死神の開城、不夜城の別れ
上野の山に吹き荒れた殺気は、凱夜の一閃によって一時的な沈黙を強いられていた。砕け散った「怨身の甲冑」の破片が地面に転がり、我に返った彰義隊の隊士たちが、己の手の震えを呆然と見つめている。
「……土御門、凱夜。貴様、幕府を見限ったか! この力があれば、薩摩の軍勢など……!」
天野八郎が、力への未練を捨てきれずに叫ぶ。だが凱夜は、収めたばかりの刀の柄に手を置いたまま、冷徹な黄金の瞳を向けた。
「力に喰われてる奴が、何を『守る』なんて抜かしてやがる。……お前らが今守ってるのは、徳川の看板じゃねえ。道魄のジジイが用意した『絶望』っていう餌だぜ」
凱夜の背後、闇の中から道魄の気配がさらに色濃く漂い出す。周囲の木々が瞬時に枯れ果て、地中から不気味な黒い触手が這い出し、御用盗と彰義隊の死骸を飲み込み始めた。それらは巨大な肉の塊となり、一体の禍々しい「肉の門」を形成していく。江戸を物理的に分断し、無血開城の交渉を破綻させるための呪術的防壁だ。
「……凱夜様。江戸城の勝様より、急ぎの文が届いておりますわ。薩摩の西郷が、江戸総攻撃の準備を整えつつあるとのこと」
夕霧が空から舞い降り、一枚の紙片を凱夜に差し出す。そこには「刻限は近い。邪気を払え」とだけ記されていた。
「ハッ、勝の旦那も人使いが荒いぜ。……おい、阿、吽。この『門』を食い破れ。緋糸、お凛、周辺の掃討は任せる。夕霧、白雪を連れて吉原の守りを固めておけ」
「「御意!」」
女たちが一斉に散り、夜の寛永寺に再び戦火が爆ぜる。
凱夜は一人、肉の門の深淵へと足を踏み入れた。内側からは、これまでに斬り捨ててきた者たちの怨嗟の声が響き渡る。だが、凱夜の神速の領域において、過去の亡霊が追いつく隙など微塵もない。
「――神速抜刀・零ノ型・無明長夜」
一筋の閃光が、肉の門を縦に両断した。
呪術的な結界が霧散し、江戸の空に澱んでいた邪気が一気に晴れ渡る。その瞬間、江戸城の門が静かに開き、勝海舟と西郷隆盛による「歴史の決断」が下された。
数日後。
江戸城が新政府軍に引き渡され、徳川の世が名実ともに幕を閉じた。吉原の拠点に戻った凱夜を待っていたのは、江戸を去る準備を整えた土方歳三だった。
「凱夜、俺たちは北へ行く。……慶喜公は恭順されたが、俺たちの戦争はまだ終わっちゃいねえ」
土方の目は、かつてないほど澄んでいた。負け戦と分かっていても、己の誠を貫く場所を探しに行く男の顔だ。
「……そうかよ、トシ。俺も江戸に長居しすぎた。道魄の気配はさらに北……会津の山々に消えてやがる。……続きは、もっと寒い場所でやろうぜ」
凱夜は、白雪の白い手を握り、夕霧たちを引き連れて品川の港へと向かった。
開城に沸く町人たちの歓声を背に、死神とそのハーレムは、次なる修羅の舞台――東北へと向かう船に乗り込む。
徳川の因果を断ち切った男の刃が、次は会津の雪山を赤く染める。




