第10話:続く悩みと思わぬ発見
「違う違う! 右腕の魔力が濃すぎるよ! そっちに集中しすぎると、背中がお留守になってる!」
リリィさんの容赦ない指摘が、初夏の陽気で少しだけ汗ばむ訓練場に響き渡った。
『魔力操作』をしながらの過酷な走り込みから数日。俺は今、魔法戦闘の基本にして最重要技術である『身体強化』の習得に行き詰まっていた。
体内で練り上げた魔力を皮膚の表面を覆うように『薄く、均一な膜』を作る。これが身体強化の原理らしい。魔力で肉体をコーティングすることで、物理的なパワーやスピード、そして防御力を跳ね上げることができる。これが基礎中の基礎『身体強化』だ。
だけど、これが想像以上に難しかった。
「くっ……! 均等に、均等に……っ!」
『魔力操作』の意識を全身に分散させようとするが、どうしても利き腕である右手に魔力が偏ってしまう。
無理に背中や足に広げようとすると、今度は膜が薄くなりすぎて途切れてしまうのだ。
あちらを立てればこちらが立たず、魔力のコントロールは乱れる一方だった。
「うーん……ショウトは力みすぎなんだよ。もっとこう、パァーッと出して、スッと全身を包む感じでさ!」
「擬音が多くて全然分かりません師匠! もっと論理的に教えてください!」
「えぇー? 論理も何も、こういうのって感覚でやるものだし……」
天才肌のリリィさんには、できない人間の躓くポイントが上手く言語化できないらしかった。
俺がぜぇぜぇと肩で息をしていると、見かねたように澄んだ声がかけられた。
「リリィ様、ショウト様。そろそろ休憩にいたしましょう。集中力が切れては怪我の元です」
クレスさんが、いつものようにタイミングを見計らって、休憩のためにティーセットを運んできてくれた。
俺は崩れ落ちるようにその場に座り込み、深く長いため息を吐いた。
「ハァ……全然ダメだ。どうしても魔力が一点に集中しちゃう」
「焦ることはありませんよ。全身の魔力を均一に保つというのは、熟練の冒険者でも苦労する高等技術ですから」
クレスさんはそう言って優しく慰めながら、ワゴンに乗せていた大きな焼き菓子――シフォンケーキのような、フワフワとした厚みのあるスポンジケーキ――を取り出した。
「今日は、森で採れた野苺を使ったケーキです。今、切り分けますね」
俺は地面に座り込んだまま、ぼんやりとクレスさんの手元を眺めていた。
彼女は銀色のナイフを手に取ると、一切の躊躇なく、その非常に柔らかそうなケーキに刃を入れた。
スッ……。
一切の抵抗を感じさせない、見事な手際だった。普通、あんなにフワフワのケーキをナイフで切ろうとすれば、上から押し潰すような力が加わって形が崩れてしまう。
だけど、クレスさんの切り分けたケーキの断面は、定規で測ったかのように美しく、スポンジの気泡ひとつ潰れていなかった。
「……すごい。どうやったら、こんなに綺麗にケーキが切れるんですか?」
「ふふ、簡単なことです。力任せに押し切るのではなく、ナイフの重みと刃の滑りだけを利用して、均等に力を逃がすのです」
クレスさんは切り分けたケーキを皿に乗せながら、事もなげに言った。
「一点に力を込めるのではなく、刃の全体に意識を配り、対象に合わせて自然に力を波及させる。……メイドとしては、当然の嗜みですよ」
「一点に力を込めず、自然に波及させる……」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に雷のような閃きが走った。
(そうか……! 俺は魔力を『無理やり押し広げよう』としていたんだ!)
右腕から背中へ、背中から足へ。力任せに魔力を引っ張り回すから、ムラができて途切れてしまう。
ナイフでケーキを押し潰そうとしていたのと同じだ。魔力という柔らかいエネルギーを扱うには、もっと繊細に、自然な広がりを意識しなければならない。
「……クレスさん、ケーキ、後でいただきます! もう1回だけ試させてください!」
「えっ? あ、はい。構いませんが……」
俺は弾かれたように立ち上がり、訓練場の中央へと駆け出した。
切り分けられたケーキを頬張ろうとしていたリリィさんが、目を丸くしてこちらを見ている。
「ショウト? 急にどうしたんだい?」
「リリィさん! 俺、ちょっとコツが掴めたかもしれません!」
俺は深く深呼吸をして、目を閉じた。胸の奥から生まれる『魔力』を引き出す。
だが今回は、それを無理に手足の先へ『押し広げよう』とはしない。
クレスさんのナイフの動きをイメージする。
胸の奥から溢れ出た魔力を、水面に広がる波紋のように、ただ自然に、全身の表面に沿うように広げていく。
無理な力みは捨てた。ただ、自分が魔力という温かい水の中にすっぽりと沈み込んでいくような感覚。
(……薄く、均等に。全身の皮膚を、一枚の膜で覆うように……!)
「――ッ!」
目を開けた瞬間、世界が違って見えた。
体が、羽のように軽い。視界の端々まで感覚が研ぎ澄まされ、風のそよぎや葉の擦れる音までがクリアに脳へ流れ込んでくる。
自分の皮膚のすぐ外側に、熱を帯びたような薄い魔力の膜が、全体にピタリと張り付いているのが分かった。
「……おや。これは……」
お茶を飲んでいたリリィさんが、ティーカップを置いて立ち上がった。
その翡翠の瞳が、感心したように細められる。
「まだまだ展開は遅いものの、すごいじゃないか、ショウト! 完璧な魔力のコーティングだ! まさか数日で『身体強化』の基礎を習得するとは思わなかったよ!」
「できました……! リリィさん、これ、すっごく体が軽いです!」
俺は試しにその場で軽くジャンプしてみた。 それだけで、普段の倍近い高さまで跳び上がることができ、着地の衝撃も魔力の膜がクッションとなって完全に吸収してくれた。
『魔法』への道のり。
その大きな壁の1つを、クレスさんのアドバイスから突破するという予想外の形だったが、俺は確かな自分の成長に、思わずガッツポーズを突き上げていた。




