第9話:掴んだ『感覚』と始まる『地獄』
『魔力』を操作する修行で躓いてから数日が経過した。
「……ふぅーっ」
朝の澄んだ空気の中、ログハウスの外の訓練場で、俺は深く息を吐き出しながら自分の右手を見つめていた。
意識を胸の奥の魔力源に向け、そこから一本の糸を引くように、腕の血管に沿って魔力を指先へと誘導していく。
初日は泥水の中で手足を動かすような重さと抵抗があり、すぐに『魔力』が霧散してしまっていた。
だけど、クレスさんの淹れてくれるお茶で疲れを誤魔化しながら、来る日も来る日もこの地味な作業を繰り返した結果――
「……よしっ」
俺の人差し指の先で、微かな魔力が淡い陽炎のように揺らめき、ピタリと留まった。
ただ『魔力の源』から垂れ流しなっているのではなく、自分の意思でコントロールされた『魔力の塊』が、この指先に確かに存在している。
「リリィさん! できました! 指先に魔力を集めたまま、維持できてます!」
俺は達成感から弾んだ声で、木陰の定位置でクッションを抱いて丸まっている師匠に声をかけた。
「んん〜……?」
リリィさんは眠たげに目をこすりながら身を起こし、俺の指先をじっと見つめた。
そして、パァッと花が咲くような笑みを浮かべる。
「おっ、本当だ! 凄いねショウト、数日でそこまで魔力操作を安定してできるなんて。やっぱり君、才能あるよ!」
「ありがとうございます! これで俺も、魔法使いへの第一歩を――」
「よし、じゃあ次はその魔力操作を腕全体に広げて、そのまま訓練場を全速力で十周走ってこようか」
「…………はい?」
俺の言葉を綺麗に遮って放たれたリリィさんの指示に、思考が完全に停止した。
「え、あ、ちょっと待ってください。今、やっと指先に集められたばっかりで……それを腕全体に広げるだけでも大変なのに、走りながら維持するんですか!?」
「うん。実戦で棒立ちになって魔力を練る余裕なんてないからね。動きながら魔力を操作するのは基本中の基本だよ。ほらほら、立ち止まらないで。魔力が散っちゃうよ?」
リリィさんは話は終わりと言うように、パンパンと手を叩いて爽やかな笑顔で俺を追いやる。
「あ、それと十周走り終わったら、今度は足に魔力を集めてジャンプの訓練ね。それが終わったら、全身に薄く魔力を巡らせたままクレスの攻撃を避ける訓練もやろうか。いやぁ、ショウトの飲み込みが早くて師匠は嬉しいよ!」
「鬼だ……! このエルフ、血も涙もない……ッ!」
「ほら、走る走る! 足が止まってるよ弟子!」
楽しそうなリリィさんの容赦のない声が飛ぶ。
俺は泣きそうになりながら、腕に無理やり魔力を広げ、訓練場の外周を走り始めた。
少しでも気を抜けば腕の魔力は霧散してしまう。かといって魔力操作に集中しすぎると足がもつれて盛大にすっ転ぶ。
肉体的な疲労と魔力を操作する精神的な疲労が、これまでの人生で味わったことのないペースで俺の体力を削っていく。
「ハァッ……! ハァッ……! リ、リリィさん……も、もう、限界……ッ」
「甘いよショウト! そんなんじゃ森の弱っちぃ魔物にすら殴り倒されちゃうよ! はい、腕の魔力が薄くなってる! もっと集中して!」
木陰から飛んでくる声は、最初ののんびりした雰囲気から一変し、的確で容赦のない「指導者」のものに変わっていた。
……数日前のクレスさんの言葉が、今更になって鮮明に脳裏に蘇る。
『リリィ様の苛烈な修行に耐え抜いていただかなくてはなりませんからね。手加減というものを知らない御方ですので』
(クレスさんの言ってたこと、一ミリも間違ってなかった……!)
――夕刻
太陽が森の向こうに沈みかける頃、俺は文字通り地面へ大の字になって倒れ伏していた。
「あぁ〜……死ぬ……全身の筋肉と脳みそが溶けそう……」
ピクピクと痙攣する手足を動かすことすらできず、俺はゼーゼーと荒い息を繰り返す。
そんな俺を見下ろしながら、リリィさんは満足そうに頷いた。
「ふむ。初日にしてはよく頑張ったね。魔力の維持はまだまだだけど、スタミナは普通の子よりかはありそうだね」
「お疲れ様でした、ショウト様。……冷たいおしぼりです」
横からスッと差し出されたおしぼりを、俺は震える手で受け取り、顔に乗せた。
ひんやりとした感触と、微かなハーブの香りが、限界を迎えた脳を少しだけ癒してくれる。
「……クレスさん」
「はい」
「手加減を知らないって……本当ですね……」
「ええ。だから忠告したではありませんか」
クレスさんは微かに口角を上げ、同情するような、けれどどこか楽しげな瞳で俺を見下ろしていた。
「さあ、今日はゆっくり休むといいよ、ショウト。……明日は今日の倍のメニューをこなしてもらうからね!」
リリィさんの無邪気で残酷な宣告に、俺は顔におしぼりを乗せたまま、声にならない悲鳴を上げるのだった。
※ちょっと短いので、2話連続で投稿します。(2話目)




