第4話:初めての町と、抗えぬ誘惑
森を抜けた先にある麓の村は、俺がログハウスでの生活の中で、たまにクレスさんから買い出しの手伝いなどで訪れていた見知った場所だった。
「お、ショウ坊。本当に旅に出るのかい?」
「はい! 今まで色々とお世話になりました!」
顔なじみの村人たちや、よく野菜をおまけしてくれた八百屋のおばちゃんたちに別れを告げると、皆「無理するんじゃないよ」「時々は帰ってくるんだぞ」と温かく送り出してくれた。
名残惜しい気持ちを抱きながら、俺はクレスさんが用意してくれた路銀の一部を支払い、ここから一番近い町へと向かう乗合馬車に乗り込んだ。
(よし……いよいよだな)
ガタゴトと揺れる馬車の木製シートに腰掛け、俺は静かに息を吐いた。
同乗しているのは、数人の行商人や農夫といった人達ばかりだ。
アドレイア王国の王都へ向かうための中継地点となる町までは、この馬車で半日ほどの道のりになる。
(道中、魔物や野盗が出るかもしれない。何かあれば、俺がすぐに対処できるようにしておかないと……)
俺は外套の下で『漆黒の剣』の柄に軽く触れ、窓の外の景色を鋭い眼差しで睨みつけていた。
リリィさんとの修行で鍛え上げられた気配察知の範囲を薄く広げ、森の奥や街道の茂みに不審な気配がないか、常に警戒を怠らない。
いつ魔物の群れが飛び出してきても、あるいは物騒な盗賊団が馬車を囲んできても、瞬時に迎撃して同乗者たちを守るシミュレーションは完璧だった。
俺の初めての実戦。リリィさんの教え子としての初陣が、今まさに始まろうとしているのだ。
――そして、数時間後。
「はい、終点だよー。忘れ物がないようにね」
御者ののんびりとした声と共に、馬車は無事に町の広場へと到着した。
「…………あれ?」
俺は肩透かしを食らったような気分で、馬車から降りた。
魔物の一匹、盗賊の一人どころか、野生の獣の影すら見当たらなかった。
街道は拍子抜けするほど平和そのもので、俺は半日ずっと無駄に肩に力を入れて窓の外を睨みつけていたことになる。
「まあ、平和なのは良いことなんだけどさ……」
少しだけ苦笑しながら、俺はぐるりと周囲を見渡した。
「すげえ……」
そこには、俺が今までいた森や小さな村とは比べ物にならない、活気あふれる光景が広がっていた。
石造りの立派な建物が立ち並び、行き交う人々の服装も様々だ。
荷馬車が行き交い、あちこちから活気のある声が聞こえてくる。
アドレイア王国という発展した国の王都に近いこともあり、魔道具を使った街灯や、整備された水路なども見受けられた。
(さて、まずは……)
俺はリュックを背負い直し、クレスさんに持たせてもらった地図を頭の中で思い描いた。
王都へ向かうための旅費は十分にあるが、せっかくなら実戦経験を積むためにも、王都へ向かう商隊の護衛依頼でも受けたいところだ。
(まずは『冒険者ギルド』に行って、情報収集と仕事探しだな)
とりあえずの目的地を定め、俺は大通りを歩き出した。
『冒険者ギルド』、ファンタジーの定番とも言えるその場所に、俺は胸を躍らせていた。
以前クレスさんに連れられて、『冒険者ギルド』への登録と簡単な依頼はいくつかこなしていたが、なにげに1人で『冒険者ギルド』へ行くのは初めてなのだ。
しかし、『冒険者ギルド』がある区画へ向かって歩を進めていた俺の鼻腔を、不意に暴力的なほど魅力的な香りがくすぐった。
「――っ!」
足を止めて匂いのする方へ視線を向けると、そこには大通りの脇に続く、見渡す限りの『商店街』が広がっていた。
色とりどりの天幕を張った無数の屋台がズラリと並び、ジュージューと肉の焼ける音、香ばしいスパイスの香り、商品を売る元気な声が交差している。
「いらっしゃい! 焼きたての串肉だよ! オークの肉、旨い脂が乗ってるよ!」
「こっちは冷たい果実水! 一杯どうだい、そこの若い衆!」
その光景を見た瞬間、俺の胃袋が「グゥ」と正直な音を鳴らした。
以前、クレスさんと一緒にこの町へ買い出しに来た時は、重要な用件を済ませるだけで精一杯で、この楽しそうな商店街を回る時間は全くなかったのだ。
(異世界の出店……オークの串肉に、果実水……)
ゴクリ、と生唾を飲み込む。
王都へ行くなら、早く『冒険者ギルド』へ行って仕事を探すべきだ。
冒険者としての第一歩を踏み出すのだから、真面目に行動しなければならない。
頭では分かっている。分かっているのだが――
(……いや、王都に逃げられるわけじゃないし。それに、町の様子を知るのも立派な情報収集だよな、うん)
俺は自分に対して、見事なまでの言い訳を並べ立てた。
リリィさんとの過酷な修行を終え、初めての一人旅。その解放感と高揚感が、完全に俺の理性を狂わせていた。
「少しだけ。ほんの少しだけ、覗いてみるだけだから……」
誰に言い訳するでもなくボソボソと呟きながら、俺は冒険者ギルドへと向かう足を完全に止め、活気と美味しそうな匂いに満ちた商店街の波の中へと、吸い込まれるように歩き出していた。
――「ア、アンナ!? 早く戻らないと!」
――「いいえ、戻りません!」
――「アンナ!?」
――「お嬢様、少しは息抜きをせねば、いい結果は出せませんよ!」
――「……でも、私は」
――「あとで一緒に怒られましょう? さ、行きますよ!」




