紅蓮の祭壇、神速の抱擁
池田屋の地下、空気は発火せんばかりに熱を帯びていた。
階上からは、新選組の「御用改めである!」という怒号と、志士たちの絶叫、そして激しく火花を散らす刀の音が、振動となって伝わってくる。
「……聞こえるか、凱夜。若き志士たちの、命を賭した咆哮が。それがこの陣を通じて、極上の『熱』として流れ込んでくる」
芦屋道魄は、悦に入った表情で祭壇を見下ろした。
陣の中心では、お凛の妹である二匹の幼い猫又が、黒い呪鎖に縛られてのたうち回っている。彼女たちの身体からは、もはや可愛らしい産毛ではなく、周囲の空間を焼き溶かすような、赤黒い業火が噴き出していた。
「キッ、ギギィッ……!!」
幼い叫びが、異形の獣の咆哮へと変わっていく。
道魄は、お凛から奪った「姉妹の絆」を呪いの回路として利用していた。島原で夕霧に預けられたお凛が苦しんでいるのは、この祭壇を通じて彼女の魂までが燃料として引きずり出されているからに他ならない。
「お前ら陰陽師ってのは、どいつもこいつも、女や子供を泣かせて高説を垂れるのが趣味なのか? ……反吐が出るぜ」
凱夜は一歩、また一歩と、燃え盛る祭壇へと近づく。
その肌を灼熱が襲うが、凱夜の身を包む漆黒の霊圧が、炎を物理的に押し退けていた。
「無駄だ。その陣はすでに起爆の域にある。階上の志士が一人死ぬたび、その怨念はこの子らを通じて京の街を焼く業火へと変わる。今さら触れれば、貴様ごと爆ぜるぞ」
「爆ぜる? ……くかか、上等だ。俺の熱とどっちが上か、試してみようじゃねえか」
凱夜の瞳が黄金色に輝き、凄まじい霊圧が爆発した。
「緋糸! 結界を張れ! 欠片も外へ逃がすな!」
「――御心のままに!」
影から飛び出した緋糸が、指先から数千の銀糸を解き放つ。糸は地下室の壁一面に張り巡らされ、膨張する呪力の圧力を押さえつける鋼の繭となった。
「……何ッ!?」
道魄が驚愕に目を見開く中、凱夜は火の粉を散らして跳んだ。
狙うは、火車へと変貌しかけている子猫たち。凱夜は、荒れ狂う業火の渦中へ、文字通り素手で飛び込んだ。
「が、はっ……あ……!」
灼熱が凱夜の着物を焼き、肌を焦がす。だが、凱夜はその痛みを嘲笑うかのように、二匹の小さな身体を、万力のような力で抱きしめた。
「……いいか、お前ら。姉貴(お凛)が泣いてんだよ。……これ以上、あいつに悲しい思いをさせんじゃねえ」
凱夜は、二匹の首筋に顔を埋め、自らの膨大な霊力を、彼女たちの体内に直接流し込んだ。
それは破壊の力ではなく、暴走する呪力を強引に「鎮める」ための、圧倒的な陽の力。そして、お凛を通じて繋がっている魂の呪縛を、内側から焼き切る慈愛の力。
「あ……あぁっ……!」
二匹の小さな身体が、凱夜の腕の中で大きく跳ねる。
凱夜の魔性的な色気を含んだ霊力が、彼女たちの中の怨念を「安らぎ」へと塗り替えていく。
同時に、遠く離れた島原で、お凛を苛んでいた呪具が砕け散る。
「よし、火種は抜いた。……あとは、その汚ねえ回路をブチ切るだけだ」
凱夜は二匹を左腕で守るように抱え、右手を腰の業物へと伸ばした。
階上の新選組が、最後の志士を斬り伏せる音が響く。呪力の供給が最高潮に達した。
「遅いな、凱夜。間に合わぬぞ。京の街を焼く火の粉となるがいい!」
道魄が扇を振り下ろす。
だが、凱夜の「神速」は、因果の連鎖すら置き去りにした。
「土御門流神速抜刀・零ノ型・双閃」
一瞬。
いや、一瞬の千分の一。
二筋の閃光が、地下室を十字に切り裂いた。
一太刀目は、妹たちを縛る呪鎖を。
二太刀目は、階上から流れ込む呪力の供給路そのものを。
「……な……っ!?」
道魄の目の前で、膨れ上がっていた業火が、嘘のように霧散した。
ただ一点、凱夜の刀が描いた軌跡だけが、真空のように白く光っている。
「……。ふん、相変わらず力押ししか能がない男だ。だが、この『種』はすでに京の各地に蒔いてある……」
道魄は、自らの術式が完全に沈黙したことを悟ると、苦々しく吐き捨て、再び黒い霧の中へと姿を消し始めた。
「待て、道魄!」
「追う必要はありません、凱夜様」
緋糸が静かに凱夜の肩に手を置く。
「池田屋の表は新選組の手で制圧されました。深追いは……この娘たちの命に関わります」
凱夜は、腕の中で元の姿に戻り、安らかに眠り始めた二匹の猫を見つめた。
「……ちっ。命拾いしたな、クソジジイ」
凱夜は刀を鞘に収めると、二匹を大事に抱えて地下室を後にした。
「さあて、島原へ戻るぞ。……あのお転婆な姉貴に、この寝顔を拝ませてやらなきゃならねえからな」
池田屋の表では、死闘を終えた近藤勇や土方歳三が、夜明けの風に吹かれていた。
そのすぐ足元で、京の街を救った「死神」が、闇から闇へと消えていくことに、気づく者は誰もいなかった。




