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断罪が五年前に終わっていたので今さら何をすればいいかわかりません  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第7話 学術に感情を持ち込まれては


「リーゼロッテ嬢に書庫の使用停止命令が出ています」


 朝食を終えて客室に戻ったところで、ユリウスがその紙を突き出した。

 祝宴から三日後の朝だった。


「使用停止……?」


「神殿から王宮事務局に告発状が届いた。リーゼロッテ・ブレンターノ嬢が書庫内の禁書に無断でアクセスした、と」


 告発状を受け取る。手が震えるかと思ったけれど、不思議と震えなかった。代わりに、腹の底が冷えた。


 告発者の名前。

 マティルダ聖女。


(……来たわね)


 国宝級認定の祝宴から三日。エーリヒ殿下の復縁を断ってから三日。動きが早い。


「禁書になんて触っていないわ」


「分かってる。でも告発状は正式に受理された。神殿の権威で出されたものだから、事務局は無視できない」


 ユリウスの声に焦りが滲んでいる。


 禁書。書庫の奥に封印されていた、一般の閲覧が禁じられている文書群のことだろう。封印区画の中にあった三百年前の魔法契約書を含む──


(待って。封印区画は宮廷魔導師殿が解錠して、正規の手続きで私を入れたのだから、無断アクセスのはずがない)


「ユリウス、ヴォルフ殿に連絡を」


「もう出した。魔法通信で」


 弟は優秀だ。



 王宮事務局。


 広い部屋の中央に、長いテーブルが一つ。

 片側に事務局長と書記官二名。その隣に──マティルダ聖女様。白い神殿服が、事務局の暗い木目の中で浮いている。


 反対側に、私。そしてヴォルフ。


 ヴォルフは呼び出しの書状を受け取ってから十分もしないうちに事務局に現れた。黒い外套の裾が微かに乱れていた。走ってきたのだろう。──この人が走るところなんて初めて見た。いや、見てはいないのだけれど。


「告発の内容を確認します」


 事務局長が書類を読み上げた。


「マティルダ聖女様からの告発。リーゼロッテ・ブレンターノ嬢が、書庫内の禁書指定文書に無断でアクセスし、神殿管轄の機密文書を閲覧した疑い。これを受け、書庫の使用停止を命ずる」


 マティルダが口を開いた。


「あの方が禁書に触れたという報告を受けました。神殿の管轄する聖典関連の文書も含まれています。このまま放置すれば、王国の信仰の根幹に関わる問題になりかねません」


 声は柔らかい。表情は憂いに満ちている。心からの「心配」に見える。

 ──五年前もこうだった。この人はいつもこうやって、優しい顔で毒を盛る。


(報告を受けた? 誰から? 書庫に出入りできる人間は限られているのに)


「宮廷魔導師殿」


 事務局長がヴォルフに向いた。


「修復事業の責任者として、この件についてご見解を」


 ヴォルフが立ち上がった。

 ──いや、立ち上がったという表現は正確ではない。椅子から静かに体を起こしただけだ。なのに、部屋の空気が変わった。


「閲覧記録を提出する」


 ヴォルフが革の鞄から書類の束を取り出した。


「王宮書庫の全文書は、入庫時に魔法的な閲覧記録が自動的に付与される。誰がいつどの文書にアクセスしたかが、改竄不可能な魔法ログとして記録されている」


 事務局長の目が見開かれた。マティルダの表情は──変わらない。柔らかい微笑みのまま。


「この閲覧記録によれば、禁書指定文書に最後にアクセスしたのは──」


 ヴォルフが書類をテーブルの上に置いた。


「マティルダ聖女ご自身です。七日前の深夜、神殿の権限を使用して書庫に入庫し、禁書区画の文書三点を閲覧しています」


 沈黙。


 事務局長がゆっくりと書類に目を落とした。マティルダの微笑みが──


 消えた。


 一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけ、薄紫の瞳から「慈悲深い聖女」の色が抜けて、硬い何かが覗いた。氷を割った断面のような、鋭い光。


