第13話:思い悩む弟子の覚悟
『魔素』の知覚するための訓練が始まってから、さらに五日が経過した。
「……ハァッ」
夜の帳が下りた訓練場。虫の音だけが響く静寂の中、俺は何度目かも分からない深い溜息をついて、ゆっくりと目を開けた。
(ダメだ。今日も、何1つ掴めなかった…)
意識を外へ向けようとするたびに、胸の奥で燃える『熱の塊』が視界を真っ赤に染め上げ、外の感覚を容赦なく遮断してしまう。
まるで、体の中に分厚い防音壁を張り巡らされているような気分だった。
「俺……やっぱり、才能ないのかな」
誰もいない夜の闇に向かって、思わず弱音がこぼれ落ちる。
最初の魔力操作や身体強化があっさりと上手くいったせいで、心のどこかで『自分には特別な才能があるかもしれない』と調子に乗っていた。
だが、現実は甘くない。俺はただの『手違い』でこの世界に落ちてきた、平凡で無力な学生に過ぎない。
(リリィさんやクレスさんは、命の恩人である上に、こんな俺に付きっきりで修行までつけてくれているのに……)
このまま一向に成長できなければ、いつか見捨てられてしまうのではないか。
そんな根拠のない不安と自己嫌悪が、重い泥のように胸の奥に澱となって溜まっていく。
「ショウト様。夜風が冷えてきましたよ」
不意に背後から声をかけられ、俺はビクッと肩を揺らした。
振り返ると、ランタンのような明かりを持ったクレスさんが、温かい湯気を立てるマグカップをお盆に乗せて立っていた。
「クレスさん……すみません、遅くまで」
「いいえ。根を詰めすぎるのは感心しませんが、貴方のその真摯な姿勢は評価しています」
クレスさんは俺の隣に座ると、マグカップを差し出してくれた。ホットミルクに似た、甘くて優しい香りが鼻をくすぐる。
一口飲むと、冷え切っていた体に温もりが染み渡り、張り詰めていた神経が少しだけ解けていくのが分かった。
「……俺、全然進歩してないです。リリィさんがせっかく教えてくれてるのに、あの『熱の塊』が邪魔をして、外の空気が全く感じられなくて……」
カップを両手で包み込みながら、俺はポツリポツリと胸の内を吐き出した。
「やっぱり、俺って才能がないんですかね。魔法がない世界から来たし、そもそも使えないかもしれない。今も、お二人の足を引っ張ってるだけで……」
「ショウト様」
クレスさんの凛とした声が、俺の自嘲を遮った。
「他人と自分を比べるのは、無意味なことです。ましてや、リリィ様を基準にするなど言語道断ですよ。あの方は……少々、私達とは生きる次元が違いすぎますから」
「次元が……」
「ええ。それに、忘れないでください。ショウト様はまだ、この世界の理に触れてほんの数週間の『初心者』なのです。壁にぶつかるのは当然のこと。足踏みをしている時間は、決して無駄ではありません」
クレスさんの言葉は、どこまでも理路整然としていて、それでいて確かな温かさがあった。
眼鏡の奥に見える黒曜石のような瞳が、俺を静かに励ましてくれている。
「……そうですよね。急に全部できるようになるわけないか」
「その通りです。ゆっくりで構いません。私たちが、必ず貴方を一人前にしてみせますから」
「ふふっ、クレスの言う通りだよ」
ふと、ログハウスのテラスから、のんびりとした声が響いた。
見上げると、リリィさんが手すりに寄りかかりながら、月明かりの下でこちらを見下ろしていた。
いつからそこで聞いていたのだろうか。彼女はヒラリとテラスから飛び降りると、足音ひとつ立てずに俺たちの前へと歩み寄ってきた。
「ごめんね、ショウト。どうやら、私の指導方針が間違っていたみたいだ」
「えっ? リリィさんが間違っていたって……そんなことないですよ! 俺の飲み込みが悪いだけで……!」
「ううん。ショウト、君のせいじゃないよ」
リリィさんは俺の前にしゃがみ込み、真剣な眼差しで俺の目を見つめた。
「この数日間、君の様子を見ていて気がついたんだ。君の中にあるあの『熱の塊』は、外のエネルギーを遮断するただの障害物じゃない。あれは君の『力』の根源であり……君という存在そのものに、深く結びついているんだと思う」
「俺の、存在そのもの……」
「そう。私は君に『あの熱から意識を逸らして、無視しろ』と教えた。でも、それは自分自身の心臓の音を無視して外の音を聞けと言っているようなものだったんだ。……自分の内側にあるものを否定したままじゃ、外の世界と調和できるはずがない」
リリィさんの言葉に、俺はハッと息を呑んだ。
確かに俺は、あの恐ろしい熱を『邪魔なもの』『無視すべきもの』として扱い、ずっと蓋をしようとしていた。
「だから、明日からはやり方を変える」
リリィさんは立ち上がり、月光を背に受けて凛と言い放った。
「ショウト。明日、君にはあの『熱の塊』から目を逸らすのではなく……その中心に、まっすぐ飛び込んでもらう」
「中心に……飛び込む……!?」
「そう。君の恐怖の対象であるあの『熱の塊』を完全に受け入れて、君自身の力として支配するんだ」
それは、かつて全身が燃え盛るような激痛と恐怖を味わったあの奔流へ、自ら身を投げ出せという恐ろしい宣告だった。
だが、リリィさんの翡翠の瞳には一切の迷いがない。俺を信じきっている、強い光が宿っていた。
「……できるかい? ショウト」
「…………」
俺は手の中のマグカップを見つめ、深く息を吸い込んだ。
怖い。あの灼熱の感覚は、思い出すだけで今でも背筋が粟立つ。
けれど、このまま立ち止まっているのはもっと嫌だった。
「……やります。あの熱が俺の一部なら、ずっと逃げてちゃダメですよね」
俺が顔を上げて力強く頷くと、リリィさんはふわりと微笑み、クレスさんも満足そうに目を細めた。
長い停滞の夜が終わり、俺は次なる、そして最大の試練へと立ち向かう決意を固めるのだった。




