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神速の陰陽師 〜幕末艶武伝〜  作者: 風花
最終章:黎明の風、死神たちの文明開化
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文明開化の華、それぞれの日常

 明治六年、東京。

 銀座の石畳を叩く馬車の蹄の音が、かつての戦場を駆ける軍馬の響きよりも軽薄に聞こえるのは、この街が過去を脱ぎ捨てようと急いでいるせいか。

 ガス灯の青白い光は、夜の闇を塗り潰すにはあまりに頼りないが、人々はその光に「文明」という名の安心を求めて群がっていた。


「凱夜様、見てください。この『ぎやまん』、まるで白雪の氷のように透き通っている」

 夕霧が輸入雑貨店のショーケース越しに目を輝かせる。牡丹柄の着物にインバネスの肩掛けを羽織った彼女の姿は、京の路地裏で血に濡れていた妖狐の面影を感じさせない。

 だが、凱夜には分かっていた。彼女がそうして「新しい女」を演じるのは、凱夜が選んだこの新しい時代を、誰よりも肯定したいという健気な献身であることを。

「……苦い。けど、癖になる味だね、凱夜」

 お凜が喫茶店カフェーで、泥のように黒い珈琲を啜り、慣れない苦味に小さく眉を寄せる。

「前だったら、こんな色のついた泥水を出されたら、毒でも入ってるんじゃないかって疑っただろうな。……平和っていうのは、舌まで油断させるみたいだ」

 彼女は窮屈そうなブーツを鳴らし、落ち着かない様子で椅子に座り直す。かつてはその身一つを凶器とし、敵の懐へ飛び込んで命を刈り取っていた少女。今は拳を振るう相手もおらず、ただ珈琲の苦さと格闘している。その姿には、戦いの中でしか己の居場所を見出せなかった過去の自分を、少しずつ手放そうとする戸惑いが滲んでいた。

 白雪は道端の書店で翻訳本を食い入るように見つめている。

「『科学』。……霊力を数値化し、術式を理屈で解体する。この考え方が広まれば、私たちのような怪異は、本当にただの『迷信』になるのかもしれませんね」

 それは寂しげな呟きではない。白雪の瞳には、自分たちの呪わしい特異性が消え、ただの「一人の女」として凱夜の隣にいられる未来への、静かな期待が宿っていた。


 凱夜は、そんな女たちを少し離れた場所から眺めていた。

 インバネスコートの懐には、漆黒の刀ではなく、陰陽師としての数枚の呪符だけがある。

 ふと、街の喧騒の隙間から、澱んだ霊気が鼻を突いた。急速な変化に取り残された人々の絶望や、切り捨てられた古い魂の残滓。それはガス灯の光では決して祓えない、新時代の暗部だ。

「凱夜様、あっちに馬車が来たよ! 阿と吽も乗りたいって!」

 無邪気に笑う阿と吽の声を合図に、凱夜は思考を切り替えた。

 見上げた空、蒸気機関車が吐き出す煤煙の向こう側で、沈みゆく陽が東京の街を黄金色に染め上げる。

 かつて京都の戦場で土方歳三と見た、血のように赤い夕陽とは違う。それは、泥にまみれながらも明日を掴もうとする、泥臭くも力強い希望の色だった。

「……トシ。お前の言った通り、面白い世の中になった。だが、光が強まれば影も深くなる。……安心しな、その影は俺たちが始末してやるよ」

 凱夜は独りごち、コートの裾を翻した。

 自分たちを「怪物」ではなく「一人の人間」として求めてくれるこの女たちのために、そしてこの賑やかで、不完全で、愛おしい新時代を守るために。

「凱夜様、何をぼんやりしてるの? 早く行こう」

 緋糸が、悪戯っぽく凱夜の腕に指を絡める。

「……ああ、今行く」

 凱夜は女たちの賑やかな輪の中へと踏み出した。


 文明開化の華が咲き乱れる東京の街。

 かつて死神と呼ばれた男は、今、女たちの愛という名の熱に絆され、この新しい時代の一部として、確かに呼吸をしていた。


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