第5話:異世界の貨幣と、突然の衝撃
――「す、すごい人……」
――「この辺りでも、栄えてる町ですからね」
――「そ、そうなのね。きゃっ!」
――「お、お嬢様!? お手を!」
――「急に人が… アンナ!」
――「ア、アンナ!? どこなの!? アンナ!」
「いらっしゃい! 焼きたての串肉だよ! オークの肉、旨い脂が乗ってるよ!」
「こっちは冷たい果実水! 一杯どうだい、そこの若い衆!」
活気あふれる声が飛び交う商店街を、俺は完全に目を輝かせながら練り歩いていた。
冒険者ギルドで王都へ向かうための仕事を探す、という本来の目的は、すっかり頭の片隅へと追いやられている。
道の両脇には、元の世界の祭りのように、色とりどりの屋台が立ち並んでいた。
見たこともない形の果物、香ばしい匂いを放つ肉の串焼き、そして魔道具らしき怪しげな光を放つ小物を並べた露店。
すれ違う人々の中には、獣の耳や尻尾を持った『獣人』らしき人たちの姿もチラホラと見え、俺の厨二心を激しく刺激してやまない。
(すげえ……本当に異世界の街に来たんだな、俺)
リリィさんからの過酷な修行から解放された反動もあって、俺のテンションは過去最高潮に達していた。
「よーし、まずは腹ごしらえだ」
俺はひときわ良い匂いを漂わせていた、オークの串肉を売る屋台の前で足を止めた。
ジュージューと音を立てて焼かれる分厚い肉からは、食欲をそそるスパイスの香りが立ち上っている。小腹を満たすには最高のチョイスだろう。
俺は腰のポーチから、クレスさんが持たせてくれた旅の資金とは別の、小さな革袋を取り出した。
これは出発の朝、リリィさんが「寄り道した時のお小遣いだよ」とこっそり渡してくれたものだ。
革袋の紐を解きながら、俺の脳裏にふと、数週間前のログハウスでの光景が蘇ってきた。
『ショウト様。本日は、この世界の貨幣価値と計算について学んでいただきます』
クレスさんがテーブルの上に、何種類かの色や大きさが違う硬貨を並べてみせた。
銅色、銀色、金色の硬貨。地球の歴史やファンタジー知識で馴染みのある、オーソドックスな貨幣だった。
『基本となるのは銅貨です。この穴の開いた銅貨が10枚で大銅貨1枚。大銅貨10枚で銀貨1枚。そして銀貨10枚で金貨1枚となります。』
『ふむふむ、なるほど……』
『……では問題です。銅貨3枚のリンゴを5つ買い、銀貨を1枚支払った場合、お釣りはいくらになるでしょうか?』
クレスさんが真剣な眼差しで、俺に問いかけてくる。
どうやら、この世界では魔法や剣術だけでなく、騙されないための計算能力も生きる上で必須のスキルらしい。
『えっと……リンゴ5つで銅貨15枚。銀貨1枚は銅貨100枚の価値だから……お釣りは銅貨85枚、つまり大銅貨8枚と銅貨5枚ですね』
『――ッ!!』
俺が数秒で即答すると、クレスさんは眼鏡をずり落とすほど目を見開いた。
『す、素晴らしいです、ショウト様……! まさか、たった数秒でその複雑な計算を暗算で解いてみせるとは! 熟練の商人にも引けを取らない、恐るべき頭脳の持ち主ですね!』
『い、いや……元の世界だと、俺と同い年ならこれくらい普通というか……』
『ご謙遜を! 私は貴方のその明晰な頭脳を誇りに思います! 今日のお茶菓子は特別に1つ増やしましょう!』
『あ、はい……ありがとうございます』
(……ただの二桁の引き算なんだけどな)
ベタ褒めしてくるクレスさんの手前、「これくらいで褒められても困る」とは口が裂けても言えず、俺はひきつった笑顔でクッキーを頬張るしかなかった。
(あの時のクレスさん、珍しく興奮してたっけ……)
そんなことを思い出しながら、俺は革袋の中から硬貨を取り出した。
「おじさん、この串肉を一本もらえるかな」
「あいよ、兄ちゃん! 1本、大銅貨1枚と銅貨2枚だ!」
俺は手の中の硬貨を数え、大銅貨と銅貨を指先で弾くようにして取り出そうとした。
――その時だった。
「――っ、ごめんなさい退いて……!」
俺の背後にある狭い路地の角から、切羽詰まったような声が聞こえた。
振り返る暇もなく、ドンッ!という鈍い衝撃と共に、俺の胸元に『何か』が猛スピードでぶつかってきた。
「おわっ!?」
リリィさんとの修行で鍛えられた体幹のおかげで、俺が転倒することはなかった。
しかし、突然の衝突に驚き、手に握っていた硬貨が手から滑り落ち、チャリンチャリンと石畳の上に転がってしまった。
「ああっ、すみません! 私、前をよく見ていなくて……!」
俺にぶつかってきたのは、目深に被ったローブで全身を隠した、俺と同じくらいか少し小柄な『少女』だった。
彼女は慌てた様子でペコペコと頭を下げると、俺が落とした硬貨を拾おうと、弾かれたように地面へとしゃがみ込んだ。
「いや、俺の方こそゴメン、ぼーっとしちゃって……っと」
俺も慌ててしゃがみ込み、転がった硬貨に手を伸ばす。
その瞬間――
俺の指先と、硬貨を拾おうとした少女の指先が、ほんの少しだけ触れ合った。
(――え?)
ドクンーーーー
俺の身体の奥……深く静かな水底で眠り続けていたあの『黒髪の少女』が、今まで一度も見せたことのないような、微かな、しかし確かな「反応」を示したのだ。




