんだよ」
俺はニッと笑って、わざとらしく自分のお腹をさすってみせた。
「あー、腹減った! さっき運動したから、一気に空腹が来ちゃったみたいだ。セレス、アンナ。よかったら付き合ってくれないか? 俺、この町の屋台がどうしても食べたいんだよ」
「えっ? でも、これ以上ショウト様に甘えるわけには……」
「いいからいいから! 腹が減っては戦はできぬって言うだろ。アンナも、ずっとセレスを探し回って疲れただろし、ここは俺に奢らせてくれ」
俺が半ば強引に提案すると、アンナは少し困ったように微笑みながら、セレスの方を見た。
「……どういたしましょうか、セレス様。ショウト様がこう仰ってくださっていますし、お言葉に甘えさせていただきましょうか? もちろん、お代は私が……」
「うぅっ……アンナがそういうなら……」
未だに羞恥で顔を赤くしたまま、もじもじと頷くセレスと、彼女をやんわりと励まそうとするアンナ。
そんな可愛らしい主従のやり取りに、俺は思わず頬を緩めた。
「いやいや、言い出しっぺは俺なんだから、ここは俺の奢り! ほら、あっちからいい匂いがする、早く行こう!」
夕暮れが近づく街並みの中、少し膨れたようなセレスの抗議の声と、それを見守るアンナの優しい微笑み、そして俺たちの笑い声が心地よく溶け合っていく。
これから始まる賑やかな屋台巡りを楽しみにしながら、俺たちは活気に満ちた大通りへと足を踏み出していった。




