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Fランク荷物持ちのバズりキャンプ飯 〜無能と追放され最深部でヤケクソ配信したら、ラスボス神獣が餌付けされました〜  作者: 伊達ジン


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第8話 運営の胃痛が始まる

 午前二時四十五分。

 東京都心の一等地にそびえ立つ、探索者ギルド日本本部の地下三階。

 強固な物理セキュリティと幾重もの魔力結界に守られた「配信管理センター」では、深夜帯にもかかわらず五十名近いオペレーターが端末に向かい、キーボードを叩く乾いた音をフロアに響かせていた。

 壁面を覆い尽くす巨大なメインモニターには、日本国内でリアルタイムに稼働しているD-Tubeの主要なダンジョン配信の映像と、それらのトラフィックの推移を示す波形グラフがひしめき合っている。


「小島チーフ。第四サーバー群のトラフィックに異常なスパイクを検知しました」


 フロアの最後列、全体を見渡せるよう一段高く設置されたコンソールデスク。そこに座っていた小島・シャルロット・ハナは、報告を受けて疲労の溜まった目を細め、黒縁のブルーライトカット眼鏡を中指で押し上げた。


「ボットネットによるDDoS攻撃の兆候は?」


 手元のマグカップから冷めきったコーヒーを一口すすり、彼女は視線をモニターに向けたまま冷静に問い返す。カナダ人の母から受け継いだ少し色素の薄いブラウンの髪は、深夜に及ぶ激務のせいで無造作にクリップで後ろにまとめられていた。今年で29歳という若さながら、国内の全配信データを監視し、トラブルや異常を瞬時に察知する配信管理部門のチーフアナリストという重責を担っている彼女にとって、深夜帯のトラフィック異常は決して珍しいものではない。その大半は、悪意のある外部からのサイバー攻撃かシステムの不具合だ。


「それが……接続元はすべて正規のユーザーアカウントです。しかも、国内だけでなく海外のプロキシを経由したアクセスも秒間数千単位で増加中。現在、単一の配信枠に対する同時接続数が三十五万を突破。まだ上昇ペースは落ちていません」

「三十五万?」


 ハナの切れ長な瞳がわずかに見開かれた。

 トップクラスのSランク探索者による大型ボス討伐の予告配信ならいざ知らず、事前の告知もない深夜のゲリラ配信で三十五万という数字は、常識的に考えてあり得ない。


「その枠のタイトルと、配信者の登録データを出してちょうだい」

「はい。タイトルは『名無し_キャンプ配信_テスト』。……サムネイル画像も設定されていません。配信者の登録データは、山本博人。クラスは……Fランクです。荷物持ち専門の登録になっています」


 オペレーターの困惑しきった声に、ハナは眉間を強く揉んだ。

 Fランク探索者の名無し配信に、深夜の三十万人が押し寄せている。アルゴリズムの致命的なバグで、トップページの一番上に固定でもされてしまったのか。


「メインモニターの中央に、その配信の映像を映して。それから、解析班はサーバーのログと対象映像のメタデータを並行してチェックに回って」


 ハナの指示に従い、壁面の巨大なモニターの一つが切り替わった。

 そこに映し出されたのは、血湧き肉躍るような戦闘風景でも、衝撃的なハプニング映像でもなかった。

 淡く青光りする苔に照らされた、美しい水辺の夜景。立派な石造りのかまどと、そこでチロチロと燃える焚き火。

 そして、使い込まれたキャンピングチェアに深く腰掛け、木皿を抱えてスプーンで何かを食べている、長髪で無精髭の屈強な男。

 ここまでは、ごく普通の――いや、Fランクにしては随分とダンジョンでの野営に慣れすぎているが――キャンプ配信の光景だ。


 だが、男の足元に「それ」はいた。

 男が座る椅子の横で、巨大な木桶に顔を突っ込み、一心不乱に何かを貪り食っている、車ほどのサイズがある白い獣。


「嘘……」


 ハナの口から、無意識に掠れた声が漏れた。

 美しい白銀の毛並みと、四肢の鋭い爪。画面越しでも広域センサーが警告を発してきそうなほどの、圧倒的な魔力密度の残滓が素人目にも明らかだ。


「小島チーフ。対象映像の魔力波長の解析、出ました」


 ヘッドセットを押さえた解析班のスタッフが、引きつった、どこか上擦った声で報告を上げる。


「対象の白い獣から放たれている魔力波長……過去の観測データに存在する、神級魔獣『天狼』の固有波長と99.8パーセント一致。……本物です。フェイクや合成映像ではありません」

「背景の岩盤の構造および植生の解析も完了しました。……既存のどの階層のデータとも一致しません。しかし、大気中の異常な魔力濃度から推測して……間違いなく日本未踏破、アビス・ラビリンスの最深部です」


 フロアの空気が、一瞬にしてマイナス数十度に凍りついた。

 キーボードを叩く音すら止まり、数十人のオペレーターが言葉を失ってメインモニターを凝視している。

 ギルドが厳重に監視し、いかなるSランク探索者であっても到達を諦めたアビスの最深部エリア。あろうことかそこで、Fランクの男が一人でキャンプをし、神級魔獣と一緒に飯を食っているのだ。


「……状況の整理を急ぎます。山本博人は昨日、Aランクパーティー『赫き剣』の専属荷物持ちとしてアビス・ラビリンスに入場。その後、パーティーメンバーからの『彼が転移トラップに巻き込まれて行方不明になった』という報告を最後に、消息を絶っていました」


