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神速の陰陽師 〜幕末艶武伝〜  作者: 風花
第四章:油小路の血雨と、離反の糸
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慟哭の辻、魂を断つ神速

 慶応三年十一月十八日、深夜。油小路の辻を、冷たい雨が叩き続けていた。

 すでに伊東甲子太郎は暗殺され、その骸を回収に現れた御陵衛士たちは、四方から現れた新選組の刃に囲まれていた。

「平助ッ! 逃げろ、逃げろと言っているのが分からんのか!」

 永倉新八が、怒声とも悲鳴ともつかぬ声を上げた。その目の前では、かつて試衛館で共に稽古に励み、同じ釜の飯を食った「八番組組長」藤堂平助が、深手を負いながらも刀を構え続けている。

 新選組の隊士たちは、土方からの「藤堂は逃がせ」という密命を受け、あえて彼の前に道を開けていた。だが、藤堂は動かない。いや、動けなかった。

「……う、あああ……新八さん、原田……さん……! 身体が……身体が勝手に……!」

 藤堂の絶叫とともに、彼の傷口から「黒い泥」のような呪気が噴き出した。それは道魄が仕掛けた禁忌の術。裏切りの後悔、仲間への未練……それら純粋な情念を餌に、肉体を無理やり動かす「生ける呪い」へと変貌させていたのだ。

「平助、てめえ……その身体、何が起きてやがる!」

 原田左之助が槍を握り直し、慟哭した。目の前の親友は、瞳から生気が消え、代わりに異国の悪鬼のような赤黒い光を宿している。

「あ、あああああッ!!」

 藤堂の喉から、獣の咆哮が漏れる。呪いに支配された彼の刃が、加勢しようとした仲間の御陵衛士を、そしてかつての同志である新選組隊士を、無差別に切り裂き始めた。その剣筋にはもはや武士の矜持はなく、ただ周囲を破壊し尽くそうとする「国の崩壊」の意志だけが宿っていた。

「……トシ、見たか。てめえが『情』で道を開けたせいで、あの若造は化け物に成り果てた。……これが、てめえの守りたかった『理』の結末だ」

 辻を見下ろす屋根の上に、凱夜が立っていた。雨に濡れる漆黒の着物が、戦場の凄惨さを際立たせる。

「凱夜様、もう限界ですわ。藤堂様の魂は、呪いの核として完全に道魄に食い尽くされようとしています。あれが爆発すれば、この場にいる新選組の精鋭たちも、呪いの中毒で共食いを始めるでしょう」

 夕霧が扇を握り締め、その双眸に懸念を宿す。

「緋糸、結界を縮めろ。お凛、外へ漏れる呪気をすべて焼き尽くせ。阿、吽、俺の左右を離れるな。……あの若造を、地獄から引きずり出すぞ」

 凱夜が屋根から舞い降りた。


 新八と原田が絶望に立ち尽くす中、漆黒の風が戦場を横切る。

「どけ。そのガキはもう、てめえらの刀じゃ救えねえ」

 凱夜の声に、土方歳三がハッと顔を上げた。土方の瞳には、副長としての冷徹な仮面の裏で、家族を失う恐怖と苦悩が激しく渦巻いている。

「凱夜、貴様……!」

「黙って見てな、トシ」

 凱夜は黄金の瞳を爛々と輝かせ、神速で藤堂の懐へと潜り込んだ。

 藤堂の背中から生えた、呪いの触手のような影が凱夜に襲いかかる。だが、凱夜はそれを紙一重でかわし、藤堂の胸元に手を添えた。

「……平助、だったな。試衛館の飯は美味かったか?」

「……か……い……や……さま……」

 藤堂の瞳に、一瞬だけ、かつての少年の面影が宿った。

「そうか。なら、その味だけ持っていけ。……汚れ(けがれ)は、俺が全部置いていってやる」

「土御門流神速抜刀・零ノ型――『浄土崩落じょうどほうらく』」

 一閃。

 凱夜が放ったのは、肉体を斬る刃ではない。藤堂平助という男の魂に絡みついた、道魄の呪いの糸を、過去から未来に至るまですべて断ち切る「概念」の斬撃。

「…………ああ」

 藤堂の口から、黒い霧が吐き出され、お凛の青い炎によって瞬時に浄化された。

 呪縛から解き放たれた藤堂の身体が、ゆっくりと凱夜の腕の中に崩れ落ちる。

「平助!!」

 新八と原田が駆け寄り、その骸を抱きかかえた。

 藤堂の顔は、先ほどまでの化け物の形相が嘘のように、安らかで、まるで道場で昼寝でもしているかのような穏やかさを取り戻していた。

「……死んだのか。……俺たちが、殺したのか……」

 原田の震える声が、雨の夜に溶ける。

 土方は、一歩も動けぬまま、その光景を凝視していた。凱夜の一閃がなければ、平助は化け物として仲間を食い殺し、永遠の汚名を残したまま果てていた。それを防いだのは、他ならぬ「人非人」と蔑んだ凱夜だった。

「……礼は言わねえぞ、凱夜」

 土方の声は、激しく震えていた。

「言わなくていいさ、トシ。……これが、俺たちの生きる幕末じごくだ」

 凱夜は血の混じった雨水を払い、女たちを引き連れて闇へと歩き出した。

 背後からは、新八と原田の、獣のような慟哭がいつまでも響き渡っていた。

 油小路の夜が明ける。

 新選組という家族が、内側から崩壊したこの夜。凱夜は、国の理を断つ力の真の意味を、その肌で理解し始めていた。


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