第19話:意思の力、基礎の完成
「――っ、いけっ!」
俺の指先から、何度目になるか分からない灼熱の奔流が溢れ出した。
本来なら親指大の小さな火が指先に灯るイメージだった。
しかし、俺の持つ『火属性』に対する適性は、そんなちっぽけな結果を許さなかった。
ゴォォォォォッ!!
俺の意思に反して放たれたのは、直径数メートルにも及ぶ灼熱の火球。
それが周囲の空気を焼き尽くしながら、訓練場の的として置かれていた丸太めがけて一直線に飛んでいく。
「ああっ、またデカすぎ――!」
「はい、ストップストーップ」
俺が悲鳴を上げるのとほぼ同時。
木陰で寝そべっていたリリィさんが、面倒くさそうに火球に向けて片手を軽く振った。
パァンッ、と空気の弾けるような音が響き渡ると、猛烈な勢いで飛んでいた巨大火球が掻き消されるように空中へ霧散してしまった。
「うーん、今のは魔力の『放出』が多すぎだね。もっとこう、針の穴を通すように絞らないと」
「す、すみません……っ」
「ショウト様。汗拭きのタオルです。あと、先ほどの爆風でティーカップが倒れてしまいましたので、次からはもう少し右へ逸らして撃ってくださいね」
「本当に申し訳ありません……!」
余裕綽々としたリリィさんの横で、クレスさんが一切の表情を変えずに新しい紅茶を淹れ直している。
『歩く災害』と化した俺の、魔法の威力を『抑え込む』という過酷な手加減の修行が始まってから、すでに三週間が経過していた。
この三週間、俺の日常は文字通り『暴発』の連続だった。
魔力を引き出す。極限まで絞り込もうとする。しかし、少しでも魔力が魔素に触れると暴走し、巨大な火炎となって吹き荒れる。
だけど、その俺が放つ災害のような魔法が、森やログハウスに被害を及ぼしたことはただの一度たりともなかった。
なぜなら、俺が何度暴発させようと、リリィさんとクレスさんが完全に、そして呆れるほどいとも簡単に、その火炎の全てを「掻き消して」くれたからだ。
ある時は、俺の放った炎の渦を、リリィさんが指先でつまむようにして文字通り「消火」し。
またある時は、全方位に爆発した熱波を、クレスさんがサッと広げた日傘で全て弾き返し。
時にはリリィさんが大きなあくびをしながら、迫り来る火炎の奔流を「ふーっ」と息を吹きかけて吹き飛ばしたことすらあった。
俺の全力の暴走が、彼女たちの前ではただの「ちょっと強い温風」程度の扱いにしかならないのだ。
異世界の理不尽さと、俺を拾ってくれたこの二人の異常な強さを、俺はこの三週間で嫌というほど思い知らされていた。
「ハァッ……ハァッ……っ」
「焦らなくていいよ、ショウト。君の使う『魔法』の出力を抑え込むのは、激流の川を素手でせき止めるようなものだからね。最初は誰だって無理な芸当だ」
リリィさんは切り株に座り直すと、クレスさんから受け取ったクッキーをかじりながら笑った。
「休憩にしよう。あんまり根を詰めすぎると疲労で倒れちゃうよ」
「……はい」
俺は地面にへたり込み、差し出された冷たい水筒を受け取った。
喉を鳴らして水を飲むと、焼き切れそうになっていた全身の神経が少しだけ休まるのが分かった。
「ショウト様。休憩の間に、昨日の続きをいたしましょうか」
クレスさんが、手書きの精巧な地図を広げながら俺の隣にしゃがみ込んだ。
この特訓の合間の休憩時間は、俺にとって『この世界を知るための貴重な座学の時間』でもあった。
「この森を抜けた先にあるのが、人々の住む『アドレイア王国』です」
「アドレイア王国……」
「はい。石造りの歴史ある建物が立ち並ぶ荘厳な街並みですが、魔道具の普及によって夜の照明や上下水道までしっかりと整備されている、とても発展した国ですよ」
(石造りの街並みに、照明と上下水道完備か……不便な中世時代っていうより、綺麗に整備されたファンタジーな中世時代って感じだな)
頭の中で想像を膨らませる俺に、クレスさんはさらに説明を続ける。
