第2話:リリィの『野暮用』と『旅支度』
「……分かりました。リリィさん、俺、行きます」
俺の決意を聞いて、リリィさんは満足そうに何度も頷いた。
「うんうん、いい返事だ。アドレイア王国はここから少し距離があるけど、今のショウトなら道中の魔物くらい、あくびをしながらでもあしらえるだろうからね」
「あくびをしながらは流石に油断しすぎだと思いますけど……。でも、確かにこの数年で叩き込まれたことを試してみたい気持ちはあります」
少しだけ照れくさそうに笑うと、リリィさんはポンと手を叩いて話を継いだ。
「そうと決まれば善は急げだ。……それに、君が自分の意思で旅立つと決めてくれて、実は私も丁度よかったと思っているんだよね」
「え?」
リリィさんの言葉に、俺は不思議そうに首を傾げた。
「実はね、私とクレスも、明日からしばらくこのログハウスを留守にする予定だったんだ。ちょっとした野暮用ができてしまってね」
「そうなんですか? それなら、俺も一緒に――」
「いや、ショウト、君の同行は不要だよ」
俺の言葉を遮るように、リリィさんは先手を打ってピシャリと言い放った。
そして、どこかバツの悪そうな、明後日の方向を見ながら言葉を濁し始める。
「私たちが向かうのは、君の修行や旅とは全く無関係の、その……少し面倒な『大人のお付き合い』というか、しがらみ的なアレだ。そう、仕事だよ、仕事! だからショウトがついてきても退屈なだけさ!」
「仕事、ですか?」
やけに焦った感じで早口になって言い訳を並べるリリィさんに、俺はますます首を傾げた。
数年間一緒に暮らしてきたが、彼女が『仕事』という単語を口にするのは初めてな気がする。
「……ええ、とても『情熱的で、個人的な』仕事ですね」
背後に控えていたクレスさんが、若干不機嫌そうに眼鏡をクイッと押し上げながらボソリと呟いた。
「こらクレス! 余計なことは言わなくていいの!」
「私は事実を述べたまでです。リリィ様が数年間も家を空けているせいで、本国で留守を預かる旦那様が限界を迎え、泣き落としの如き手紙を毎日送りつけてくるのを無視しきれなくなっただけではないですか」
「あーっ! ストップストップ! ショウトの教育に悪い!」
リリィさんは慌ててクレスさんの口を手で塞ぎ、顔を真っ赤にして俺の方を向いた。
「とにかく! ショウトは自分の旅路に集中しなさい! 君の今の目的は、自分の中に眠る力を知り、使いこなすことだろう!?」
「あ、はい……分かりました」
リリィさんの勢いに押されて、俺は素直に頷いた。
どうやらリリィさんには旦那さんがいて、その人から猛烈な帰還要請を受けているらしい。
最強の師匠の意外な弱点を見た気がして、俺は内心少しだけ面白かった。
だけど、俺を鍛えるために数年も家を空けてくれていたのだから、これ以上引き止めるわけにはいかないだろう。
それに――俺の胸の奥には、ほんの少しだけ『ホッとした』ような、そして『ワクワク』るような感情が芽生えていた。
(一人旅、か……)
見知らぬ異世界に飛ばされてからずっと、俺はこの森と近くの村を行き来するだけの生活を送っていた。
だけど、クレスさんの座学で地図を見せられ、様々な国の文化や魔物の話を聞くうちに、俺の中で『このファンタジー世界を自分の足で歩いてみたい』という好奇心が、密かに、しかし確実に育っていたのだ。
剣と魔法の世界。見たこともない景色。様々な人々との出会い。
元の世界で読んでいたライトノベルやゲームのような冒険が、ついに俺の現実になる。
リリィさんたちの不在は、俺が一人でこの世界へと飛び出すための、これ以上ない丁度いいタイミングだったんだろう。
「あの、リリィさん。アドレイア王国の王都にいるっていう『神器に詳しい人』って、どんな人なんですか?」
旅の具体的な目的を固めるため、俺は一番気になっていたことを尋ねた。
「うーん、そうだねえ」
リリィさんは、まだほんのりと赤い顔のまま、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。
「一言で言えば、『馬鹿みたいに強いお節介焼き』かな。王都に行けば、嫌でも噂を耳にすると思うよ。ただ、具体的な名前や素性は、あえて言わないでおこう。先入観なしで、君自身の目で確かめておいで」
「ええっ、そんなのありですか?」
「ありあり。それも冒険の醍醐味ってやつさ! ま、一応、向こうには私から手紙でも出しておくよ。もしかしたら、向こうがショウトに会いにくるかもね」
ケラケラと笑うリリィさんに、俺は大きくため息をついた。
相変わらずこの師匠は、肝心なところを煙に巻くのが上手い。
「まあいいです。まずはその人を探すことを第一目標にして、アドレイア王国に向かいます。……その後のことは、王都に着いてからゆっくり考えますよ」
「うん、それでいい。ガチガチに計画を立てすぎても、旅の面白みがないからね」
「ショウト様」
クレスさんが、リリィさんの拘束から抜け出して静かに一歩前に出た。
「旅の目的と行先が決まったのであれば、すぐに出発の支度に取り掛かりましょう。野営の道具、数日分の保存食、そして適切な旅の衣服。……私が完璧に見繕って差し上げます」
「あ、はい! クレスさん、手伝ってもらえると助かります」
「手伝うのではありません。私が主導します。ショウト様の荷造りセンスでは、十中八九、不要な木彫りの熊などを詰め込んで荷物を重くする未来が見えますので」
「そんなことしませんよ!」
淡々と毒を吐くクレスさんにツッコミを入れながら、俺たちは連れ立ってログハウスの中へと戻っていった。
窓から差し込む午後の日差しが、室内を暖かく照らしている。
俺は自室に戻り、クレスさんが用意してくれた丈夫な革製のリュックサックをベッドの上に広げた。
(いよいよ、本当の旅が始まるんだな)
リュックの口を見つめながら、俺は胸の奥で静かに眠る少女の存在を意識した。
あの理不尽なまでの炎の力。俺がそれを完全に自分のものにするための鍵が、アドレイア王国にある。
――まだ見ぬ世界への不安は、当然ある。
だがそれ以上に、これから広がる未知の景色への期待と、強くなった自分を試してみたいという興奮が、俺の背中を強く押していた。
「よしっ……!」
両頬をパンッと叩いて気合を入れ、俺はクレスさんが次々と持ってくる旅の道具を、リュックの中へと丁寧に詰め込み始めた。
冒険への期待に胸を膨らませながら、俺の初めての旅支度は、着々と進んでいった。
――「お嬢様、お嬢様」
――「ど、どうしたの、アンナ?」
――「どこか、おつらそうでしたので、どこか痛むのかと」
――「……いいえ、大丈夫よ。ごめんなさい、心配かけて」
――「滅相もございません。私の方こそ申し訳ございませんでした。」
――「どうして、あなたが謝るの?」
――「……」




