第6話:謎の『共鳴』と、少女の逃走
「いや、俺の方こそぼーっとしてて……っと」
俺は慌ててしゃがみ込み、石畳に転がった大銅貨と銅貨に手を伸ばした。
ぶつかってきたローブ姿の少女も、申し訳なさそうに身を屈めて硬貨を拾い集めようとしてくれている。
その瞬間ーー
俺の指先と、硬貨を掴もうとした少女の白い指先が、ほんのわずかに触れ合った。
「――っ!?」
ドクンーー
指先から電気が走ったような、身体の深く、魂の根幹を揺さぶられるような感覚に襲われる。
俺の身体の奥底……深く静かな水底で数年間も沈黙し、眠り続けていたあの『黒髪の少女』が、かつてないほどの明確な『反応』を示したのだ。
(――な、なんじゃ……? 眩しいのう……)
頭の中に、ひどく寝ぼけたような、それでいてどこか傲慢さを感じさせる幼い少女の声が響いた気がした。
それは言葉というより、強烈な思念の波だった。ずっと眠りこけていたところを、突然強力な光を当てられて無理やり起こされかけたような、困惑と苛立ちの混じった反応。
(うそ、だろ……!?)
俺は目を見開き、完全に動きを止めてしまった。
リリィさんとの過酷な修行の中で、どれだけ俺が魔力を込めようとも、どれだけ呼びかけようとも、ただの一度も応えることのなかった『力』。
それが今、目の前の少女に一瞬触れただけで、明確な意思を持って反応を返したのだ。
「あ……」
俺が硬直したのを見て、少女が小さく息を呑む音が聞こえた。
伏せられていた顔が上がり、目深に被っていたローブのフードがふわりと僅かにズレる。
そこから覗いたのは、ハッとするほど美しい、透き通るような金色の髪だった。
そして、少し吊り目気味の勝気そうな碧眼。可愛らしい「美少女」というよりは、凛とした「美女」と呼ぶにふさわしい、洗練された顔立ちがそこにあった。
だが、その美しい碧眼には、明らかな『怯え』と『絶望』の色が浮かんでいた。
「……申し訳、ありません」
少女は、震えるような声でそう絞り出した。
「え? いや、謝るのは俺の方で――」
俺がハッとして声をかけようとしたが、少女の表情はますます青ざめていくばかりだった。
彼女は俺と触れ合った自分の手を、まるでひどく汚いものでも見るかのようにギュッと胸元に引き寄せた。
「本当に、ごめんなさい……! すぐに離れますから……!」
彼女の瞳は、まるで何か決定的な「罪」を知られてしまったかのように激しく揺れていた。
俺が急に硬直したのを見て、なぜか彼女は「自分のせいで彼に恐ろしい危害を加えてしまった」とでも言わんばかりの、深い悲痛の表情を浮かべていたのだ。
「待っ、ちょっと……!」
「ごめんなさいっ!」
少女は俺が止める間もなく、弾かれたように立ち上がった。
そして、落としていた硬貨を俺の足元に乱暴に置くと、ローブの裾を翻して、活気あふれる商店街の人混みの中へと猛スピードで駆け出していった。
「あっ、おい!」
俺は慌てて硬貨を拾い上げ、立ち上がって彼女の背中を追おうとした。
しかし、大勢の客と屋台がひしめき合う大通りで、ローブ姿の小柄な少女はあっという間に人波に呑まれ、その姿を見失ってしまった。
「行っちゃった……」
賑やかな喧騒の中に取り残され、俺は呆然と自分の右手を見つめた。
先ほど少女と触れ合った指先には、まだ微かな熱のような、不思議な余韻が残っている。
(気のせいじゃない。確かに今、俺の中の『神器』が反応した)
俺の心臓は、先ほどまでの「初めての町への好奇心」とは全く別の理由で、激しく早鐘を打っていた。
リリィさんは言っていた。『君の中に眠るその子は、平和な訓練なんかじゃ起きない。実戦での経験や、何かの切羽詰まった状況が鍵になる』と。
だけど、それだけではないのかもしれない。
あの少女が纏っていた、得体の知れない不思議な気配。
俺やリリィさんが放つ魔力とは違う、もっと底知れない力を秘めた『何か』。
それに触れた瞬間、あの『黒髪の少女』は確かに目を覚ましかけたのだ。
(あの女の子……一体、何者なんだ?)
ただの町娘じゃないと思う。
あんなに綺麗な金髪と、高貴さすら感じさせる顔立ちは、どう見ても普通じゃなかった。
それに、あの異質な気配と、ひどく怯えたような表情。
(あの娘に、もう一度会えれば……俺の『神器』を目覚めさせる決定的なヒントが掴めるかもしれない)
王都に行って、リリィさんの言っていた『神器に詳しい人』を探すのもいいかもしれない。
だけど、今まさに、俺の力を呼び覚ますかもしれない最大の鍵が、この町の人混みの中に消えていったのだ。
「……探そう」
俺は手に握っていた硬貨をポケットに突っ込み、彼女が消えていった大通りの方へと鋭い視線を向けた。
偶然の出会いなのかもしれない。迷惑がられるかもしれない。
けれど、ここで彼女を逃せば、俺は一生後悔する気がした。
俺は冒険者ギルドへ向かうという当初の目的を完全に捨て去り、ローブの少女を探し出すため、人波が押し寄せる大通りへと駆け出していった。