「それに、あの国には『6人の英雄』の一人である【勇者】様が住んでおり、後進育成のために『神聖ディニアス魔導学院』という学校を設立しています。優秀な講師陣が集まっているため、世界でもトップクラスに優秀な学院とも言われております」
「魔導学院……!」
英雄、勇者、学校。その響きに、俺の胸は少しだけ高鳴った。
この森を出た後、もし俺が自分の力をコントロールできるようになったら、そういう場所で同年代の子達と一緒に学んだりできるのだろうか。
「ですが……」
クレスさんは、俺を見つめると眼鏡の奥の瞳をスッと細めた。
「今のショウト様が街中や学院でうっかり魔法を使えば、即座に大惨事となります。ですので、まずはその『歩く災害』状態をどうにかしない限り、森を出る許可は下りませんよ」
「うっ……肝に銘じます」
クレスさんの厳しいけれど全く間違っていない指摘に、俺は苦笑いするしかなかった。
地図を見つめながら、俺はギュッと拳を握りしめた。
リリィさん達に助けてもらった恩に報いるためにも。そして、自分自身の力でこの世界を歩いていくためにも、絶対にこの力を制御してみせる。
「……リリィさん、クレスさん。もう1回、お願いします」
俺は立ち上がり、大きく深呼吸をして訓練場の中央へと歩み出た。
「いい顔になったね。さあ、やってごらん」
リリィさんの声に応えるように、俺はゆっくりと目を閉じた。
――意識を、身体の奥深くへ。
暗く静かな水底で、丸くなって眠るあの黒髪の少女の姿を思い描く。
ずっと目を閉じて眠っていたため、彼女がどんな顔をしているのかはまだ知らない。だけど、彼女から溢れ出す途方もない熱と力強さだけは、俺の魂に深く刻み込まれている。
(今は起きなくていい。そのまま、静かに眠っていてくれ)
俺は心の中でまだ見ぬ瞳の少女に語りかけながら、彼女から溢れ出す圧倒的な熱の奔流に、自分の『意思』という蓋を被せていく。
力で押さえつけるのではない。なだめるように、包み込むように。
激流のバルブを、少しずつ、少しずつ、ミリ単位の精度で閉じていく感覚。
(極限まで……もっと、もっと小さく。針の先ほどの、静かな熱だけを)
極度の緊張と集中で、額から汗が滴り落ちる。
全身の筋肉が軋み、魔力が流れる道――『魔力回路』が悲鳴を上げている。
だが、今回は魔力が暴走する気配はなかった。
俺の意思と、内なる少女の静かな寝息が、ほんの少しだけ噛み合ったような奇妙な一体感があった。
「――っ」
確かな感触を得た俺は、そっと目を開け右手の指先を見つめた。
そこには――――
巨大な火球でも、吹き荒れる火炎の奔流でもなく。
チロチロと、愛らしく揺らめく、小さな小さな『火』が灯っていた。
「…………」
俺は息を呑み、瞬きも忘れてその小さな炎を見つめ続けた。
大きくなることもなく、消えることもなく、俺の指先で完全に安定して燃え続けている。
俺の『意思』によって、完全に制御された『魔法』で生まれた炎。
「……で、できた」
震える声で呟くと、背後からパチパチパチ、と温かい拍手の音が聞こえてくる。
「お見事。完璧な火加減だね、ショウト」
「よく頑張りましたね、ショウト様。これでようやく、街を焼き払う危険人物からは卒業です」
振り返ると、リリィさんが満面の笑みで親指を立てており、クレスさんも口元に柔らかな微笑みを浮かべていた。
「リリィさん、クレスさん……俺、俺、やりました……!」
指先の小さな炎を消した瞬間、これまでの極度の緊張と疲労が一気に押し寄せ、俺はその場で大の字になって仰向けに倒れ込んだ。
背中に感じる芝の柔らかさと、土の冷たさが心地いい。
見上げる空は、三週間前にこの過酷な特訓が始まった時と同じように、どこまでも青く澄み切っていた。
魔力の暴走を抑え込み、己の巨大な力を飼い慣らす。
気が遠くなるような反復練習の末に、俺はついに『魔法』を使うための基礎を完成させたのだった。




