冷雨の密約、瓦解する情義
竹林での一件から数日。京の街には、肌を刺すような冷たい雨が降り続いていた。
凱夜の隠れ家を訪れたのは、意外な客であった。新選組三番組組長・斎藤一。伊東の一派に間者として潜り込んでいるはずの男が、雨に濡れた合羽を翻し、凱夜の前に音もなく現れた。
「……何の用だ。トシの伝言なら、聞き飽きてるぜ」
凱夜は座敷で、阿と吽に髪を梳かせながら退屈そうに目を向けた。斎藤の鋭い眼光は、凱夜の背後に控える人外の女たちを一度だけ一瞥し、本題を切り出した。
「副長の伝言ではない。俺の独断だ。……伊東の周りで、理屈では説明のつかない『変異』が起きている。先日の竹林の件、あれと同じ末路を辿りかけている者が、御陵衛士の中に複数いる」
「……あいつらは幕府を、この国を良くしたいって志で動いてたんじゃねえのか?」
「志が強ければ強いほど、道魄の毒は回りやすい。……特に、藤堂(平助)だ」
斎藤の言葉に、凱夜の眉が僅かに動いた。
藤堂平助。新選組の生え抜きでありながら、伊東を慕って離反した若き志士。その純粋すぎる正義感こそが、道魄にとっては最高の「苗床」になる。
「藤堂様は、今や伊東様と土方様の間で、魂を引き裂かれようとしています。その裂け目に、道魄が『国の理を断つ力』を注ぎ込んでいるわ」
夕霧が影から現れ、斎藤に茶を差し出す。斎藤はそれを受け取らず、凱夜を直視した。
「土方副長は、油小路で伊東らを粛清する決断を下した。だが、武士の刀では、あの『呪い』は斬れん。……凱夜、貴様にしかできない仕事があるはずだ」
「……くかか。トシには内緒で、俺に尻拭いをしろってか? 随分と都合のいい話だな、斎藤」
凱夜は立ち上がり、壁に掛けられた二本の刀を掴んだ。
その瞳には、斎藤すら一瞬気圧されるほどの、暴力的な黄金の光が宿っている。
「だが、気に入らねえんだよ。……あのジジイが、若造の青臭い志を腐らせて、自分勝手な地獄を創り上げようとしてるのがな」
凱夜が合図を送ると、緋糸が天井から静かに降り立ち、お凛が火の粉を散らして爪を研ぐ。
「緋糸、油小路の家々に『銀糸の結界』を張れ。一般人を巻き込むんじゃねえ。お凛、漏れ出した毒煙は全部焼き尽くせ。……阿、吽、俺の左右を離れるな。……道魄のジジイがどこから覗いてるか、その目で暴き出すんだ」
「仰せのままに」
女たちが一斉に唱和し、闇へと溶ける。
「斎藤。てめえらはてめえらの理屈で、裏切り者を斬りな。……俺は、その裏側にへばりついてる『絶望』を、神速で食い千切ってやるよ」
斎藤は小さく頷き、再び雨の中へと消えていった。
慶応三年十一月十八日。
油小路の四つ角が、新選組の血と、道魄の呪いが混ざり合う最悪の処刑場と化すまで、あと数時間であった。




