暁の報酬、あるいは愛の檻
廃寺が炎に包まれ、崩れ落ちる轟音が夜の静寂を切り裂く。
凱夜は、腕の中に抱いた緋糸の柔らかな肌に伝わる震えを感じながら、神速の歩法でその場を離脱した。向かう先は、島原にある夕霧の隠れ家である。
「……凱夜様、私は……」
緋糸の声は、消え入りそうなほどに細い。
呪印から解放された彼女の瞳には、かつての狂気はなく、ただ凱夜という男への、抗いがたい情愛と依存の光だけが宿っていた。
「喋るな。毒気にやられた身体だ、今は休ませてやる」
「……はい……」
緋糸は、凱夜の逞しい胸板に顔を埋める。妖怪としての力は残っているものの、人の姿を取った彼女はあまりにも脆く、守るべき「女」そのものであった。
島原の奥座敷。
戻ってきた凱夜を迎えたのは、冷めた視線と、呆れたような溜息だった。
「……おい。俺は『怪異の始末』を頼んだはずだが。まさか、そのまま連れて帰ってくるとはな」
部屋の隅、影に溶けるように座っていた土方歳三が、腰の刀を鳴らして立ち上がる。その視線は、凱夜の腕の中で眠るように横たわる全裸の美女――緋糸に向けられていた。
「始末はつけたぜ。あの場所を腐らせてた『呪い』はな」
凱夜は緋糸を静かに布団へ寝かせ、夕霧が用意した羽織をかけてやる。
「だがトシ、この女を斬れってんなら、今ここで俺とやり合うか? こいつはもう、ただの蜘蛛じゃねえ。……俺の所有物だ」
土方の目が、鋭い剣気を放つ。新選組の法度は厳しい。だが、凱夜という男の「器」と、その不遜なまでの自信を知る土方は、小さく鼻で笑って刀の柄から手を放した。
「……貴様の女癖の悪さには、地獄の門番も愛想を尽かすだろうよ。報告には『怪異は討ち取った』と書いておく。だが、その女が京で一滴でも人の血を啜ってみろ。その時は俺が貴様ごと斬る」
「くかか、違いねえ。だが安心しな。こいつが啜るのは、俺の精だけだ」
下卑た冗談を飛ばす凱夜に、土方は「勝手にしろ」と吐き捨て、夜の闇へと消えていった。
土方が去り、部屋には凱夜と、それを見守っていた夕霧、そして目を覚ましたばかりの緋糸だけが残された。
「……さて。邪魔者はいなくなったな」
凱夜は、行灯の火を一つ、指先で消す。
夕霧が艶然とした笑みを浮かべ、凱夜の背中にしなだれかかった。
「報酬の『最高級の女』は、ここに二人いるけれど? 凱夜、どちらから愛でてくださるのかしら」
「選ぶ必要がどこにある。……夕霧、お前が緋糸に教えてやってくれ。俺の女になるってことが、どういうことかをな」
凱夜の力強い腕が、二人を同時に引き寄せる。
緋糸は頬を赤らめ、逃げる術を知らぬ蜘蛛のように、凱夜の情熱的な口づけに身を任せた。夕霧の九つの尾が、祝祭のように座敷の闇を覆い隠していく。
「あ……あぁ、凱夜様……。私はもう、貴方なしでは……」
絡新婦の糸よりも強く、情欲という名の絆が、三人(一人と二匹)の運命を繋いでいく。
外では、幕末の風が激しさを増していた。
倒幕派、新選組、そして芦屋道魄。
蠢く陰謀の渦中にありながら、凱夜はただ、腕の中の女たちの体温だけを信じ、不敵に笑う。
「地獄へ行くなら、最高の女を連れて行きな。……あいにく、この女たちはもう、俺の所有物だがな」
神速の刃が次に何を切り裂くのか。
凱夜の「妖怪ハーレム」は、この動乱の京で、さらなる美しき異形たちを飲み込み、膨れ上がっていくことになる。




