飯盛山の慟哭、穢された純潔
若松城下は、新政府軍の放った「焼玉(火龍弾)」によって、阿鼻叫喚の火の海と化していた。黒煙は天を衝き、降り注ぐ火の粉は血を吸った雪のように街を焼き尽くしていく。その地獄の光景を、冷徹なまでの静寂で見下ろす場所があった。
飯盛山。
そこには、戸ノ口原の激戦を潜り抜け、ボロボロになりながら辿り着いた少年兵たち――白虎隊の姿があった。十六、七歳の幼い頬には返り血と煤がこびり付き、握りしめた刀の柄は、自身の流した汗と血で滑る。
「城が……鶴ヶ城が、燃えている……」
一人の少年が力なく呟いた。彼らの目に映るのは、猛火に包まれ、黒煙の向こうで沈みゆく故郷の象徴。主君も、家族も、帰るべき場所も全てが失われたという「虚無」が、まだ初恋も知らない幼い魂を塗り潰していく。
「くははっ……実に美しい。この純粋な絶望こそが、最強の『苗床』になるのだよ」
少年たちの背後の闇から、粘りつくような嘲笑と共に道魄が姿を現した。その足元からは、ドロドロとした泥のような黒い影が触手となって伸び、少年たちの影を、その魂の根源から侵食し始める。
「お前たちが今ここで死ねば、その清らかな無念は最強の怨霊となり、新政府軍を呪い殺す不滅の刃となる。さあ、潔く腹を切れ。私の術が、お前たちの魂を永遠の復讐へと導いてやろう」
道魄の呪言は、弱り切った少年たちの意識に直接響く。
「死ぬことが武士の誉れである」という彼らの教育を逆手に取り、死への恐怖を「復讐への義務」へとすり替えていく。
「……徳川の……会津の武士として、死なせてくれ……ッ!」
一人の少年が、震える手で脇差を抜いた。その切っ先が、白磁のような腹部を捉える。
道魄の呪縛に操られるように、少年たちが次々と死の儀式を始めようとしたその時――。
「――汚え手で、ガキどもの魂に触れてんじゃねえよ!!」
大気を引き裂く轟音と共に、一筋の黄金の閃光が山頂に降り立った。
凱夜だ。
漆黒の刀が空を切り裂き、道魄から伸びていた黒い触手を一瞬にして消滅させる。神速の領域から放たれた圧力が、道魄の呪縛を力ずくで弾き飛ばした。
だが、間に合わなかった。
呪縛が解けた時、少年たちの心に残ったのは、道魄の幻影ではなく、自らの意志で選んでしまった「死の決断」の重さだった。彼らにとって、一度抜いた刀を収めることは、武士としての魂を汚すことに他ならなかった。
「……凱夜様。……だめ、止まらない……ッ!!」
追い付いたお凛が、その凄惨な光景に絶叫した。
戦場を遊び場とし、死を見慣れているはずの猫又である彼女が、少年たちが迷いなく己の腹を裂く「肉が断たれる音」を前にして、獣のような嗚咽を漏らし、膝をつく。
「あ、あああ……っ!!」
夕霧が、九つの尾を逆立てて慟哭した。彼女が長年見てきた「人間の業」の中でも、これほどまでに残酷な、それでいて純粋な終焉はなかった。白雪は、冷たさを失った熱い涙を流しながら、倒れゆく少年の一人を抱きかかえようとして、その手の温もりが急速に失われていく感触に、声を上げて泣き崩れた。
「凱夜様……わたくしの糸でも、この命は繋ぎ止められません……。あまりに、あまりに潔すぎて……っ! 魂が、指の間をすり抜けていきますわ!」
緋糸が震える手で銀糸を伸ばすが、事切れた少年たちの魂は、道魄の呪いに穢される前に、誇り高い星となって夜空へ消えていこうとしていた。
「ハハハ! 惜しいな凱夜! あと一息、呼吸一つ分早ければ、この極上の悲劇は阻止できたものを!」
狂笑する道魄に対し、凱夜は何も答えなかった。
ただ、静かに、そして深く刀を正眼に構える。凱夜の黄金の瞳からは光が消え、底なしの「無」が宿っていた。周囲に漂う夕霧の狐火、お凛の鬼火、白雪の凍てつく涙が、暗闇の中で鎮魂の灯火のように、静かに、だが激しく燃え上がる。
「夕霧、お凛、白雪……泣くんじゃねえ。……こいつらの『眠り』を邪魔するゴミを、まずは掃除するぜ」
凱夜の全身から、これまでにない神々しくも禍々しい霊圧が噴き出した。
それは、死神としての慈悲であり、土御門の末裔としての最期の矜持。
「道魄。……貴様には、地獄へ行く暇すら与えねえ」
神速を超えた「静止」の領域。
少年たちの骸を盾にするように、凱夜は道魄の軍勢へと、ただ一歩、踏み込んだ。その一歩が、飯盛山の岩肌を砕き、夜の帳を真っ二つに割り裂いた。