 オペレーターの報告を聞きながら、ハナは頭の中でパズルのピースを高速で組み合わせていく。

 Aランクのパーティーが逃げ帰るほどの凶悪なトラップで最深部に落ちた。普通なら数秒で神獣に殺されて終わりだ。しかし、この山本という男は生き延び、立派なキャンプ地を設営し、くつろいでいる。

 三十五万人という異常なトラフィックの理由はこれだ。SNSでこの異常事態が拡散され、世界中の人間がこの奇跡の映像に雪崩れ込んできているのだ。


「……彼、あの神獣を、テイムしているんですか?」


 ハナが呻くように問うと、映像を拡大し、魔力パスを視覚化していたオペレーターが首を横に振った。


「いえ、テイマー特有の魔力パスによる主従関係は確認できません。これは……ただ単に、物理的に『餌付け』しているだけのように見えます。男が食べているのは……どうやらスパイスカレーのようです」


 ハナはメインモニターを凝視した。

 高性能なマイクが、男が匙ですくった料理を口に運ぶ微かな音と、白い獣が木桶の底を舐め回す激しい音を拾い上げている。

 モニター越しだというのに、妙に解像度が高い。ドーム状に広がる湯気と共に、パラリとした細長い米粒と、スプーンで簡単にほぐれるほど煮込まれた鶏肉が映し出される。複数のスパイスが複雑な色合いで混ざり合ったソースが、画面のこちら側の食欲を直接抉りにくる。


「きゅるるるるっ……」


 ハナの腹の底から、マイクで拾ってしまいそうなほど盛大な音が鳴った。

 激務による寝不足と、極度のストレス。今日の食事は、夕方に流し込んだコンビニのパサパサのサンドイッチひとつだけだ。

 健康的な食生活を心がけてはいるものの、ハナの根底には「深夜に高カロリーでジャンクなものを腹いっぱい食べたい」という強い欲求が常に渦巻いている。

 空腹が限界に達している深夜三時前に、画面越しにスパイスカレーの湯気と咀嚼音を見せつけられる。それは、どんな悪質なサイバー攻撃よりも直接的に、ハナの精神と胃袋に深刻なダメージを与えた。


(あぁ……美味しそう……。バスマティライスに、ホロホロの鶏肉……。あれは絶対に美味しいやつ……!)


 ハナは必死に唾液を飲み込み、職務意識で食欲を無理やりねじ伏せた。

 今はそれどころではない。これはギルドの根幹に関わる重大なインシデントだ。


「本部長と危機管理部門のトップに緊急連絡。叩き起こしてでも状況を共有して。それから、第四サーバー群のリソースをすべて山本博人の枠に優先的に割り当てなさい。絶対に回線を落とさないで。現状、アビス最深部の状況を知る唯一の観測手段よ」


 ハナの的確な指示で、凍りついていたフロアが再び慌ただしく動き始めた。

 だが、事態はハナの胃痛をさらに加速させる方向へと転がっていく。


「チーフ! 関東空域の広域魔力レーダーに異常反応! 異常な魔力放出を伴う飛翔体が、都心からアビス・ラビリンスの方向へ向かって一直線に移動しています!」

「飛翔体? 航空局からの通達は?」

「ありません! 飛翔体の魔力シグネチャを照合……出ました。Sランク探索者、エミリア・ラルセンです!」


 ハナは手元のコーヒーカップを取り落としそうになった。


「エミリア・ラルセン? 彼女、明日は都内で大手ファッション誌の撮影が入っていたはずでは……なぜこんな深夜に、いきなりアビスに向かっているの?」


「所属事務所からの緊急連絡ラインが開きました。専属マネージャーが半ばパニック状態で報告してきています。ええと……『エミリアが突然、深夜に配信を見てうめき声を上げた後、武装してベランダから飛んでいった』とのことです」

「…………」


 ハナはこめかみを強く押さえた。

 ノルウェーの氷の戦乙女と謳われるトップ探索者が、なぜ突然そんな暴挙に出たのか。

 理由は一つしか思い浮かばない。彼女の裏の顔、いや、本当の弱点である「底なしの食欲」だ。ハナ自身も今まさに胃袋を破壊されているこの深夜の食事風景を見て、あの食いしん坊の戦乙女は理性のタガが完全に外れてしまったのだ。


「エミリア・ラルセンの進行ルート上に警告を発令。アビス周辺の警戒網を最大レベルに引き上げなさい。ただし、物理的な迎撃は厳禁。今の彼女を空中で止められる航空戦力は、自衛隊を含めても国内に存在しないわ」


 ハナはデスクの引き出しを乱暴に開け、常備している強い胃薬のシートを取り出した。錠剤を二粒取り出し、水も飲まずにガリッと噛み砕く。苦味が口の中に広がるが、今の彼女にはそれくらいしか精神を落ち着かせる方法がなかった。


「各国のギルド支部からも、フェンリルの映像の真偽について問い合わせのホットラインが鳴り続けています!」

「順番に処理するわ。フェイクではないこと、そして現在、理由は不明だけど物理的な『餌付け』によって安定状態にあることを伝えて」


 次々と鳴り響く電話のコール音。コンソールパネルで赤く点滅し続けるエラーインジケーター。

 ハナはメインモニターの中で「ごちそうさん」とのん気に手を合わせるFランクの男を一度だけ深く睨みつけると、強烈な胃痛と空腹を抱えながら、終わりの見えない対応業務の濁流へと身を投じていった。

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