三千世界の抱擁、神域の浄化
御所の地下から噴き出す黒い霊気と、蛤御門から立ち昇る火炎の煙が混ざり合い、神域は黄昏時のような不気味な暗がりに包まれていた。
空を裂く砲声が響くたび、御所の地面が震え、阿と吽の身体から発せられる赤黒い呪光が激しさを増していく。
「あ、ああああッ! 壊れる、何もかも……壊れてしまう……!」
「お父様、お母様……熱い、身体が、焼ける……!」
姉の阿が、獣の鉤爪と化した指で凱夜の胸元を切り裂こうと飛びかかる。同時に、妹の吽が影から現れ、凱夜の喉元を狙って鋭い牙を剥く。神の使いである彼女たちの力は、道魄の呪いによってリミッターを外され、一撃一撃が地脈を揺るがすほどの質量を持っていた。
凱夜は、その猛攻を「神速」の微細な回避で紙一重にかわし続ける。
頬をかすめた風が、熱で焼けるように熱い。
「凱夜様! 無茶ですわ! その娘たちの身に宿るは、この国の数千年の怨嗟を凝縮した呪毒。触れれば、貴方の魂まで腐り果てます!」
背後で異国の悪鬼をなぎ倒していた夕霧が、焦燥の声を上げる。
「黙って見てな、夕霧。……こいつらは、この国の『形』そのものを背負わされて泣いてるんだ。なら、その重荷ごと俺が奪ってやるのが道理だろ?」
凱夜は黄金の瞳を爛々と輝かせ、回避を止めた。
左右から迫る、魔物と化した双子の守護獣。その爪が凱夜の肌に食い込もうとした瞬間――。
「――来い」
凱夜は、凄まじい衝撃と共に、阿と吽の二人を同時に、力強くその胸に抱き寄せた。
「ガ、はっ……!?」
双子の少女が驚愕に目を見開く。
彼女たちの身体から溢れ出す呪毒が、凱夜の肌を焼き、着物を腐食させ、その血管をどす黒く染め上げていく。だが、凱夜は眉一つ動かさない。それどころか、彼は抱きしめる力をさらに強め、自らの膨大な、そして魔性的な熱を帯びた霊力を、彼女たちの魂へ直接流し込んだ。
「……いいか、よく聞け。国がどうなろうと、帝がどうなろうと、知ったこっちゃねえ。だがな、俺の目の前で、可愛い盛りのガキが泣き喚いてんのは……最高に寝覚めが悪りいんだよ」
凱夜の霊圧は、もはや正義の術などではない。
それは、あらゆる呪いを飲み込み、自らの糧とする「極上の闇」であり、同時に触れる者を虜にする「抗いがたい色気」を伴っていた。
「あ……あぁ……熱い、けど……心地いい……」
「凱夜……様……。私の中の、黒いものが……溶けていく……」
阿と吽の瞳から狂気が消え、代わりに深い悦楽と安らぎが混ざり合った光が宿る。
凱夜は、彼女たちの背中に打ち込まれていた道魄の「絶命の杭」を、自らの霊圧で内側から粉砕した。
その瞬間、御所の深奥に潜んでいた芦屋道魄が、嘲笑と共に姿を現した。
「ふふ……、見事だ。だが凱夜、手遅れよ。蛤御門の炎はもはや止まらぬ。戦場に満ちる数万の殺気は、この『杭』が砕けた瞬間に、この国を支える霊的な骨組みをすべて瓦解させる引き金となるのだ!」
「……ああ、そうかよ。なら、その『引き金』ごと、世界をぶった斬ってやる」
凱夜は阿と吽を優しく地面に降ろすと、初めて二本の刀を同時に抜いた。
右手に「土御門」の業物、左手に妖刀。
凱夜が踏み込んだ瞬間、時間の流れが止まった。
「土御門流神速抜刀・零ノ型――『三千世界』」
一閃。
いや、それは無限の斬撃が一点に収束した、因果そのものを断つ一撃。
蛤御門を包んでいた爆炎が、真空に吸い込まれるように一瞬でかき消えた。
道魄が構築した、国を呪い殺すための広大な術式の回路が、物理的な衝撃を伴って粉々に砕け散る。御所の空を覆っていた黒雲が真っ二つに裂け、そこから月光が、勝利を祝うように差し込んだ。
「……な、何だと……? 国の理そのものを断ち切ったというのか……一人の中途半端な陰陽師が……!」
道魄の霊体が、斬撃の余波に耐えかねて霧散し始める。
彼は消えゆく間際、歪んだ歓喜に震える声で叫んだ。
「……素晴らしいぞ、凱夜! その切れ味、それこそが万物を混沌へ還す『終焉の剣』だ! お前が強くなればなるほど、この国は完成へと近づき、そして滅びへと向かう! 楽しみだ……維新の夜明けに、お前が何を切り裂くのかがな……!」
道魄の気配が完全に消え、神域に静寂が戻った。
凱夜は刀を鞘に収め、荒い息をつく。その全身は傷だらけだが、その顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
「……凱夜様……」
阿と吽が、まだ震える足取りで凱夜に歩み寄り、その着物の裾を掴んだ。
彼女たちの瞳には、もはや守護獣としての義務感はなく、自分たちを地獄から救い出し、魂まで奪い去った男への、狂おしいまでの忠誠と愛が溢れていた。
「……さて。トシの野郎には『後始末は済んだ』と伝えてやらなきゃな」
凱夜は双子の頭を乱暴に撫で回すと、夕霧、緋糸、お凛を呼び寄せた。
「今夜は国を救った大功労者だ。……御所の奥の院、一番いい布団を用意させろ。……五人まとめて、俺が面倒見てやるよ」
月夜の下、幕末の歴史に刻まれることのない、しかし最も贅沢で罰当たりな宴が始まろうとしていた。




