第18話:紅蓮の『暴走』と、必死の『手加減』
「よし、ショウト今度こそ頼むよ。マッチの火だよ、マッチの火」
リリィさんの言葉に、俺は軽く頷いた。
俺には『水』も『風』も『地』も適性が全くなかったのだ。
多少適性が『火属性』に偏っていたところで、イメージするのがマッチの火なんだ、きっと可愛いものに違いない。
俺はごく自然に、右手の指先へ魔力を一点集中させる。
自分の内に宿る『魔力』を、優しく、繊細に、指先に集め小さな火を灯すイメージを固めた。
(――灯れ。ほんの小さな、温かい火でいい)
俺そう念じながら、 ふと夢で見た、水底で静かに丸くなって眠るあの少女の姿を思い出す。
――その瞬間、異変は起きた。
マッチに火がつくような、ボッ!という小さな音の代わりに、訓練場全体の空気が一瞬にして膨張し、鼓膜を破るほどの凄まじい轟音が鳴り響いた。
「えっ――!?」
指先から放たれたのは、頼りないマッチの火などでは断じてなかった。
視界を全て赤一色に塗り潰し、周囲の酸素を根こそぎ奪い去るほどの、超高密度の『深紅の奔流』だった。
それはまるで、全てを焼き尽くす神話に語られる龍のブレスそのもの。
想定外の超火力と、腕にかかる強烈な反動に俺がバランスを崩したせいで、その極太の炎の柱はあらぬ方向へと射出されてしまった。
そして、その直線上には――ーー
「あ……」
少し離れた木陰で、俺たちの休憩のために優雅にティーセットを準備してくれていたクレスさんの姿があった。
「あ、危ない! クレスさん、逃げてッ!!」
俺の喉から、肺が千切れるほどの悲鳴のような絶叫がほとばしる。
間に合わない。俺の指先から放たれた暴走する火炎は、熱波で空間を歪ませながらあっという間に距離を詰め、無防備にティーポットを傾けているクレスさんを、ワゴンごと完全に飲み込もうとしていた。
俺は、自分の取り返しのつかない大失敗に、目の前が真っ暗になった。
――しかし
「おや」
制御を離れた灼熱の奔流が、無防備を晒す彼女に直撃するほんの数ミリ手前。
クレスさんはティーポットから琥珀色の紅茶を注ぐ手を一切止めることなく、空いた左手をまるで不快な羽虫でも追い払うかのように軽く振り払った。
――パァンッ!!
刹那、空気が弾けたような、乾いた強烈な破裂音が訓練場に響き渡る。
たったそれだけで、俺の放った深紅の奔流は、まるで見えない巨大な壁に激突して弾き返されたかのように軌道を逸らされ、一瞬にして上空の彼方へと霧散して消え去った。
「…………え?」
「お気遣いありがとうございます、ショウト様。ですが、せっかくのお茶に灰が入ってしまいますので、もう少し周囲への配慮をお願いいたしますね」
そう言うと、何事もなかったかのように、クレスさんは完璧な所作でティーカップに紅茶を注ぎ終え、コトリとソーサーに置いた。
彼女の純白のエプロンにも、漆黒のメイド服にも、焦げ跡1つ、煤1つの汚れすらついていない。
周囲の芝生は黒焦げになっているというのに、彼女が立つ半径一メートルだけは、熱波の被害すら一切受けていなかった。
俺はポカンと口を開けたまま、自分の震える指先と、涼しい顔でお茶を淹れるクレスさんを交互に見比べた。
(今、クレスさんは、あの凄まじい炎を……ただ手を払って、しかも片手で弾き飛ばしたのか? この人は、一体どういう……)
「ふふっ……あははははっ! まさかここまで極端とはね!」
呆然とする俺の横で、リリィさんがお腹を抱えて大爆笑し始めた。
もう耐えられないとばかりに、芝生の上を転げ回らんばかりの笑いようである。
「ど、どういうことですかリリィさん! 俺、マッチの火をイメージしたんですよ!? なんであんなえげつない炎が出るんですか!」
「適性が『ゼロ』だった理由が今わかったよ。君の魔力は、あまりにも『火』の属性に特化しすぎているんだ。少しでも魔力を流せば、それが周囲の魔素を根こそぎ飲み込んで、際限なく増幅してしまう。調整なんていう概念が通用するレベルじゃないほどにね」
リリィさんは笑い涙を拭いながら、俺の肩をバシバシと力強く叩いた。
「これはただの魔法じゃない……君が魔力を通せば、イメージすらねじ曲げて大火力を叩き出す『災害』そのものだよ」
これまで夢見ていた『魔法』、杖を振ってカッコいい呪文を唱え、理知的に事象を操るようなスタイルは、俺には一生無理だということが確定してしまったようだ。
今の俺は、指先に軽く魔力を込めて『火』を灯すだけで、周囲一帯を焼け野原にしかねない『歩く災害』に過ぎないのだ。
「リリィさん! 俺、どうしたらいいんですか! このままじゃ、怖くて魔法なんて使えませんよ! いつか本当に誰かを灰にしちゃいそうで……」
「まあまあ、落ち着きなさいな、ショウト。使えないなら、使えるように修行するまでだよ!」
リリィさんは笑いながらも、俺を見るその目は獲物を狙う肉食獣のようにギラついている。
「魔力の適性だとか、精度を高めるための呪文やイメージなんて小細工はもうやめよう。君の課題はただ一つ。……この溢れ出る圧倒的な暴力を、いかに『ゼロ』に抑え込むかだ!」
どうやら、ここから始まるのは普通の魔法の修行ではないらしい。
マッチ棒一本の火を出すために、何千回、何万回と魔力の出力を限界まで絞り込み、極限まで圧縮する――気の遠くなるような『手加減』を覚えるための特訓だった。
「さあショウト! 次はクレスの淹れたお茶を蒸発させないように、小さな火を蝋燭に灯そうか! 失敗したら夕食は焦げた卵のみだよ!」
「勘弁してくださいッ!! リリィさん!!」
俺の『魔法』を使うための修行は、こうして『火力との終わりなき戦い』という、とんでもない方向へと舵を切ることになったのであった。




