二人の修羅、別れの杯
一八六九年(明治二年)三月。箱館、五稜郭。
北の地を支配する冬の余韻は、鋭利な刃物のように冷たく、城壁を叩く風はまるで亡霊の啜り泣きのように響いていた。
城内の一角、蝋燭の炎が不規則に揺れる執務室で、凱夜と土方歳三は対峙していた。卓の上に置かれたのは、一本の濁酒と二つの無骨な猪口。それだけが、戦を前にした二人の男の間に横たわっていた。
「……宮古湾奇襲。博打どころか、死ににいくようなもんだぜ、トシ」
凱夜が杯を煽り、黄金の瞳で土方を射抜く。
新政府軍の最新鋭装甲艦『甲鉄』を奪取するべく、土方率いる精鋭部隊が「回天」を始めとする三艦で宮古湾へ殴り込む作戦。成功すれば戦局は劇的に覆るが、一歩間違えれば、蝦夷共和国の軍事的象徴である土方自身の命はない。
「博打を打たなきゃあ、俺たちの居場所なんてどこにも残らねえ。……武士として死ぬ場所は、もうここ以外にねえんだよ」
土方はそう言って不敵に笑うと、窓の外に視線を向けた。五稜郭の周囲には、道魄が放つ「黒い霧」が執拗に渦巻き、城壁の霊的な結界をじりじりと削っている。土方は、新政府軍の軍靴の音よりも恐ろしい「何か」が、この城の足元で蠢いていることを、戦士としての本能で察知していた。
「……凱夜。俺が留守の間、この城の『裏』は貴様に託す。宮古の海より、こっちの泥の方が深そうだ。道魄のジジイ、地下の龍脈に毒を流し込んでやがる」
「くかか、抜かせ。……お前が表で派手に暴れている間、ここは俺が、俺の女たちと一緒に守り抜いてやるよ。汚れ仕事は、最初から死神の領分だ」
「ああ、頼むぜ。……それにしても、相変わらず貴様は」
土方は、部屋の入り口に音もなく立ち並ぶ面々を瞥見し、呆れたように、だがどこか羨望の混じった溜息をついた。
そこには、夕霧、お凛、白雪、緋糸、そして阿と吽がいた。
彼女たちが纏う空気は、以前よりも一層濃密で、禍々しい。それはただの訓練による強さではない。凱夜に抱かれ、その猛々しい情愛を肌で知った彼女たちは、凱夜の生命力をその身に宿し、彼と一蓮托生の関係となったことによる「覚醒」の輝きであった。
土方が部屋を去る際、凱夜の肩を一つ叩いた。
「女たちの熱に当てられて、肝心の戦の前に腰を抜かすなよ」
「くかか、案ずるな。こいつらの熱こそが、俺の力の源だ」
土方の足音が消えると、部屋の温度がにわかに上昇したかのように錯覚するほどの霊気が満ち溢れた。女たちが一斉に凱夜の周りに歩み寄る。
「凱夜様、土方様が行かれましたわ。……さあ、わたくしたちの『掃除』を始めましょう。地下からの腐臭が、わたくしの鼻を汚して不快ですわ」
夕霧が九つの尾を扇状に広げ、凱夜の背中に妖艶に寄り添う。お凛もまた、凱夜の腕を抱きかかえるようにして、鋭い爪を研ぎ澄ませた。
「あの道魄ってジジイ、今度は土の中にネズミを飼ってるみたいだよ。凱夜、あたしたちが全部引き裂いてあげる」
白雪は静かに凱夜の足元に跪き、冷徹な殺気を孕んだ瞳を見上げた。
「……凱夜様の歩む道を汚すものは、私がすべて凍土に沈めます。お命じください」
そして、凱夜の腰に左右からしがみつく阿と吽。二人の少女の姿をした異形たちは、凱夜の体温に陶酔するように頬を寄せながらも、その黄金の瞳は城の床下、龍脈の深淵を真っ向から睨み据えていた。
「……あのおじいさん、大地の底で笑ってる。凱夜様を邪魔しようとしてる」
「……阿も、凱夜様の敵、全部、噛み砕いていい?」
凱夜は、自身を囲む六人の女たちの熱い眼差しと殺意を全身で受け止め、漆黒の刀の柄に手をかけた。
「ああ、やっていいぜ。トシが海で命を張るなら、俺たちはこの城の『根』を腐らせる虫ケラどもを、一匹残らず焼き払う。……俺の女たちに手を出す奴には、死すら生温い地獄を見せてやろうじゃないか」
凱夜の号令とともに、一行は五稜郭の深部へと通じる、歴史に埋もれた隠し階段へと足を踏み入れた。
足元から伝わる不気味な振動。
道魄が放った新たなる刺客、そして龍脈の暴走。
宮古湾の海戦が始まろうとするその裏で、凱夜と六人の女たちは、蝦夷地の魂を守るための、血塗られた防衛戦を開始する。