 ──でもすぐに戻った。微笑みが貼り直される。その速さが、逆に怖い。


「まあ、それは私が神殿の管理業務として確認したものですわ。聖典関連の文書は神殿の管轄ですもの」


「管理業務であれば、事前に書庫管理者への申請が必要です。申請記録はありません」


 ヴォルフの声は平坦だった。感情の欠片もない、事実だけの声。


「さらに、リーゼロッテ嬢が封印区画にアクセスした記録は全て、宮廷魔導師局の正規手続きを経ています。国家事業の一環として、私の立会いのもとで行われたものであり、無断アクセスには該当しません」


 事務局長が咳払いをした。


「……聖女様。この閲覧記録を見る限り、リーゼロッテ嬢の書庫使用に違法性は認められません。告発の根拠が──」


「ですが、元罪人が王宮の書庫に──」


「閲覧記録は魔法的に改竄不可能であり、証拠として完全です」


 ヴォルフが遮った。


 その声に、私は耳を疑った。


 平坦なはずだった。いつものように感情を排した事実確認の声のはずだった。なのに──何かが違う。


「学術に感情を持ち込まれては困る」


 低い声だった。

 半音ではない。もっと深い。腹の底から響くような、地面が揺れる直前のような音。


 ヴォルフの目を見た。

 灰色の瞳に──初めて、感情が浮かんでいた。


 怒り。


 この人が怒っているのを、私は初めて見た。氷のような無表情の下で、何かが燃えている。抑え込まれた炎。唇は一文字に引き結ばれ、顎の筋肉がわずかに動いている。


(怒っている──学術を汚されたことに)


 マティルダが椅子を引いた。立ち上がる。


「……誤解があったようですわ。お騒がせして申し訳ありません」


 微笑み。完璧な微笑み。けれど出口に向かう足取りが、来た時より僅かに速い。


 扉が閉まった。


 事務局長が書類を閉じながら言った。


「使用停止命令は撤回します。宮廷魔導師殿、ご足労いただき──」


「閲覧記録の写しは事務局に提出しておく。今後同様の告発があった場合の参照資料として」


 念押し。

 この人は抜かりがない。



 事務局を出て、書庫への廊下を歩く。


 二人分の足音だけが石畳に響いている。私は少しだけ後ろを歩いていた。ヴォルフの背中を見ている。


「……ヴォルフ殿」


「なんだ」


「ありがとうございます」


「礼を言われることはしていない。閲覧記録は事実の提示であり、事実には感謝する必要がない」


(出た。この人の「事実」理論)


 少し笑ってしまった。ヴォルフが僅かに振り返る。


「何がおかしい」


「いえ……ヴォルフ殿は、学術を守ろうとしてくださったのでしょう。それが嬉しかったんです」


 ヴォルフが立ち止まった。

 振り返らない。背中だけが見える。


「……学術だけではない」


 小さな声だった。

 私に聞かせるつもりだったのかも分からないくらい、小さな。


「え?」


「何でもない。急げ。修復が遅れている」


 歩き出す。いつもの早足。

 私は少し小走りで追いかけながら、今の一言を反芻した。


(学術だけではない? じゃあ何を──)


 いや。きっと「学術だけでなく、国家事業の信用も」とか、そういう意味だろう。この人が言いそうなことだ。


(うん。きっとそう)


 書庫の扉を開ける。紙とインクの匂いが迎えてくれる。作業台の上には、修復途中の魔法契約書が待っていた。


 全容修復まで、あと少し。

 あの契約書が完成すれば、聖女の力の真実が明らかになる。


 マティルダの告発が裏目に出た今、彼女は次にどんな手を打ってくるだろう。


 手を動かしながら考える。考えながら、手を動かす。

 修復師の仕事は止まらない。真実は、この羊皮紙の中にある。

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